掌編「カッシアリタ」 みちづれ
※投げ銭制度ですので、記事は全文読めます。
第一話、二話は以下のリンクです。
きゃははは、と、リタが隣で笑っている。
うるせえ。おれは舌打ちしながら、広げた尿漏れシートの上で陰毛をはさみで切り続けた。
左手で陰毛を束にしてつまみ、百均で買ったはさみで切る。ぶちぶち。陰毛は案外固かった。安いはさみでは簡単に刃こぼれしそうだ。
そうして切り取った陰毛の束を、脇に広げたティッシュにこぼす。ティッシュにはすでにいくつかの束。床屋の床みたいだね。リタは陰毛の束をつまんでしげしげと眺め、またきゃはは、と笑った。うっせえ、さわんなよそんなの。しかしリタは聞かず笑っている。こないだどぎつい緑色にそめた髪の毛を揺らしながら。ちなみに今日は全裸ではなく、ブラジャーとショーツ姿だ。
しかし、暑い。陰毛が飛び散るので、扇風機は今止めている。電線だらけの窓からはなまぬるく、油臭い風がかすかに入ってくるだけ。額や脇の下、背中に汗がにじむ。そんななか、陰毛を切っている。竿の上にある密集だけでなく、玉からひょろひょろと生えた毛も切り取る。
しっかし、大変だねえ。ひとごとのように陰毛をティッシュに戻し、リタがつぶやく。笑っている割におれの陰毛を切る手元を見る視線は真剣だった。飛び散った陰毛のかけらもちゃんと拾い集めている。
半月前の定期検診で、リタが愛してやまないおっぱいを持つ主治医の愛ちゃんから、検査結果は異常なしですが、念のため診てもらいましょうか、と泌尿器科の受診をすすめられた。その時はリタも一緒だった。愛ちゃんの受診が終わった後、その足で泌尿器科の受診を受けた。泌尿器科の担当医師も女で瑞穂ちゃんというらしい。おれはびくびく、リタはどんなおっぱいかな、とどきどきしながら診察を受けた。明るく優しい愛ちゃんに比べると、瑞穂ちゃんは若いのにクールで近寄りがたい雰囲気があった。なによりリタが言うにはおっぱいがいまいちだった。
瑞穂ちゃんに言われエコー検査を受けると、腎臓に尿が逆流する症状があるので、これから自己導尿をするよう指示された。あそこに使い捨ての長いストローみたいなカテーテルを突っ込んで、小便を出すのだ。受診後、女の若い看護師(このひともおっぱいはいま一歩らしい)から、自己導尿の指導を受けた。清浄綿で尿道口を消毒し、カテーテルを突っ込む。すると、なんとも勢いのない、じじいみたいな小便がじょろじょろと流れ出て来た。抜き差しを何度か繰り返し、残尿を出し切る。指導の後瑞穂ちゃんのところに戻ると、これを毎日六回やってくださいと、命令のように言われた。受診後、なんだよ、あの態度。瑞穂ちゃん嫌い。だからあんなおっぱいになるんだよ、とリタはまったく違う方向に頬をぶうと膨らませた。
で、実際導尿をはじめた。狭い便所では難しいので、部屋で座ってやるしかなかった。手とあそこを消毒して、カテーテルを突っ込み、やはり百均で買ってきたカップに尿を出す。その時に気づいたのが、カテーテルに陰毛が絡まりそうだ、ということだった。毛先があたったり、最悪巻き込んで膀胱に入れてしまいそうになるのだ。
実際これが原因かはわからないが、雑菌が入って尿路感染となり、一週間高熱を出して抗生物質を飲み続けた。入院寸前だった。
またあんな目にあうのはごめんだ。そういうわけで今、感染源となりそうな陰毛を切る羽目になっているのである。
とりあえず、こんなもんか。おれはしげしげと自分の性器を眺めた。陰毛は粗っぽく短くなった。とりあえずは大丈夫そうだ。すっきりしたねえ。いい男だ。リタはまたきゃははと笑い、切り落とした陰毛を集めたティッシュを、ばいばーいと言いながら丸めて捨てた。
ああ、しかしやべえよなあ。相変わらず埃くさい扇風機を自分に引っ張り込み、おむつを直しもせずその風にあたりながらおれはため息をついた。九月に入ったというのに、この街はまだまだ暑い。今日も外からは運送屋がカートを運ぶ音や、最近はじまった道路工事の音が紛れ込んでくる。救急車のサイレンも聞こえる。最近やたら多い。この夏で何人、熱中症で運ばれたのだろうか。
おれも病院に運んでくれねえかなあ。涼しいし、バイタルも取ってくれるし、なによりただで飯出るしな。だるく言うと、リタが目をむき、おれの頭をひっぱたいた。
なに言ってんのよ。このご時世だからお見舞いにも行けないんだよ。あたしやだからね、ひとりでここにいるのなんて。
実はつい一週間前、仕事場から時間給のパート扱いにすると言い渡されていた。もらう金は一気に減った。なんだかんだで二十分かかる導尿を仕事場でおこなうと、申し訳ないがそれでは仕事にならないから、と申し渡されたのだ。確かに導尿をはじめてから仕事量は三分の二まで落ち込んでいた。だからしかたないのだが、やばいものはやばい。リタも働いていないし、しばらくするとなけなしの貯金を切り崩さないといけないかもしれない。
まあ、しゃあないよ。なんとかなるって。リタは緑色の髪をかき上げてから冷蔵庫を開け、ビールもどきの缶を取り出した。金麦はスーパーのプライベートブランドの安いやつに変わった。乾杯しようぜ。リタがおれの缶に自分のそれをがつん、とあてる。泡のあふれた缶から一気に飲み干す。おれも飲んだ。どこか味の薄い安物に変わっても、うまいもんはうまい。
ワイドショーやらドラマの再放送やらをだらだら観ているうち、夜になった。買ってあったコンビニの牛丼をビールもどきと食う。小便が面倒でも飯はうまい。リタは夕方にはすでにブラジャーをはずし、うすい胸をだしっぱなしにしていた。ショーツも脱いで、紙おむつだけになっている。なんとなくおれも真似したくなり、紙おむつだけになった。
導尿をおえた後、交代で風呂に入ると、この日はもう寝ることにした。布団を引っ張り出して、灯りを落とす。恰好はやはり紙おむつだけ。熱中症や尿路感染になるよりましだ。
救急車のサイレンがまた響いてきた。するとリタが身を寄せてきた。
ねえ、今、辛い?
緑色の髪と額の赤い痣が、窓からこぼれてくる街灯の光があたって宝石みたいに光った。
辛くねえ、つったら、まあうそだよな。おれは正直に答える。
もしさ、もう辛くて死にたくなったらさ。
おれはリタの顔を見返す。はじめて会った時みたいなまなざしをしていた。道端で金麦を飲みながら男に声をかけられるのを待っていた、あの時のまなざしに。
あたしもみちづれにしてくんないかな。
サイレンの音が遠ざかり、かわりに踏切の音が聞こえてきた。おれはふう、っとため息をついた。
わかったよ。じゃあそん時は踏切にでも飛び込むか。
いいね。ふたりでこなごなになろう。あんたとまざりあえるね。うん、いい。一緒に行こうね。天国でも地獄でも。
リタの唇がおれのそれに重なってきた。踏切の音に紛れ、かすかに蟋蟀の鳴き声が転がり込んできた。
了
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