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山本太郎とジャーナリズムの偏向 今は政権交代の時ではない

東京新聞の先走り?

山本太郎が東京8区から出て、石原伸晃と「一騎打ち」する、という東京新聞のスクープ記事が出たとき、面白くなったな、と思った。

私は、山本太郎も石原伸晃も、同じくらい「評価していない」が、山本には未知数の部分がある。少なくとも、選挙戦略として面白い。

しかしその後、同選挙区では別の立民候補の立候補が予定されていたことが分かる。山本も、枝野も、同区の立候補予定者も、一様に「驚き」を表明した。野党共闘の象徴戦になるはずが、共闘どころか党首同士で基本的調整、意思疎通ができていなかった。

私はそれを聞いたとき、もしかしたら東京新聞の記者が山本をそそのかしてーーと思った。「軍師」として先走ったのではないか、と。

真相はわからない。私が最初にそう思ったというだけで。公示日までには真相が明らかになるだろう。あるいは、政治的手打ちがされて真相が隠されるだろう。


左翼と「左派新聞」

朝日、毎日、東京は「左派新聞」と呼ばれる。別にネトウヨ用語ではなく、学者なんかも使っている、国際的用語法に沿った呼称だと思う。

「左派」と「左翼」のちがいは、人によって定義がまちまちだろうが、私が左翼というときは、共産党や社民党、かつて社会党左派に近くていま立民にいる政治家を指している。資本主義の根幹部分や、国防・天皇制などを変える、体制変革を目指している人たちだ。

それ以外の、体制融和的な改良主義者、「平等」「分配」に傾斜した自由主義者(狭い意味でのリベラル)、本当は自民党に入りたかったが入れてくれなかったので自民党が嫌いな人(?)まで含めて、「左派」と呼ぶ。

本当は、全部ひっくるめて「左翼」でも、(用語法として)間違いではないと思うが、共産主義者とリベラルの区別は少なくともつけなければならい。全てひっくるめて「リベラル」というわけにもいかない。というわけで、両者を含めた意味で「左派」が使われていると思う。

東京新聞などを「左派」という場合は、だから「左翼」も含んでいる。

今回の件に関しては、野党共闘でぜひ自民党を倒したい、政権交代をしたい、活動家まがいの「左翼」寄りの東京新聞記者が、山本に「指図」をし、ついでに(?)スクープしたのではないか、とつい想像してしまったのだ。


新聞偏向の実際

新聞は不偏不党と一般に考えられているが、新聞社や新聞記者が「主義」を持っても、本来はおかしくない。

現に明治時代は、新聞は政党の機関紙のようだったし、新聞記者も実名で政治活動をしていた。

新聞社は私企業だし、新聞記者も思想信条の自由があるのだから、別にそれで違法でもない。テレビのような許認可事業ではない。日刊新聞法などで多少の縛りがあるだろうが、政治偏向を理由に取り潰されることはない(戦前はあったが)。

しかし、今のような大部数の新聞は、「不偏不党」を看板にしないと、部数が維持できないだろう。赤旗や聖教新聞などの部数は上限がある(朝日毎日の紙面はほとんどそれらに近いが)。

「一般紙」の個々の記者や論説委員の多くは、自分の政治信条は別として、プロとして公平な記事を書くように努めるのが普通であり、朝日・毎日・東京もそうである。

しかし全員がそうではない。私のマスコミ経験で言うと、ジャーナリストで「リベラル」にとどまる人は、選挙応援くらいはするが、日常的に政治活動する人は少ない。「左翼」には、日常的に政治活動をしていると思われる人が多かったーーだから会社にもあんまり来ない。つまりはマスコミに籍を置く活動家である(野党や左派文化人にコネがあるので、その筋の情報が入り、有用ではある)。

朝日・毎日・東京を購読している人は、「リベラル」だけでなく「左翼」におカネを払っていることは知っておいていい。購読料の一部は活動費になっている。これらの新聞を読者や識者として熱心に支えているのは、昔で言えば日教組の先生みたいな人たちだ。

新聞経営者としては彼らの離反が怖いのだが、普通の読者はよく考えた方がいい。より公平な紙面を要求するなり、購読しない(他紙に変える)という行動なりで、新聞社の変化を促し、公平なジャーナリズムを支持・育成すべきなのである。

いずれにせよ現状は、「左翼」分子が、記者や論説委員に、また、社の経営幹部にもいる。朝日・毎日・東京が「左派」と呼ばれるゆえんは、全体としては反・自民党、反・保守主義、容共、に傾いているからである。


2度の「政権交代」は何であったか

たまたま、ジャーナリストがノーベル平和賞を受賞した。

日本の現実の中で、ジャーナリズムを考える良い機会だろう。

私も、マスコミ業界にいた時は「政権交代」に意欲を燃やした。

1990年ごろのことだ。当時はバブルの絶頂期だが、「金権腐敗」批判でも世論が最高潮に盛り上がった時期だ。

リクルート事件と呼ばれた、未公開株の譲渡は、違法ではなかったのだが、庶民のやっかみもあって大事件となった。日経新聞や毎日新聞の幹部も未公開株を受け取っていたから(結局うやむやになったが)、マスコミも余計に騒ぎ立てて自らの嫌疑を晴らすしかなかった。

江副浩正という天才起業家がそれで潰されてしまったのは、のちの日本経済の停滞を考えれば、痛恨事だった。

当時は、「ジャパン・アズ・ナンバー1」で、アメリカの失業率が高いのは日本のせいだと思われていたので、ジャパンバッシングが起こった。ウォルフレンの「日本/権力構造の謎」が出たのもこの頃だ。

ウォルフレンらは、日本は民主主義国ではなく官僚独裁国であり、先進国の顔をした後進国だと主張した。それが証拠に、自民党の一党支配が続いており、民主主義は機能しておらず、重要なことは政財官マスコミの東大法学部同窓生が決めている(ウォルフレンはマスコミまで含め「官僚化」していると考えた)ーー

いま、財務次官が「文藝春秋」に論文を発表して話題になっているが、あの時は「中央公論」で、元官僚や政府寄りの学者が一斉にウォルフレンらを批判する論文を載せた。その時もウォルフレンは「陰謀論者」と言われた。

ともあれ、官僚に対する「政治主導」を主張した小沢一郎を、ウォルフレンらが支持したのは当然である。

政権交代は、いわば国際世論の支持を得ていた。

私もマスコミにいて、何か恥ずかしい思いがしていた。その数年前には、フィリピン革命があって、マルコス大統領が民衆のパワーで追放されていた。その少し前には、ポーランド「連帯」によるソ連支配打破があり、「ベルリンの壁」崩壊に向かっていた時期でもあった。

ずっと自民党政権だなんて、フィリピンより後進国なんじゃないか、と思えたのである。

のちに椿発言問題などがあったが、口に出さずとも、日本は政権交代をすべきだという思いがマスコミ全体にあって、1993年の政権交代を後押ししていくことになる。


「護憲」という思考停止

しかし、それから30年近くたち、さらにもう一度政権交代を経験したのちに思うことは、今はやめといたほうがいいんじゃね、ということだ。

理由はいくつかあるが、個人的には、野党共闘による政権交代が起これば、またまた改憲機運が遠のくのが、最大の理由である。

私は、戦後の野党の最大の罪は、「護憲」だと思う。

戦前からある護憲という言葉は、本来立憲主義を守るという意味(ほぼ民主主義を守ると同義)だったが、9条保持に凝り固まり、憲法学者、そして左派マスコミ含めて、完全にカルト化してしまった。(だから、以後「護憲」とカギカッコをつける)

日本でマルクス主義が最も影響力をもったのは、「不転向の誉れ」で戦後の5年間くらいだった。資本主義は必ず戦争を仕掛ける、という「帝国主義論」が当然に受け入れられていた。憲法の戦力不保持はアメリカの意向だったとしても、その受容においては、時代の刻印が押されている。

その後、冷戦時代に入るが、全面講和論に示されるように、知識人は一貫して社会主義国の「善意」を信じがちだった。社会主義国も戦争をすることは、1950年代のハンガリー事件などで明らかだったが、その後のベトナム戦争での西側に不利な報道は、「資本主義の悪」を改めて印象付けた。

日本の再軍備に反対する、「平和勢力」ソ連や中国の意向に沿うことが「反戦」だと考えられたのだ。

それに、「護憲」は、一般市民にとっても楽だ。法律論議は面倒だ。「護憲」は、何も考えなくても、平和を守っていることになる。


改憲とジャーナリズムの本分

ここで言いたいのは、しかし、「護憲」運動の悪口ではない。

私が言いたいのは、本来ジャーナリズムが旨とすべきは、特定の思想信条の押し付けではなく、国民の「政治教育」ではないか、ということである。

権力の腐敗を監視するのは、ジャーナリズムだけの使命ではない。それは国民の使命である。ジャーナリズムは、それを手助けするだけだ。

権力の使われ方に関心を持つ。あるいは権力行使に積極的にかかわる。国民にそれを促すのがジャーナリズムの役目ではないか。

「護憲」は、考えなくていいから楽だ、と言ったが、まさに、それがよくない点なのだ。しかし、左派新聞は、「平和主義」の名の下に、この思考停止を推奨する。日本の平和は9条とは関係ない。日米同盟とアメリカの核の傘のおかげであるのは明らかなのに。

それでなくても、普通の人々は政治にそんなに関わりたくない。そうである限り、民主主義は発展しないのである。

民主主義のための、国民教育のための最良の機会の1つは、「創憲」、つまり憲法作成に参加することだ。

明治初期の自由民権運動の盛り上がりを、みんな教科書で知っているはずだ。そのクライマックスは憲法制定だった。日本各地から憲法案が生まれた。

そのため、実際に憲法が発布されると、かえって民衆の政治運動は盛り下がってしまった。とはいえ、憲法を作る、という政治作業が、民権高揚に繋がり、最良の政治教育の機会になることの実例となった。

今の憲法は、そういう国民による「作成」経過がなかった。いわゆる「押し付け」だから無効と言いたいわけではなく、「政治教育」の機会がないまま戦後が始まってここまで来てしまった欠陥を言っている。

この戦後日本史の欠陥は、取り戻そうとすれば取り戻せるはずだった。しかし、それを阻んできたのが1960年代以降の野党だ。

私は自民党改憲案を支持していない。しかし、自民党の改憲志向そのものは正しい。本当は、政権党に関わらず、常に改憲が政治課題に上るような状態がよい。

改憲の国民的議論をして、その結果が「そのまんま9条」でも、私の意見とは違うが、それはそれでいいのである。重要なのは、国民投票まで行くことだ。いくらでも操作できる「世論調査」で代用されてはならない。

現在の野党による政権交代が仮に実現すると、憲法状況と国民の政治意識が後退する。だから、ない方がいい。

野党はずっと、「改憲論議は必要かもしれないが、いまはその時ではない」と言い続けた。

だから私も言わせてもらいたい。政権交代は必要かもしれないが、いまはその時ではない。

(小沢一郎も、枝野も、本来改憲論者だし、山本太郎も、アタマの固い護憲ではないと思う。しかし、「9条運動」の中核部隊である共産党と組めば、改憲はあり得ない。共産党の助けを借りなくていいだけの力をつけて、そして自民党と対等に改憲議論ができるようになって、政権交代を目指してほしい。)






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