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いのちの削ぎ落とし

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短編、掌編小説など。
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#エッセイ

掌編「カッシアリタ」 それがあなたの幸せとしても

掌編「カッシアリタ」 それがあなたの幸せとしても

 ひと月前から、リタが働きはじめた。
 仕事についたきっかけは、おれの体調悪化。仕事と自己導尿で倦怠感が常にまとわりついているおれを見て、リタは突然、あたしも働く、と言い出した。
 具合の悪いあんたにだけ苦労させて、あたしばっかり楽してたからだね。気づくの遅れてごめん。
 リタは元来あまり体力がない。だから共に暮らして以来、必要以上に外に出ることなく過ごしてきた。だからからだは大丈夫なのか、と心配

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掌編「カッシアリタ」 ふたりだけの最果て

掌編「カッシアリタ」 ふたりだけの最果て

※この記事は投げ銭制です。全文読めます。
※これまでの話をマガジンにまとめました。よろしければあわせてどうぞ。

 ラブホテル、行きたい。
 あたしがはしゃいだ声をあげると、男は、はあ、と目と口でみっつの丸を作った。
 その日、男は仕事から帰ってくると、車いすの背もたれにかけていたリュックから茶封筒を取り出した。なにそれ。たずねると、夏の賞与が出たんだよ、と男は封筒をひらつかせた。
 まあたいした

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掌編「カッシアリタ」 ルチア

掌編「カッシアリタ」 ルチア

※本記事は投げ銭制です。全文読めます。

前のお話しです。第4話掲載にあたり、タイトル含め多少改稿しました。一話完結ですのでそれぞれで読めます。よかったら合わせてどうぞ。

 あ、きた、きたよ。
 リタはそっと、おれの耳にささやいた。
 ぼろアパートの玄関先で、おれとリタは昼間から車いすを並べ、缶ビールをあおっていた。
 梅雨の最中。連日降っていた雨はあがっていたが、手でしぼったら水滴がしたたるよ

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掌編「カッシアリタ」 みちづれ

掌編「カッシアリタ」 みちづれ

※投げ銭制度ですので、記事は全文読めます。

第一話、二話は以下のリンクです。

 きゃははは、と、リタが隣で笑っている。
 うるせえ。おれは舌打ちしながら、広げた尿漏れシートの上で陰毛をはさみで切り続けた。
 左手で陰毛を束にしてつまみ、百均で買ったはさみで切る。ぶちぶち。陰毛は案外固かった。安いはさみでは簡単に刃こぼれしそうだ。
 そうして切り取った陰毛の束を、脇に広げたティッシュにこぼす。テ

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小説「あなたがここにいてほしい」

小説「あなたがここにいてほしい」

 これ、乗ってみてもいいすか?
 それがはじめて、あなたがわたしにかけてきた言葉でした。
 わたしはその時、車いすから背もたれを倒した椅子に移り、うとうととまどろんでいました。職場の昼休み、軽い昼食をすませると、そうしてからだを休めるのが常でした。別に車いすのまま机に突っ伏してもいいのですが、一日のどこかで、五歳の頃から二十年以上乗り続けているタイヤと肘掛け付きの乗り物から解放されたい時間が欲しか

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掌編「鈴虫の鳴く部屋で」

掌編「鈴虫の鳴く部屋で」

「ねえねえ、あれ、見てよ」
 左隣で車いすを並べてこいでいた加奈が、声をひそめておれの腕に軽く触れた。
 おれたちは大通りから細い路地に入ったところにある公園の脇を通りがかっていた。コンビニで今日の晩飯や酒、菓子、そして加奈の愛してやまない成人向け雑誌を買って、ねぐらであるぼろアパートに帰る途中だった。
 公園は周囲をイチョウの木でぐるりと覆われていた。イチョウはすでに目が痛くなるくらいどぎつく色

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掌編「カッシアリタ」 胸

掌編「カッシアリタ」 胸

※投げ銭制度ですので、記事は全文読めます。

第一話は、以下のリンクです。

 まじかよ。
 ぼろアパートの玄関を開けた時、思わずその言葉が口を突いて出た。
 リタが全裸のまま、大の字になって寝ていたのだ。Tシャツやブラジャー、ぼろぼろのジーンズ、ゴムの伸びたショーツ、そして紙おむつが、部屋のなかに脱ぎ散らかされている。クッションがあるというのに、室内用車いすのフットレストを枕にしているのに思わず

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掌編「磔の女がいる部屋」

掌編「磔の女がいる部屋」

※本文は投げ銭制です。全文読めます。

 目をつぶりながら、おれは千春の奥にある指を動かし続けている。

 オレンジ色の残光が、瞼の裏に残っている。それは日によってかたちが変わる。ある時はうさぎだったり、ある時は壊れたコップだったり、ある時はいつかどこかで出会った、でももう思い出せないひとだったり。でもたいていはぼんやりした、水ににじんだ絵の具みたいな影に過ぎない。今日は、そうだ。

 耳に、千春

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掌編「名前をつけよう」

「わー、かわいー」

梱包をといた車いすをみるなり、千春ははしゃいだ声をあげた。

三ヶ月前から、なじみの補装具業者に頼んでいた彼女の新しい車いすがようやく届けられた。桃みたいなピンクのフレーム。ぴしっとした黒い背もたれや肘掛け。きらきらのスポーク。溝がくっきりとしたタイヤ。

「やっぱ新しいのはちがうよな」

ぼくもしげしげと眺めてから、隣にある自分の車いすをみた。もうメタリックのブルーのペイン

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掌編「カッシアリタ」 リタ

掌編「カッシアリタ」 リタ

 尿漏れシート、敷かないとなあ。
 汗ばんだユニクロのTシャツを脱いでいると、リタがけだるい様子で押し入れを開けた。古雑誌や掃除機、色あせたカラーボックスが雑然と押し込まれている。
 そのなかに、寝たきりの年寄りが使うような、尿漏れシートのパックがある。その脇には、紙おむつのパックも斜めに突っ込まれている。
 リタは尿漏れシートを二枚引き抜き、おれに放り投げた。薄みどり色のそれを広げ、部屋のなかに

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掌編「あなたがそばにいてほしい」

掌編「あなたがそばにいてほしい」

昼下がりの公園に着くと、子どもたちの歓声が聞こえてきた。

手前の広場には、サッカーボールを蹴りあっている男の子たちがいる。バドミントンに興じている若い男女もいる。ピンクのヘルメットをかぶった女の子が、自転車で地面に座り込んだ父親のまわりをぐるぐるまわっている。視線をうつすと、あずまやの屋根の下では、近所のおばあさんたちがおしゃべりしている。

そんな広場を囲む遊歩道を、わたしたちはのんびり歩いた

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ある街の雑文綴り

ある街の雑文綴り

彼は色のうすい男だった。

無愛想で無口で、表情も乏しかった。道行くひとに挨拶されても、ほんのわずか頭を下げるのみ。

一応生きていくための仕事にはついているが、与えられた雑務をやはり無表情でこなすのみ。昼休みも、皆が飯と共に寛ぐ輪からはずれてただひとり、冷たく埃の浮いた長テーブルの端で、もそもそと飯を口に運ぶだけだった。

仕事が終わる時間が来ると誰よりも先に机を片付け、「お疲れ様でした」も言わ

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小説「あの夜」

小説「あの夜」

 ドアを開けると、赤い車いすが見えた。
 鉄階段の下で千鶴は車いすから上半身を屈め、手を伸ばしていた。背もたれグリップには使い込んだリュックが下げられている。右側のサイドガードに、以前はなかったクローバーのステッカーが貼られていた。
「おはよう」
 車いすに乗って部屋から出てきた私に、千鶴は笑みを向けた。少し低いトーンの穏やかな声色、肩にかかった髪に朝の光が反射している。
 本当に来たんだな。
 

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彼女の一息 #ひかむろ賞愛の漣

彼女の一息 #ひかむろ賞愛の漣

「こないだ、友達とバス旅行してきたんだよ。はい、これおみやげ」

 先日、彼女はふらりと、すぐ近所に住む長男夫婦の家に寄った。渡したのは仙台銘菓の萩の月だった。息子たちはコーヒーのお供に食べながら、彼女のみやげ話を聞いていた。

 こんなふうに用事がなくても、彼女はよく長男夫婦の住まいに散歩がてら遊びにきて、一息つきに行く。コーヒーや紅茶を飲みながら、他愛ない話をする。最近は買いたてのスマートフォ

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