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故郷の代わりだった場所のこと
故郷を持たない私には、
たとえば生家が取り壊されたり、天災によって帰る場所を失ったりする辛さはわからない。
幼少期から各地を転々としていた。
出会う友達や土地とは、愛着を抱いたが最後、もれなく別れが待っていた。
幼いながらに抵抗したような記憶もあれど、そのうち、諦める癖がついた。
だがしばらく生きているうちに、
愛着のある場所と出会う機会に恵まれた。
そんな私にとって特別で、最も愛着のある"
庭劇団ペニノ"蛸入道忘却ノ儀"に寄せて
いろいろなひとにオススメする予定だった庭劇団ペニノ"蛸入道 忘却ノ儀"の東京公演が、消防署の指導が入り中止になったことを受けて、
自分用の覚書をアップしました。
三重と福岡公演は実施とのことで、舞台美術やパフォーマンス、儀式に関心のある方は、チャンスがあればぜひみていただきたいです。
http://niwagekidan.org/performance_jp/892
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通
新しい曲となぜ出会い続けるべきか
わたしたちの半数は、どんなにあがいても、留まれない動物だ。
戸惑うほどに曲はあなたに問いかける。
たった一人で自問していてはたどり着けないところへ、連れて行ってくれる。
歌い手と曲と、二人三脚はなぜ成り立つのだろう。
心身の虚偽の申告を一つずつ丁寧に暴いていった先に橋がかかり、そこからすべてが流れ出す。あとは外から誰が何をする必要もない。
Humble me More -創作の悲哀
曲をつくることは悲しい。
昨今、今年中にまとめたいと願っているアルバムの曲をつくったり、また録音したりしている。
1曲目に入れようとしている曲は、ギターで書いた雨の曲だ。雨がどれだけ、人を(というかわたしを)謙虚にしてくれるか、歌っている。
弾きながら口をついて出た言葉をそのまま歌詞にしたのだが、
いま改めて聴くと、あらゆる後悔が織り込まれている。もっと心地よく、寛容でいられたのに。堂々とで
脈絡もなきペンギンでは茶を濁せぬ夏かな。
日々。
脈絡なくいろいろなことに手を出しているようでいて、実は根底で繋がっている…というわけでは必ずしもない。
うっかり繋がったらハッピー&ラッキーなのだが。
残念ながら、人生には、時間と労力を注いでトライしたのに血肉にならないことがいくらでもある。
たとえば継続したいと考えて、ちょっとだけ手を出した物事がわたしにも数えきれないほどある。
ストイックになりたての頃は、そういえばそのことが