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音楽家のエッセイ

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展示に足を運ぶとき

展示に足を運ぶとき

批評とは何か、といつも考える。

あるべき批評は、作り手の新たな可能性を開くことがある、と信じている。
そのような芸術家と批評家の接触を稀に目撃することがある。心が躍る。

その一方で、密やかに一人の市民として芸術を愛し、体験の謎に心をときめかせ、
ある種アンサーソングともいうべき曲を幾つもを作りながら生きている、
自らの草の根の活動には誇りを持っている。

「アートの見方」、というものがある。

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故郷の代わりだった場所のこと

故郷の代わりだった場所のこと

故郷を持たない私には、
たとえば生家が取り壊されたり、天災によって帰る場所を失ったりする辛さはわからない。

幼少期から各地を転々としていた。
出会う友達や土地とは、愛着を抱いたが最後、もれなく別れが待っていた。
幼いながらに抵抗したような記憶もあれど、そのうち、諦める癖がついた。

だがしばらく生きているうちに、
愛着のある場所と出会う機会に恵まれた。

そんな私にとって特別で、最も愛着のある"

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頬を殴る芸術ー自己破壊、自己変革としての勉強

頬を殴る芸術ー自己破壊、自己変革としての勉強

学ぶことは常に恐ろしい。
今この瞬間知り得ることによって成り立つ自分自身を乗り越えないことには、
新しい可能性に目を開くことは不可能だ。

古い皮を脱ぎ捨てることでしか自由になれない、という感覚は年々強くなる。

先日、ケンタッキー州ルイビルで、
デモの最前線に列をなし、Black Protestor達を守るように立ちはだかる白人女性たちの写真を目にした。

"This is what you d

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I am weak but I can sing -"Singing Reed"

I am weak but I can sing -"Singing Reed"

"Singing Reed”は2014年に生まれた。
それまでの作曲は常に誰かに編曲をしてもらったり演奏をしてもらっていて、
やっと自力で曲をかけるようになってから書いた、2曲目の曲だ。

Blais Pascal(1623-1662)の人間は考える葦であるというフレーズにちなみ、
私は弱き葦でしかないが歌う葦である、と歌っている。

思えばこの曲が創作の原点にあった。
今も変わらず、同じことを形

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カフカはピラティスをしていたか/dance tight/踊れない身体

カフカはピラティスをしていたか/dance tight/踊れない身体

踊れない身体を何十年も、持て余している。

悲哀と諦念と嫉妬が詰まった、血を抜くことすら許されない腐りかけの身体が残念で、すぐにでも手放したいと日々感じている。
だから、というわけではないが強烈に身体性そのもの、あるいは身体という表象の可能性に惹かれてperformance theoryを専門に選択した。(と、今となっては思う)

動、の肉体/身体。
静、の肉体/身体。

いずれも

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信頼と回復

信頼と回復

いま録音している曲について。思うところあり、筆をとる。

先日、デモを録音したところ、
口に出せない言葉が入っていることに気づき、まるで縁に立っているような歌声が録れた。
当たり障りのないテイクで覆い隠したいところだが、もうせっかくだから恥ずかしげもなくそのまま残してしまうか、という気持ちでいる。

自分で書いた曲なのに、自分で書いた言葉に現在の自分自身を問われる状況は、少しおかしい。

この曲を

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庭劇団ペニノ"蛸入道忘却ノ儀"に寄せて

庭劇団ペニノ"蛸入道忘却ノ儀"に寄せて

いろいろなひとにオススメする予定だった庭劇団ペニノ"蛸入道 忘却ノ儀"の東京公演が、消防署の指導が入り中止になったことを受けて、
自分用の覚書をアップしました。

三重と福岡公演は実施とのことで、舞台美術やパフォーマンス、儀式に関心のある方は、チャンスがあればぜひみていただきたいです。

http://niwagekidan.org/performance_jp/892

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新しい曲となぜ出会い続けるべきか

新しい曲となぜ出会い続けるべきか

わたしたちの半数は、どんなにあがいても、留まれない動物だ。

戸惑うほどに曲はあなたに問いかける。
たった一人で自問していてはたどり着けないところへ、連れて行ってくれる。

歌い手と曲と、二人三脚はなぜ成り立つのだろう。
心身の虚偽の申告を一つずつ丁寧に暴いていった先に橋がかかり、そこからすべてが流れ出す。あとは外から誰が何をする必要もない。

パフォーマンスと儀式のこと

パフォーマンスと儀式のこと

儀式が好きだ。
と言っても、葬式や結婚式に参列することに関心があるわけでは決してなく、
儀式という概念そのものに、とても関心がある。

だからなのか、大学院時代の修士論文では二重三重にも「儀式」的であると言っても過言ではないような
宗教の音楽儀式を模した儀式について、取り扱った。

信仰のない民族の儀式をauthenticな儀式たらしめているものは、一体何なのかを考えている。
参列者のほとんどがク

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Humble me More -創作の悲哀

Humble me More -創作の悲哀

曲をつくることは悲しい。

昨今、今年中にまとめたいと願っているアルバムの曲をつくったり、また録音したりしている。

1曲目に入れようとしている曲は、ギターで書いた雨の曲だ。雨がどれだけ、人を(というかわたしを)謙虚にしてくれるか、歌っている。

弾きながら口をついて出た言葉をそのまま歌詞にしたのだが、
いま改めて聴くと、あらゆる後悔が織り込まれている。もっと心地よく、寛容でいられたのに。堂々とで

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新しいシングルのこと

新しいシングルのこと

先日、"Letter to Sing"というタイトルのシングルをリリースした。

曲を解説する行為は、創り手にとって恥ずべき行為である、という言説は確かに存在する。

そもそも言語では"足りない"から音にするわけで、それをまた不足した言語で再定義し直すことは、無限の監獄に自ら創作物を招き入れることと同義であり、そのループに即すれば確かに凝縮されていく思想もあろうが、たいていの場合は密度に耐えき

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一度へたになることを許すためのノート

一度へたになることを許すためのノート

得たものと失ったものが人生を形作っている。音楽と煙に塗れた一日。
ひとつの節目を迎えた日のことを、己のために書き残しておこうと思う。

"integration"という概念は、論文を書いていた頃から永らく通奏低音のように心にあるテーマだ。それが年明けごろから再び扉をノックしている。
2017年の1月から6月までの間、わたしの人生で大きく動いたことが二つあり、そのそれぞれが偶然でしかないように見える

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脈絡もなきペンギンでは茶を濁せぬ夏かな。

脈絡もなきペンギンでは茶を濁せぬ夏かな。

日々。

脈絡なくいろいろなことに手を出しているようでいて、実は根底で繋がっている…というわけでは必ずしもない。
うっかり繋がったらハッピー&ラッキーなのだが。
残念ながら、人生には、時間と労力を注いでトライしたのに血肉にならないことがいくらでもある。 
 
たとえば継続したいと考えて、ちょっとだけ手を出した物事がわたしにも数えきれないほどある。

ストイックになりたての頃は、そういえばそのことが

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物語について

物語について

物語について、わかったことがある。

物語には、犠牲が必要だということ。
犠牲を払ったところから、犠牲に価値を与える物語というものの存在がちらつく。

犠牲を払わずに暮らしていけば、どんどん物語が不要になっていくのかもしれない。
#エッセイ #音楽家のエッセイ