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vol.15 モーパッサン「脂肪の塊」を読んで

140年ほど前のフランス文学。

これ読んで思い出した。学生のころ、「社会の理不尽」をつまみに酔っ払っていた先輩に勧められてモーパッサン読んだ記憶がある。たぶん「脂肪の塊」は再読。

物語は、普仏戦争でプロイセン軍(ドイツ)に占領され、フランス国内を馬車で逃亡中の出来事。車内10人のフランス人たちの嫌な部分を念密に練られたストーリーで描かれている。

主な登場人物は、「脂肪の塊」と呼ばれる娼婦、厳格な民主党員、ワイン問屋を経営する小金持ちの夫妻、上流階級の夫人と伯爵夫妻と修道女。新潮解説によると、この馬車の車内は当時のフランス社会を象徴しているらしい。

善男善女の理不尽な行動、堂々のエゴイズム、ブルジョアが語る嘘っぱちの愛国心など、人間の醜さを滑稽な人間模様としてぶつけてくる。

娼婦がみんなを救うために、苦渋の選択で敵の士官と一夜をともにしてしまった時、伯爵夫人と修道女の会話に腹が立つ。

「それでは、尼さん、神様は方便を問題になさらない。動機さえりっぱなら、どんな行いでも許してくださる、と、こうおっしゃるんですね」「それはどこまでもそうでございますよ、奥様。もともとは悪い行いでも、行う人の心掛け次第で、りっぱなものになるのでございますよ」

これ、人身御供の話だと思った。権力者が「神」をちらつかせ、見返りに弱い立場の人を犠牲にして、特権階級に都合をつけたりする。この「目的は手段を選ばず」に、今の日本でも、似たような発言を堂々と言い切る場面があることにゾッとする。

学生の頃、居酒屋でよく議論していた。「上流社会」とか、「特権階級」とか、「権力抵抗」とか、「ブルジョア蔑視」とか「欲と金」とか、「人間の好色さ」とか、「娼婦の清らかさ」とか、そんなワードで「理不尽の怒り」をつまみに、朝まで焼酎を浴びていたあの頃をこの小説が思い出させてくれた。

身勝手なブルジョアの都合により、娼婦を敵国の士官と一夜を共にさせる美化の仕様もない醜い事実を「神」や「美しい言葉」で隠そうとする酷さは許せないと、真っ直ぐな目で息巻いた先輩が蘇った。

最後の行に「ラ・マルセイエーズ」を口笛で吹き続ける描写がある。その歌詞を載せている。

祖国を思う清きこころ、
導けよ、支えよ、吾らが復讐の腕を。
自由よ、いとしの自由よ、
ともにいけ、汝が戦士らと。

自分を犠牲にしてみんなを救ったのに、そのみんなに「脂肪の塊」でも見るかのように冷たい視線を送られた娼婦は、この歌に耳をふさぎながらもずっと泣いていた。この描写でこの物語は終わっている。

フランスの理念は自由、平等、友愛なのに、敗戦で国家がボロボロになると、社会秩序も乱れ、国民はエゴまみれになり、自分さえよければそれでいいと、ひどい人間になってしまった。てめえのエゴだけで弱い立場の娼婦をおとしめた。本来は神への信仰が歯止めをかけてくれそうだけど、この小説は尼さんが一番ひどい。モーパッサンはこの現状を訴えていたのか。

最後に、カミュと夏目漱石は、モーパッサンが大嫌いらしい。唯一正しい娼婦なのに「脂肪の塊」ってタイトル、ひどすぎるものね。

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