「伝えたくないこと」が伝わってこその表現者
「伝えたいこと」を伝える、
「伝えたいこと」が伝わる…
これはきっと、どんな人もよろこびで
それがあるから「伝えること=表現(SNS)」が続いている方も
きっと多いと思います。
でも、ほんとうに大切なのは
「伝えたいこと」もあえて抑えられる優しさと強さ。
そして「伝えたくないこと」でも必要なときにはきちんと伝えられる誠実さ
なのではないかと感じています。
たとえば「伝えたくないこと」「でも伝えなくてはならないこと」の一つに
内部告発というのがあると思います。
これは、きっと「伝える」側のほうが勇気も配慮もエネルギーもいるもの…
“うまく、伝えられるか?”
“いや、そもそも伝えなくてもいいのでは?”
“そもそも、わたし(俺)が言うことなのか…?”
いろんな試行錯誤があって、ときに「飲み込もう」と時間を要し。
でも、それでもやっぱり「これは伝えないといけない」と判断して
一番上に伝える勇気選択をとるとき。
人は、「伝えたいこと」をただ伝えるだけのときよりも。
「伝えたいこと」をあえて抑えるやさしさを持つときよりも
ほんとうに一番エネルギーを使うのだと感じられると思います。
それでも、「伝える」のはなぜか?
そう、問いたいのはやはりここ。
自分は、いったい何のためにそれを伝えるのか?
この軸があるかどうか、またそれが
“愛”に基づくものであれるかどうかが、最も大切なことのように感じます。
わたしは、なぜか“伝える”役目がまわってくることが多くて。
そして、それはやはり「多くの方が伝えにくいであろうこと」で
「でもこれからに大切なこと」のケースがほんとうに多くて…
正直、そんな役もう逃げたい(離れたい)
代わりに、誰かやって
と感じることも少なくありません。
***
…でも。
“わたし”しか伝えられる人がいないのであれば
いろんなリスクやエネルギーも使って「伝える」ことを選んでしまいます。
(これはリアルもネットも、あまり垣根なく一緒ですね)
でも、
これは思っている以上に相応のパワーもいるもの…
「伝えた」あと、本当に力が抜けてしまうのも事実。
ただ、それでも
「伝えてくれてありがとう」と言っていただけ。
「これからも(信頼しているから)何かあったら遠慮なく伝えてね」と言っていただけるのは
本当にほんとうにありがたいこと…
その瞬間、自分のなかで、自分を支えていた何かが
いい意味で崩れていくのも感じられました。
“わたしは、もっと伝えてもいい人”
そこに、絶大な信頼を感じられたからです。
そして、いつもまわりとの調和を大切に、
足並みを揃えようとするところもきちんと見てくださっていて…
「あのとき、流香さんの提案すごくよかった」
「ちゃんと、上を立てて遠慮したところも素晴らしかった」
「でも、流香さんの“人として”の部分を信じているから
これからは上とか下とか関係なく、流香さんの感性でいっていいよ」
そんなふうにも言っていただけ、しばらく力が出なかったのも事実…
なんだかんだ、「見てくれている」人はいて
「見てくれている」時はちゃんと見つめてもらっているんだなぁって…
いろんな思いとともに、でもやっぱりわたしも
「伝えてよかった」
「伝えてくれてありがとう」
という結果になれたのは、本当によかったことで
自分自身の誇りにもしていたいと思います。
きっと、伝えることのハードルとしては
「伝えたくはない」でも「伝えないといけない」でも「伝えられない」
ときが最も心と身体にくるのではないでしょうか…
年末、そして冬至に向けて。
きっと多くの方が自分やまわりの“闇”とも向き合う中で思うこと。
すべての人間関係は、結局信頼。
そして人生も、また信頼。
これで、出来ているし、出来ていくのだと…
そしてそれは、ひとっ飛びで作られるものではなくて
ほんとうに日々コツコツの、小さな積み重ね。
わたしは、やっぱりそんなところからも大事にしていたいんだなと
あらためて「自分の軸」にも気づかせていただきました。
きっと、“見てはいけない”ものを見た(知ってしまった)ときにも人が出る
ありがたい信頼を、わたしは“これから”に変えて
これからも「人」とともに生きていきたいと思います。
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