【人生に無意味なことは、何もない】自分のための人生。自分で舵を取る。
14歳で患った関節リウマチにはじまり、
甲状腺がん、甲状腺機能低下症、耳管開放症
そして現在の、上腕二頭筋長頭腱断裂。
小さな病気や、こまかい状態まで書き出せば
もっと長くなってしまうので割愛しますが
私の病歴は、ざっとこんな感じ。
さて、本題に入ります。
人生で起こる出来事には
すべて、意味がある。
私がそう思えるようになったのは、
甲状腺がんになった 25歳の頃でした。
それまでは「関節リウマチのおかげで」
的なのは、なーんにも思ったことなくて
なんなら「このやろー!」って感じ。笑
▫️甲状腺がんのおかげで、
関節リウマチの治療ができた
甲状腺がんの手術を終えた頃、
リウマチの状態も急激に悪くなり
まさに「ボロボロ」でした。
今思えば、大きなストレスを抱えていた
というのが要因な気がしてなりませんが。
この時期のリウマチは、内服治療のみ。
生物学的製剤の存在は聞いていましたが
当時25歳の私には、あまりにも高額で
なかなか手を出せずにいました。
ところが、
甲状腺がんになったことで
保険がおりたり なんやかんやで
棚ぼた的な感じで 少しだけ余裕ができ、
「今手元にある分で、治療を始めよう」
と思い切ることができたんです。
もちろん、今後払い続けることを考えると
まったく余裕はないし、生活は苦しくなる
というのも覚悟のうえ。
「今を逃せば、この先も決断できないはず」
直感的なものが、私をそうさせました。
▫️甲状腺がんのおかげで、転職できた
甲状腺がんの手術の後遺症で
私は声が出せなくなりました。
正確には
かろうじて声は出るものの
"嗄声(させい)" という
かすれ声しか出せなくなりました。
当時の私は、
化粧品・健康食品を扱う国内ブランドの
美容部員として店頭に立っていたので、
声が出ないのは、致命的。
それに加えて、甲状腺の手術ですから
首には "生々しい手術の傷あと" が。
スタッフの「美」「容姿」も商品の一部
とまではいきませんが、
首の傷は、どうしたって目に入りますし
多かれ少なかれ、
お客様に不快な思いをさせてしまう、と。
ヒールを履いての立ち仕事にも
限界を感じていたので、
この機会に退職することにしました。
転職先は、人材系のITベンチャー企業。
「求人広告ライター」として
丸5年 お世話になることになります。
今こうしてnoteを書くようになったのも
このときに「書く」を仕事にできたから
「書く」ことの基礎を
働きながら学ぶことができたからです。
デスクワークで肉体にムチ打つこともなく
病気にも大変理解のある上司のもとで、
マイペースに働くことができたと思います。
そして
▫️転職したおかげで、結婚できた
もし転職していなければ、
今の夫と出会うことは100000…億%
絶対に、あり得ませんでした。
私たちが出会ったオフィスに
夫がいた期間は、わずか2年あまり。
その わずか2年の間に私が偶然入社し、
出会い、お付き合い〜結婚だなんて、
まさに「ご縁が繋いでくれた」としか
言いようがありません。
そして そして、
▫️夫と結婚したおかげで、娘に逢えた
とても あたりまえ のことを言いますが、
もしも別の方と結婚していたら、
かわいい愛娘にも出逢えていません。
今の夫が結婚相手だったからこそ、
娘が私たちの元へ来てくれたのです。
私と夫が出逢うことは必然的なこと
だったのかもしれませんが、
どう考えてみても、
娘が生まれてきてくれたことは "奇跡" だな
と、心のそこから思います。
▫️コロナのおかげで、働き方が変わった
甚大な被害をもたらしたウイルスのことを
「おかげで」なんて、
本当は口が裂けても言いたくはないですが、
でも、私の人生は確かに変わりました。
結婚後、正社員から契約社員へ
雇用形態を変えて働いていた私は、
いわゆる「コロナ禍のリストラ」の
対象となってしまったのです。
"正社員以外の契約を解除" という形で
私は突然に、職を失うことになります。
「どうしよう…」と
普通ならば 路頭に迷いそうなものですが
私と夫は、何を思ったのか
「いい機会だね」なんて前向き思考。
「この機会にやりたいことないの?」
「組織に属する必要もないんじゃない?」
「リウマチもツラいし 家で仕事すれば?」
そんな会話を重ね、私はこれまた思い切って
「転職をしないこと」を決意。
恐ろしいくらいの勢いで 開業 し、
ずっと気になっていた「Webデザイン」の
スクールに入会し、クリエイティブスキルの
習得に励むことになります。
「もしあのまま働いていたら、いま頃
どうなっていたんだろう?」と思うほどに
関節リウマチを患いながらの育児は壮絶で、
あのとき、あのタイミングで解雇され、
転職せずに、個人で働くことを決意したのは
どう考えても「正解」だったと思います。
転職しなかったことは、
金銭的な面で言えば、とてもとても大変です。
わずかな時間でも外に働きに出てさえいれば
治療費くらいは賄えたかもしれないし、
その分、娘のためにお金を使えたかもしれない。
夫が頑張って働いたお給料を、
夫がもっと、好きに使えたかもしれない。
そんな「かもしれない」が
今でも私の心を苦しめることはありますが、
それでも 私の身体は、待ってはくれません。
頑張って働きに出ていれば、きっと
今以上に、身体が壊れていたかもしれない。
その「かもしれない」を考えると、
やっぱり「今の選択は正解だったんだ」と。
いや、正直に言うと
「正解だった」とはまだ言い切れません。
だって、まだ何ひとつ実現できていないから。
だからこそ、私は今
自分の選択した道が「正解」になるよう
迷わずに突き進んでいきたいと思っています。
いつか「大正解だったね!」と言えるように。
あえて、出来事に「意味」を見出す。
過去の自分を、自分の病気を恨んでいても
そこからは、何も生まれません。
私は、あえて、すべての出来事に
「意味づけ」をすることによって、
ネガティブな出来事を、少しでも許し、
自分の心を緩めるきっかけにできたらなと
思っています。
「そんなの綺麗ごとだ!」
「意味なんていらないから健康にしてくれよ!」
投げ出したくなる気持ちは確かにありますが
どうせ付き合い続けていく病ならば、
自分がこれ以上苦しまないために、
自分のために、そんなふうに考えるのも
"ひとつの手" ではないでしょうか。
そんな思考を繰り返してきた結果、
今の私は、結構本気で
「人生の出来事にはすべて意味がある」と
心から思えるようになっています。
▫️誰のものでもない、自分の人生
病気に振り回されている人生だとしても、
「なるべくしてなった」と考えると
次の一歩が踏み出しやすくなりますし、
自分で舵を取った気になれるので、
オススメです🌷
あ、でもね
現在進行形での 今の私の状態
「右腕が動かなくなったこと」については
まだまだ、意味を見出せていません。
「なんのために、右腕が壊れたんだろう」
と 絶賛 "もがいている" 途中なので、
そのことについては、また書こうかな ♪
案外、渦中にいると
"意味" が見えにくかったりするのよね。
散々ここまで書いたくせにアレですが、
出来事を振り返った時にはじめて、
見える景色 なのかもしれないですね💐
そしたら、また🕊️