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論理的文章力を育てなかった日本の作文教育とは

 学生時代、作文は好きでしたか?私は大嫌いでした。何を書いたら良いか分からないし、先生も具体的な書き方を教えてくれませんでした。ただ書かせるか漢字を訂正するだけで、文章構成や内容の指導はありませんでした。実は、日本人が海外の学生のように論理的なエッセーが書けないことには理由があったのです。
(注:日本ではエッセーは主に随筆を指しますが、英語のエッセーは、主張を持ち論理的且つ形式に則って書かれた小論文やペーパーも含みます。)
 

読書感想文は書かせるけれど


 私は10年前にカナダでビジネス系のコースを取り、そこでたくさんのケーススタディを書きました。データや事象から問題の原因を見つけ、分析し、解決策を提示し、比べ、論理的に議論を展開しながら読み手を納得させるという文章の書き方は、それまで日本では習ったことのないものでした。その時から、小学校から長年読書感想文や作文を書いた記憶があるのに、なぜエッセーや小論文を書いたことがないのだろうとぼんやりと考えていました。

 上智大学で教鞭をとる奈須正裕先生は、「なぜ、先々書く機会のない読書感想文と学校行事の作文を、しかもあんなに頻繁に大量に書いてきたのか」と言っています。なぜ日本の学校は欧米では主流のエッセーやペーパー、そしてクリエイティブライティングを教えてこなかったのでしょうか。論理的に文章を書けることは、論理的に事象や原因を理解する問題解決能力にも直結します。ということは、論理的な文章が書けないと、思考にも矛盾が生じやすいように思います。
 

作文は大正時代から続くガラパゴス


 奈須先生によると、「読書感想文と行事の作文は日本でのみ熱心に取り組まれてきた、いわば教育のガラパゴス」だそうです。

 明治時代の作文教育は、礼状や詫び状、見舞いの手紙、借金返済の催促状など大人社会の実用文を書き写し、暗記する指導が中心であったそうです。とにかく真似をして例文を丸暗記していたんですね。そういえば、電子メールの時代に今でも使われる時候の定型挨拶文などはその名残でしょう。

 大正時代には、明治時代の反省と自由主義的風潮の波に乗り、子どもが自由に題材を選び自分の言葉で書く自由作文教育、いわゆる「綴り方(つづりかた)」が誕生しました。綴り方教育では人格形成を重視し、書く技術や形式よりも、まずは作文を書きたいと思う子どもの心情や態度を大切にすべきだとされました。

 『赤い鳥』を創刊した鈴木三重吉が、お手本の模倣や空想ではなく、子どもが「見たまま、聞いたまま、考えたまま」を、型にとらわれずにのびのびと書く作品を奨励したそうです。しかし、子どもが空想やフィクション、思想を書くことには反対したようです。

 戦後、アメリカの指導で、書く技術の向上のための形式を教える作文教育が導入されても、教育現場では「生活綴り方」に執着があり、アメリカの方針が根付くことはなかったそうです。そして、高度成長期に定着したのが、綴り方の流れを汲む「読書感想文と学校行事の作文」でした。

 私の子どもたちはカナダで、小学校から高校を通して、エッセーやペーパー、時にはフィクションを書いていました。しかし、日本ではそれらに相当する指導がほとんどなされなかった結果、日本の子どもたちは今でも論理的な文章が書けないままです。ODEC(経済協力開発機構)が15歳を対象に行った2018年のPISA学習到達度調査で、日本の子どもは読解力が低下傾向にありました。これも、論理的思考のための作文指導がないために、文章を論理的に読み解く力が不足しているからではないでしょうか。
 

留学生が苦労する


 国語の教科書には、例えば説明文の書き方の単元はあるものの、それをしっかり書かされたり、高校で小論文を十分練習した人はどれだけいるでしょうか。

 海外大学で初めて学ぶ日本人留学生が、英語と同じくらい苦労するのがエッセーやペーパーを書くことです。彼らは、18歳になるまでに、自分の主張を論理的に説明する文章を学校でたくさん書かされてきた欧米の学生たちと、文章力でも同じスタートラインに立てないのです。それまでの読書感想文で書いてきたような、「私はこう思います」や「私はこう感じます」では太刀打ちできない世界です。

 また、日本の高校生の半分は読書をしないそうで、海外の大学では、エッセーライティングと大量の読書は切っても切れない関係で、読書が習慣化されていないと留学生はたいへん苦労することになります。
 

論理的作文力は伸ばせる


 今後、学習指導要領の変更で、日本の学校にもエッセーや小論文、クリエイティブライティングの作文指導が導入され、いずれは欧米に追い付けるようになるのでしょうか。

ただ、作文嫌いだった私が、遅まきながらケーススタディが書けるようになったように、論理的作文力は何歳になっても伸ばすことはできます。書き方の定型を理解し、事象を掘り下げて考える力をつければそれほど難しいことではないため、ぜひとも早い段階で日本の子どもたちに指導していただきたいものだと思います。
 
参考:「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然」奈須 正裕 https://toyokeizai.net/articles/-/259129?page=4


この記事はカナダ日本語情報誌『TORJA』連載コラム『カエデの多言語はぐくみ通信』2022年10月号に寄稿したものです。 ☞  https://torja.ca/kaede-trilingual-33/

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