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AKIRAとは|漫画・アニメ映画の両方について「何がすごいのか」を徹底解説

「ジャパン・カルチャー」といえば、今やフジヤマ、サムライ、スモウレスラーよりも先に「アニメ」「マンガ」がくる。

しかしもともとは、アニメもマンガも海外で生まれたメディアである。以下の記事でアニメやマンガの起こりを書いています。

ただ、今やマンガ・アニメといえば日本を代表するカルチャーであり、最近は「日本アニメを楽しむ海外オタク」の動画をYouTubeで観ることも増えた。

では、なぜ日本のアニメ文化がこんなにも海外でヒットしたのか……。その立役者は間違いなく「AKIRA」だ。「AKIRA」は当時珍しく、マンガ版・アニメ版ともに日本とほぼ同時に、海外でリリースされ、特にアニメは海外で大人気となった。

私自身「AKIRA」はアニメ版もマンガ版も大好きだ。何回見ても、あのSFさに少年心が踊り、アクションに冷や汗が出る。絵の緻密さに「すげえ〜」と声が出るし、クールなデザインに憧れるわけだ。

今回はそんなジャパンアニメの金字塔「AKIRA」という作品について、漫画版とアニメ版に分けたうえで「いったい何がすごいのか」「なぜ評価されているのか」を観ていこう。

マンガ版もアニメ版も、それぞれが革命的なので、どちらか一方なんて書き方はできない。もう欲張っちゃって、たっぷり両方とも紹介しますね。

マンガ版・AKIRAの登場に、日本中が驚いたという話

まずはマンガ版の「AKIRA」について紹介していこう。そもそも大友克洋の漫画デビューは1979年。「ショート・ピース」という短編集だった。

「大学生の集まりが、実は異星人の集まりだった」「とんでもなくリアルにカニバリズムをする青年」など攻めっ攻めの短編集だ。1981年、代表作の1つ「童夢」を刊行。こちらは超能力ものであり、大友克洋はSFのマンガ家というイメージを強くする。

「AKIRA」が登場したのは1982年のことだ。当時は少年マンガ全盛期。ジャンプ・マガジン・サンデーが台頭していた時期だった。

そんななか1980年に「週刊ヤングマガジン」が青年向けに創刊する。創刊号の漫画家は以下の通りだ。

これらの漫画家の共通点の1つとして「線が太くて劇画チックな絵」がある。背景の書き込みというよりは、人物画に集中してダイナミックで熱いマンガを描いた。この創刊号で推している「ちばてつや」は「あしたのジョー」「のたり松太郎」など男くさくて熱苦しい作品ばかりでしょう。

いっぽう大友克洋のマンガは「絵」も「ストーリー」も、ものすごく斬新だった。その新しさに彼は「ニューウェーブ(新しい波)」といわれる。何が新しかったのかを先にまとめよう。

大友克洋が日本マンガ史で起こした革命

・線の太いダイナミックな絵→細くスタイリッシュな絵に
・人物画にフォーカス→背景の緻密さ
・イケメン・美少女→どこにでもいる東洋人に
・人の顔や体は記号→アート並みのデッサン
・コマの大小で動きを表現→1枚絵だけで動きを表現

マンガ版・AKIRAが起こした「マンガ絵」の革命

まずは「大友克洋の絵」について。大友克洋の特徴として「線の細さ」がある。当時は劇画ブームで太い線が主流だったが、とにかく線が細く、背景の書き込みが多い。これは日本マンガよりも当時のアメリカ映画やフランス漫画(バンドデシネ)に影響を受けたからだ。ちばてつやの絵と比較してみよう。

ちばてつや「あしたのジョー」

大友克洋「AKIRA」

どうでしょう。大友の絵はちばの絵に比べて、決して過剰じゃない。細い線で緻密に描かれているのがわかるだろう。

また大友作品の登場人物は、顔も体も、めちゃめちゃ東洋人かつ一般人だ。特別イケメンでも可愛いわけでもない。平らでのっぺりして足が短い、どこにでもいる日本の若者なのだ。これも当時のマンガ界において珍しかった。

そして何より「絵が半端じゃなく上手く、手塚治虫の表現を美術デッサンレベルまで昇華させた」のが最大の功績だろう。彼の絵の上手さに、手塚治虫がジェラシーを感じて「僕は君の絵は描けるよ。諸星大二郎の絵は描けないけどね」と言ったそうだ。

もともと手塚治虫の絵は「記号」だった。手塚は自分で「僕のマンガは絵じゃない」と言う。それはディズニーやらフィリックスといった海外アニメをヒントに〇、△、▢などの記号を組み合わせたものだったからだ。ミッキーとアトムってなんかちょっと似ているでしょ?

これはキャラクター論として日本では北沢楽天、田河水泡からはじまる表現技法なんだけど、長くなるので端折ります。

とにかくそれまでのマンガは「2Dの記号」だったわけだ。しかし大友克洋の絵は3Dであり、陰影によって鼻の高さ、頬のしわなどがすんごい細かいのである。よく「しわ」で称されるので、1960~80年代まで比較してみよう。

手塚治虫のしわの描き方

藤子不二雄のしわの描き方

ちばてつやのしわの描き方

大友克洋のしわの描き方

明らかに大友克洋の絵のレベルは高い。ただ手塚治虫はあえてキャラクターっぽく簡略した「記号」を描いていたので、たぶん描こうと思えば本当に描けたのだろう。それにしても、実際にこのレベルの絵をマンガで描いたことが発明だった。

このデッサンがあると、1枚絵で勝負できるわけである。それまでがコマの大小などでマンガの”動き”を表現していたが、大友克洋はどかーんと見開きなどで勝負をしはじめたのだ。背景の緻密さも含めて、大友克洋の画力がないとできない。

このように大友克洋の登場で、日本マンガはガラッと変化した。なので日本マンガ史は「大友以前、大友以後」という呼ばれ方をする。

マンガ版・AKIRAが起こした「雰囲気」の革命

私物の写真ですみません。

また、AKIRA……というか大友克洋というマンガ家は当時の男臭いマンガ全盛の時代において、ものすごく冷めた物の見方をした。

むしろ「AKIRA」は、まだ熱い友情を感じる部分がある作品だと思う。しかしデビュー作の「ショートピース」の1話目をみると、その冷めた視点がよく分かる。個人的には大友作品で、この話がいちばん好きです。話のあらすじはこうだ。

大学生四人が宅飲みをしている。そろそろ寝るか、というときに「誰にも言ったことない秘密を語ろう」となる。1人が「俺、金星人なんだよね」と言うと「お前もかよ」と2人目、3人目と実は宇宙人であることを暴露し始める。

すると最後の茂正という奴が「俺はお前らを取り締まる宇宙パトロールのシゲマだ!」とコスチューム姿を見せる。しかし3人とも信用しない。そこでシゲマは変なコスチュームのまま、電車で3人を海まで連れて行き、海中から巨大円盤を呼び出してみせる。最後は「面白かったな」と笑いながら、4人で帰っていく。

この話を読んだとき、全身の鳥肌が立ちまくった。大友克洋はすごいな、と。この話はハリウッドだったら地球vs宇宙くらいのダイナミックスケールで描かれるに違いない。

それを、四畳半を舞台にその辺の貧乏大学生で描き、ほぼ何の事件も起こらないように描いたのだ。すごくクールでミニマルであり、オシャレさすら感じる。これが大友克洋の「冷めた視点」という発明なのである。当時の「熱いマンガ」とは対称にあった。

アニメ版・AKIRAの登場に世界が驚いたという話

では、続いてアニメ版・AKIRAについて語ります。AKIRAのヤンマガでの連載は1882~1890年まで連載するが、1988年に映画アニメ化される。なのでマンガ版とアニメ版ではラストが違う。

冒頭でも書いた通り「ジャパン・カルチャー」にアニメが加わった理由は「AKIRA」が世界的にヒットしたからだ。ではなぜヒットしたのかを、これまた手塚の時代から見ていこう。

AKIRAが世界的にアニメで認められた理由

・そもそも海外向けに力を入れていた
・絵・音楽含めて日本(東洋)の世界観を打ち出した
・子ども向けリミテッドアニメ全盛期に、大人向けのフルアニメを作った
・異例ともいえる10億円の制作費をかけた
・セル画枚数は15万枚。日本にないほどのぬるぬる動くアニメだった
・海外では主流だった、セリフが先で作画が後の「プレスコアリング」を採用した

アニメ版・AKIRAの前には「鉄腕アトム」という存在があった

そもそも「アニメ版・AKIRA」が果たした功績に触れるためには「白雪姫」のことを書く必要がある。ウォルト・ディズニーの「白雪姫」は、世界で最初に作られた長編アニメだ。総セル画枚数は脅威の25万枚。750人が1日15時間働いて、4年で作り上げたということは以前の記事でも紹介した通りです。

ディズニーに影響されたのが手塚治虫だ。彼は「白雪姫」を50回以上、さらにその後の「バンビ」は80回以上観たそうだ。手塚治虫はこの体験を踏まえて「日本も負けちゃいらんない。世界で通用するアニメを作る必要がある」と感じた。

彼は当時「アニメは空気のようになる」と言った。呼吸するようにアニメを見るようになる、という予言をしていたわけだ。

手塚治虫は1963年にマンガで得た収益を投じて「鉄腕アトム」を作るわけだ。アトムはリミテッドアニメの手法を駆使することで、世界初・1話30分のテレビ放送を可能にする。

アトムは「アストロボーイ」と呼ばれアメリカでも高評価を得る。ウォルト・ディズニーもアトムを観ており、手塚に「SFロボットものは、これから少年の心を掴むテーマだね。私も作ろうと思うよ」と称賛を伝えた。

では「日本アニメを世界に」という、手塚の悲願は達成されたのか、というと残念ながらそうではない。アストロボーイ以降、日本アニメがアメリカで話題になることはなかったのだ。

というのも、1960〜70年代の日本アニメは基本的に「子ども向け」だ。「アニメはあくまで玩具・グッズを売るための宣伝道具」だったので、海外に飛び立てるような作品性の高いものは生まれなかったわけである。これは先述した「マンガ記号論」にも通ずる。子どもに愛されるかわいいキャラクターを出すことが、アニメの意義だったわけだ。

しかも1秒間あたりのコマ数が少ないリミテッドアニメばかりだったので、作画・セル画枚数も少なく、ディズニーなどに比べると高品質なものとはいえなかった。

アニメ版・AKIRAは「西洋が知らない世界」を貫いて成功した

そこに1888年、アニメ版・AKIRAが登場する。この作品の制作費はなんと10億円。セル画枚数は15万枚にもなった。しかも、海外のフルアニメでは主流である、先に声優の声を録って後から絵を合わせる「プレスコアリング(全編プレスコアリングは日本初)」を採用。なので口の動きもまったく違和感がない。あり得ないほど、すんごい手間暇をかけて作ったのである。

しかも1988年12月の国際映画祭への出品に合わせてさらに1億円追加して大友克洋自身が200枚の画を描いた。このときにエンドクレジットなどもすべて英語表記に変更。海外志向として「AKIRA」を出すわけである。

もっというと作中音楽も素晴らしい。「らっせーらー!らっせーらー!」でおなじみの日本的な音楽は芸能山城組が担当した。ちょっと任侠っぽさも感じるキャラの濃い音楽だが、作品を邪魔していない。

音楽面でも世界的に高い評価を得ることになることになる。後年、エヴァンゲリオンも音楽から流行ることになるが、やはりアニメには音楽が大事なのである。

AKIRAは1989年末にアメリカで公開。鉄腕アトムのときと同じく、アメリカで大ヒットすることになる。またビデオが世界で10万本の売り上げを記録した。このヒットの裏には「西洋が知らなかった東洋の刺激を伝えた」という事実があった。

手塚治虫はディズニーを目指してアメリカに寄せたアニメをつくった。しかし西洋の方からすると「もうウチの国にあるよそれ」という印象だったのだ。アトムの後にジャパニーズアニメが流行らなかった理由としてこのことがある。

しかし「AKIRA」の世界はまだ見たことなかった。東洋風の顔、日本風のBGM、荒廃した東京の街並み、そして20世紀末ならではの終末感。西洋人に未知の世界を見せたことが、AKIRAが世界で認められた理由だ。

そして時代は国際放送が可能になっており、AKIRAをきっかけに日本のアニメーションは世界で放映されるようになるのだ。AKIRAが灯した火をさらに大きくしたのが、大友の同期・鳥山明の「ドラゴンボール」である。このころから世界的にオタク文化が広まっていき、今に至るわけだ。

面白いのはAKIRAの後、1995年に大友克洋が発表した「MEMORIES」という作品は、そこまで世界的に評価されなかったということだ。なぜならほぼ同時期にリリースされた「攻殻機動隊」のほうに関心が集まったからである。

「攻殻機動隊」もまた日本文化を前面に出した作品だ。後年、ハリウッドで実写化されたが、芸者ロボや座敷での戦闘シーンなど、ジャパンカルチャーをこれでもかと強調していた。

「MEMORIES」より「攻殻機動隊」がヒットしたことを見ても、「AKIRA」が世界から評価された背景には「西洋人が知らない日本のカルチャー」を押し出した点があったのだろう。

日本のアニメ・マンガを世界に伝えたAKIRAに最大の賛辞を

2020年、またAKIRAがプチブームになった。その理由は「東京五輪中止を予言したから」。

ただ個人的に、大友すげえ〜と思ったのは、予言そのものより「国民が東京五輪を冷めた目で見ている」という点が合致したことだ。大友克洋の代名詞ともいえる「クールな物の見方」というのが、がっちりハマったからだろう。

それは予言者としての凄さではなく「まだ誰もやってないこと」を成し遂げたからだ。その結果、日本マンガ界にも、世界アニメ界にも革命を起こした。やたら「予言」で騒いでいたが、大友克洋の素晴らしさは、そんな一過性の事実ではない。カルチャーの歴史そのものを変えたことが、彼の凄さなのである。

2021年5月公開予定だったAKIRAのハリウッド実写化は白紙に戻った。たしかに実写化すると、SFアクション映画として、絶対おもしろい映像になる。それは、AKIRAのシナリオが何回見てもおもしろいからだ。

ただAKIRAがなぜ後世に語り継がれているのか、というと「マンガ」「アニメ」というメディアにおいて、とても優れた表現を残したからである。私はそこにこそ「AKIRA」という作品の凄みを感じる。

マンガやアニメ好きな方は、言うまでもなく「AKIRA」を観ておくべきだと思う。そしていま一度マンガ版の絵の細かさ、アニメ版の日本の雰囲気などに注目してほしい。

すると「AKIRA」が当時いかに斬新な作品だったのかが、分かってくるはずだ。

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