男なら、寂しいと泣き叫べ
男の子なんだから、メソメソ泣くんじゃない
男なら弱音を吐くな
古今東西、男というものは「強くあれ」「逞しくあれ」という像を押し付けられてきた。そうでなければ世間から爪弾きにされ、その像を踏襲できたものだけが優秀なオスと認定され、子孫繁栄を許される。それが私たちが生きるこの世界。
この世界は幸せだろうか。この男らしさという呪いを押し付けられた妖怪たちが道端を肩で風を切って歩き。弱音を吐けない男たちが街中を彷徨き。弱音、つまり自分の気持ちがわからないから他人の気持ちが分からない、そんな動物のような男たちでこの社会は溢れかえり。男らしさ、簡単に言えば粗暴さがこの社会を覆い、犯罪は消えて無くならない。自分に思いを馳せられない、だから他人に思いを馳せられるわけもない。無神経な言葉と、物理的な暴力で自分と他人を死ぬまで傷つけ続ける。そんな悲しいオスたちに、この世は犯されている。
私の父親も、そんな粗暴な、悲しいオスだった。手を挙げることや他人を殴ることはないが、それ以上に鋭い、無神経・言葉の刃で人の魂を削り取り破壊していく殺人犯だった。結果、妻を殺し、娘を殺し、そして息子も殺したのだ。父親は今、群馬県の実家で一人暮らしをしている。父の両親、私から見れば祖父母にはとっくに先立てれ、孤独な老後にこれから突入する。5年前ぐらいだろうか、まだかろうじて父親と年に一回だけ連絡をとっていた際に。
「父ちゃん、別に再婚するつもりないんさ。全然、寂しくねんだよな」
そう言い放ち、あっはっはっはと惨めな煽り笑いをしていた。誰も何も聞いてないのに、唐突にそういう発言をする時点でそういうことなのだ。本当に情けない、弱い、つまらない男。そんな虚しい発言を聞いて、俺は応じずに電話を切った。
男の不幸は、物心ついた頃から「感情を出すな」という呪いをかけられてきたこと。我慢すること、耐えること、そして他の男に勝ち続けること。これだけを俺たちは義務付けられてきた。父親のように、昭和真っ最中を生きてきた男であれば、その呪いは比べ物にならないぐらい強固だっただろう。だが同情の余地はない。人間はいつ何時からでも生き直せるのだ。そして生き直せる老いた男たちも、少なからずいる。自分の生き方が間違っていた、男という呪いにまんまと騙されて死ぬところだった。このままでは孤独死するだけだ、それは悲しい。だから本当に苦しいけど、今からでも生き方を変えるしかない。自分が大事に思う人と心を通わせられるように、死ぬ気で生き方を変えてやるしかない。そう決意し、生まれ変われる老いた男たちは確かにいるのだ。だが私の父親はそうではない。寂しい、辛い、悲しい、苦しい。そんな感情など俺にはない、と自分から目を背け続け。そして俺には伴侶などいらない、と傷つくことから恐れて人生から逃げ続けて。そうして自分を騙し続けて、くだらない煽り笑いと愛想笑いに飲み込まれて死んでいくのだ。娘からも息子からも絶縁され、たった一人取り残された実家で、酒とタバコに塗れて腐乱死体となっていく。それが、人生から逃げ続けた男の末路。世の中、こんなくだらない男たちで溢れかえっている。
危うく俺もそうなるところだった。なぜ俺はそうならなかったのだろうか。くだらない男と女の元で産み落とされて、関わってきた人間も全てがくだらない、動物のような人間たちだった。にもかかわらず、私だけはなぜ。
と考えてみたが、これは今は見つかる気がしない。それだけ人間というのは神秘的な生物なのだ。この問いについてはこれからの長い人生で、ゆっくり探っていきたい。
この呪いに冒された男たち。私の父親や、自殺してしまった親友のような、弱い男たち。「弱さを必死に取り繕って隠し通そうとする」のが本当の弱さで、「弱さを晒して大事な人と心を通わそうとする」のが本当の強さであることに気づけないまま、浮気や不倫を繰り返して妻から離婚されて孤独死していく男たち。その男たちと私の違いは何かといえば、その答えは明快だ。
本作のテーマ。これができるかどうか、ただそれだけだ。
自分の脳の常識、過去植え付けられてきた呪いが強烈な拒否反応を示す、この行為。この発狂するほど苦しい課題を乗り越えられるかどうか。それによって、永遠に心からの安心を得られるか、永遠に不倫と孤独の地獄に堕ちていくか。二つの道が決まる。
男は未だに酔っている。俺が頑張るから、お前はついてくればいい。俺が頑張っているんだから、お前が後ろから支えろ。俺が頑張っているんだから、俺が何も言わなくても俺の考えを理解して支えろ。そう、背中で語るような筋骨隆々のフィクション上の男たちに酔っている。自分の弱さと向き合えない、自分の人生から逃げ続ける愚か者の背中に着いてきてくれる女性などいるはずもないのに。
他の男に勝つこと。自分の弱さに必死に蓋をして耐え続けて市場価値を上げ続けていくこと。誰とも心を通わせられないサイボーグであること。正直、頑張ることなんて簡単だ。誰でもできる。そんな、どんな愚か者でもできる簡単なことを思考停止で続けること、こんなものは男らしさではない。
精神が崩壊するほどの、発狂するほどの苦行に飛び込むこと。つまり、自分の息苦しさの核を作り上げた親と向き合い、人生と向き合うこと。そして、己の弱さと惨めな感情から目を背けず認識すること。そして、それを大切な人に曝け出すこと。曝け出して、一緒にいて欲しいと正面切って伝えること。
これは本当に辛いことだ。我々男は、こんな辛いことを女性に押し付けるのか。まずは我々から歩み寄り、女性や大事な人と心を通わせる努力をすべきではないのか。これこそが本当の、男らしさではないのか。
全男が「寂しい」と感情を曝け出せるようになった時。寂しい夜に、今日会いに行っていい? と正直に言えるようになった時。今日電話してもいい? と正直にお願いして、自分の哀しみをパートナーに話せるようになった時。情けないんだけど……抱きしめて欲しいです、と正直にお願いできるようになった時。この世界から、ほとんどの犯罪が消えてしまうだろう。そして、孤独死、という概念も消え去ってしまうだろう。以前まで、死にたくなるほど寂しい、発狂しそうなほど寂しいと苦しんでいた私だからこそ。どうせ死ぬなら、株式会社ヒューマンアルバ 代表取締役 上野聡太を殺してやろうか、と頭をよぎった私だからこそ。そして「寂しい」と正直に伝え、自分の身を委ねられる彼女がいて、感じたことのない安心に包まれている私だからこそ。今、本当の男らしさというものが見えてきている。
己に正直になれ。1%でも息苦しさを感じているのなら。朝起きた時に、「ああ、仕事に行かなきゃ……」と1%でも憂鬱があるのなら。その人生は課題に満ち溢れている。より健やかに、より楽に、より安心に包まれた人生に近づける余地しかない。
それを肝に銘じ、私は今日も己と対話していく。
以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
こちらまでご連絡ください。
第一弾:親殺しは13歳までに
あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。
第二弾:男という呪い
あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。
第三弾:監獄
あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。
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