みんな、見えないところで悩んでいる
当たり前かもしれませんが、
みんな“見えない”ところで、悩んでいます。
表には絶対出せない(出さない)部分って
だれにでもあって、
いかにそこを馳せ合って、
ともに生きられるか?
なんだと思うのです。
うまくいってるように見えるあの人も、
ほんとうは人知れず何か迷っていたり、考え込んでいたりするもの。
でも、わたしは自分がそうだったから
本当に、もうどんな人も‘一人で’抱え込んでほしくない。
もし受けとって、前に進んでいくためのヒントが
もうすぐ目の前、そばにあるのなら
遠慮なく掴んで、もう独りだけで悩まれてほしくないと願っています。
たぶん、わたしはもしかしたら
‘難なく、いつも楽しそうに書けている幸せな人’
に見えるのかもしれない。
もちろん、その部分が大部分に大きいのですが、
でも、もちろん‘それだけ’じゃなくて…
自分なりに、きちんと自分と向き合って、
ときにお人の手を借りながら、支えありきながらだからこそ、
続けてこられているのがほんとうの事実で。
いつのまにか、‘そっと’noteを去られる方…
書くことや表現すること自体を、
「自分一人の中だけの答え」で完結されて
「どうせ、自分一人が消えたところで…」と
書くこと=人や世界とつながって生きること(いのち)を
あるとき‘スッと’カンタンに止められる…方も
どうか、その前に
「まず、だれかの手を借りてみる」
を選択肢に入れてみてほしいなと感じています。
もちろん、人はいろんなバランスの中を生きていて、
書くことを卒業することが、なにかの祝福(達成)とつながっているなら
もちろんいい♪
でも、それは本当に稀なケースで、
「ほんとうは、続けたい」「続けたかった」と思われる方のほうが
多いんじゃないかなと感じています。
‘媒体’を変えたなら、それで全部済むのでしょうか…?
あなたの更新が、途絶えること。
それは、けして‘あなた一人’だけの世界じゃない。
まわりにいる、これまでのファンの方や
またこれから出逢えるご縁ある方との出逢いも、本当は待っているかもしれないのに、
だれにも相談せず、「自分一人だけで」書く答えを完結されること…
どうか、そんな方が一人でも減りますように、
祈りも込めて、書かせていただきました。
わたしは、いつもうまく「書けずに悩んできた自分」も、
素直に書き出せるようになってこれた自分も、どちらもおなじように
愛しています。
だって、そんな自分がいたから、コツコツの場数の積み重ねで
届けられる記事を書ける、自分に成長できたのだから…
その場数は、きっと人より何十倍も、何百倍も多いという
ヘンな自負(自信?)がありますが、
もし、「表面」だけ、見つめられると わたしもツライです…
「うまくいっているように見える人も」
口には出さないだけで、陰でいろんなことを越えてきているのです。
だから、もし
おなじようなプロセスにいらっしゃる方がいたら、黙っておられないのです
「書く」バトン、どうか次にお渡しできたら幸いです。
***
そして、何度も書くセリフかもしれませんが
「わたし」の事例などどんどん越えて、どうかご自身だけの星を見つけられ
さらにさらにその先へお進みなられてくださいね。
ここに書いてあるのは、‘人’としての書くときの‘原点’部分でもあります。
「書くテクニック」的なことではないので、
「書く時のあり方」からとおして、ほんらいの素直な自分をとりもどす
そんなきっかけにもなれましたら、ほんとうに素直にうれしいです。
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