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vol.21 ジョージ・オーウェル「1984年」を読んで(高橋和久訳)

結構むずかしかった。2週間かかった。でもすごい小説だと思った。今まで「監視社会」「二重思考」「階級的特権」「服従」「独裁」などを背景に描かれた小説や映画に触れてきたが、ここに元ネタがあったのかと思った。それにしても、これが発表されたのが1948年、すでに70年前に現代の監視社会を透かしているかのような内容に驚かされた。

あらすじをWikipediaよりメモる。

1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分割統治されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想、言語、結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。

主人公ウィンストン・スミスは真理省の役人として歴史記録の改ざん作業を行なっている。しかし、彼は以前から現体制に疑問を抱きながら仕事をしてきた。ある日、党の規則に反したことから「思想警察」に逮捕され、「愛情省」で尋問と拷問を受けることになる。そこで自分の思想・信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を思いながら”心から”党を愛するようになる。(あらすじおわり)

この小説、今でも世界中で繰り返し読まれているらしい。特にアメリカでは現大統領の就任後、再ブレークしたらしい。日本でも昨年可決された「共謀罪」が「監視社会につながる」といった指摘の中で、この小説が話題になっていた。

ここで描かれている「監視・管理社会」って、どんなのだろう。

僕自身、そのことについて深く考えてこなかった気がする。社会秩序や実生活での嫌なこと、理不尽なことに対して散発的な怒りはあるものの、それは実生活の中で溶けてしまう感覚がある。社会制度に疑問を感じたとしても、「まぁ、こんなもんだろう。みんないっしょだし」とか「与えられた環境の中で頑張るしかないよね」ってついつい考えてしまう。足並みを揃えてしまう。それは仕方のないことかもしれない。生まれた時から親きょうだいがいて、「正しいこと」や「悪いこと」を教えられ、示された道徳にどっぷりと浸かり、友達が大切になったり、目上の人を敬ったり、そんな社会規範の中で、喜怒哀楽を繰り返しながらそれなりに自由を感じて生きている。それが当たり前となっている。

この小説では、そんな自由な社会を戦争が破壊し、個々のイデオロギーも洗脳し、全てが過去と正反対の体制の中で、人間の心の中までも変えてしまう恐ろしい世界を描いている。全体主義の党の中枢にいるオブライエンが、反政府地下活動で捕まって拷問を受けているウィンストンに向かってこう説いている。

「昔の文明は愛と正義を基礎としていると主張した。われわれの文明の基礎は憎悪にある。われわれの世界には、恐怖、怒り、勝利感、自己卑下以外の感情は存在しなくなる。他のものはすべてわれわれが破壊する。ーーーこれまでわれわれは親子間、個人間、男女間の絆を断ち切ってきた。今では誰も妻や子や友人を信用できなくなっている。子どもたちは生まれたとたんに、めんどりから卵が取り上げられるように、母親から引き離されることになる。ーーー党に対する忠誠の他に忠誠はなく、敵を打ちのめした時の勝ち誇った笑いの他に笑いはなくなるだろう。日々の暮らしの面白さも喜びもなくなる。ーーー永遠にそれが続くのだ」(p414より抜粋)

戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり

相反する言葉を並べて、「反体制的左派」を拷問、処刑、洗脳し、「2+2=5」と心から叫びながら、「テレスクリーン」に映し出された「ビック・ブラザー」に忠誠を誓う人間に変えていく。

悪夢としかいいようがない世界を描いたジョージ・オーウェル、この作品で何を伝えようとしたのか。解説に「ビック・ブラザー」はソビエトの首相だったスターリンを連想させるとある。この「1984年」はアメリカにおいて反共のパンフレットであるかのごとく販売されたらしい。この小説が発表された2年後に勃発した朝鮮戦争では、ソビエトが、洗脳によるイデオロギー強化として、犬が刺激に応じて唾液を分泌するよう訓練した手法(パブロフの犬)に習って、実際の人間を被験者として、自国に都合の良い政治的反応をするよう、「調教」したという。この作品は、スターリンの暴政に対する弾劾なのか。解説によると、そんな単純じゃないらしい。

難しい。

ただ、今身近な社会でも「二重思考」についてはあるあるに思う。組織を守るために個人を犠牲にする話って、よく聞く。また、僕自身もいろんなことを諦め、愛想笑いに嫌気がさしながらも、2+2=4と言えない自分がいる。それは目に見えない「テレスクリーン」に監視されている意識があるからなのかも。そのような局面に出くわした時、またこの「1984年」をきっと読みたくなる。(おわり)

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