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大友克洋の「童夢とAKIRAより前」の出世作について熱く語らせてくれ

「2022年 大友克洋全集刊行」

渋谷駅ハチ公口改札でバカでかポスターを見て、ちょい鳥肌が立った。かっけェ……。なんだこのロゴ。すげぇいいじゃん。買うしかないじゃん。

ハチ公前のバカでかポスター

言わずもがな大友克洋は完全にレジェンドだ。特に私たちサブカルゆとり世代からしたら「AKIRA」は、もはや聖書である。アーメン。

私の体感だが、文化系サブカル大学生の家に、AKIRAがある率は80%超えてる。まじで文科省のほうで、文化系サークルに属している人に向けて統計とってほしい。AKIRAは浅野いにおの横に置いてあるから。

ただアレだぞ。「え〜AKIRA好きなんや! あれ、鉄人28号のオマージュなんだよ〜」とか話を広げるのはNGです。彼らのなかで実際AKIRAを読んでいるのは30%に満たない。実はそんなに大友克洋に興味ないのだ。

でもAKIRAは、なんか「サブカルとして持っておきたい」のである。「俺はサブカルだぞ」ってのを誇示するうえで家になくてはならないのだ。

ヲタサーの姫的なショートカットベレー帽女子が遊びに来る時に「え? え? 嘘でしょAKIRA知らないの? 絶対読んどいた方がいいよ〜」的な感じでドヤりたい。あと、サブカルクソ大学生恒例のマウント合戦に備えて「いや俺、AKIRA持ってるけど」という切り札を持っておきたい。

もうゆとり世代以降のサブカル大学生的にAKIRAは完全にインテリアと化している。

そんな「生きるレジェンド」な大友克洋さんは、どうしても「Fire-ball」「童夢」「AKIRA」といったSF巨編のイメージが強い。

あの「わけがわからんエイリアン的な化け物」とか「見開き2ページを使った大爆発シーン」などが頻繁にフィーチャーされる。AKIRAから40年経っているが、いま見てもえげつない画力だ。

なにこれマジで。描き込みどうなってんのこれ

ただ、そんな大友克洋のSF作品はもう語り尽くされまくっていて、ちょっと「いまさら感」がえげつない。そこで今回はあえて、大友克洋の初期作品について、2作品あげながら語らせてほしい。ちなみにAKIRAについては以下の記事でしっかり目に紹介しています。

大友克洋の何が新しかったのか

大友克洋先生

大友克洋は1970年代からマンガを出すようになる。中学までは漫画家を目指していたが、実は高校生から映画監督志望。映画監督を目指して宮城県から上京したが、映画を撮る資金もないし、映画監督になる方法がわからないということで、双葉社に漫画を持ち込んだのがきっかけだったという。

デビュー作は1973年の「銃声」。海外文学のコミカライズだった。このころはまだ劇画的なタッチが残っている。

銃声(芸術新潮より)

その後もかなりのハイペースで読み切り漫画を掲載しまくっていた大友克洋は、1970年代半ばにマニアの間で「なんかさ、漫画アクションで描いてる、絵が死ぬほど上手い漫画家がいるらしいよ」と話題になった。

そんな彼が世の中的に有名になったのは1979年、「ショートピース」と「ハイウェイスター」という2冊の短編集を刊行したときだ。この2冊は新人としては異例なくらい売れたという。

ショートピース(新装版)

この短編集の衝撃は、もういろんな著名人が「とにかく新鮮だった」と語っている。

なぜか。をざっくりとご紹介しよう。1950年代の手塚治虫からここまでの30年間、漫画絵は「どこまでデフォルメすべきか」ってことばかり取り沙汰されてきた。

「極端にデフォルメした子ども向け記号絵」なのか、リアルな大人向けの劇画なのか。マンガらしい絵はなんなのかってことを、ずーっと議論していたわけです。

キャラが三頭身くらいで○△□で構成された子ども向けの絵
比較的デフォルメの量を減らしリアルさを求めた劇画
両方をミックスしてギャグを生み出した手法

そんななか、以下のような大友克洋の絵が出てきたわけである。一言でいうと「デフォルメのまったくないリアルなタッチ」だった。

「デフォルメ」とか「マンガらしい絵」とか、そんなんがバカらしくなるくらいリアルで、繊細な絵だったんです。もちろんこれは画力の高さが並外れていたからこそできた表現だった。

まず、多くの読者が驚いたのが「キャラの顔面」。限りなくリアルに近い日本人の顔で、のっぺりしてて一重。主役だというのに激バリの塩顔。まったくキャラクターがなかったのだ。

また「超3D」だったことも、当時の日本人はみんなびっくりした点だ。例を挙げるとすると、デビューよりちょっと後の作品だが「童夢」の見開きの団地は今見ても「漫画のレベル」を超えている。

私は20歳でこの絵を見てから、10年間脳みそから離れてくれない。ちなみにこの「効果音を吹き出しにする」というのも、彼の発明の一つである。

童夢の名シーン

大友克洋という人は「目」が優れていた。以下のアシスタントとのエピソードは有名だ。

大友がヘリコプターを描いた。ただ角度が気に入らなかったので、アシスタントに「ちょっと別角度で書き直しといて」と指示を出した。アシスタントは「模型がないと無理ですよ」と答えたら、大友は「簡単だよ。頭の中で回転させればいいんだから」と答えた。

この天才的なデッサン力と目が、やはり大友ショックの根源だったわけだ。もちろん単純に絵が上手い。ただこのレベルの絵を描ける漫画家は他にもいただろう。

手塚治虫が嫉妬して「君の絵なら描ける」と言ったのは、たぶん強がりじゃなく、本当に描けたのだ。

ただ、世の中的に「記号絵か劇画化」ってそればっかり考えていて、ここまでリアリティのある漫画を描こうって気にならなかった。これはコロンブスの卵的な偉大さがあるといえる。ここからマンガは「大友以後」と呼ばれる時代に突入するわけだ。

つまり大友克洋の出世作って、実は「童夢」や「AKIRA」じゃないんですね。今やAKIRAばっかりが一人歩きしている感じだが、実は「ショートピース」や「ハイウェイスター」という短編集が漫画史的にとても大事な作品だと思うんです。

このとき、大友はSF巨編ではなく、若者の堕落しきった青春の話などをよく描いていた。

ショート・ピースで「すげえ」と思った2話

宇宙パトロール・シゲマの扉絵

ここからは、ホントにただのオタクの話になっちゃって恐縮なのだが、そんな大友克洋初期短編集、なかでも特に好きなショートピースから、私が好きな2話を語らせてほしい。

宇宙パトロール・シゲマ

あらすじ
新年会で4人の男が集まって麻雀をしている。そのうち話の流れで「それぞれ秘密を言い合おう」となる。1人が「俺は金星人なんだ」とコップを宙に浮かして割る。隣のやつが「俺は水星人なんだ」と冷たい酒を熱湯にする。もう1人は「火星人なんだ」と人間の皮をとって火を吐く。それを聞いた茂正が笑い出し「俺は宇宙パトロールだ」と宣言してコスチュームに着替える。「嘘つけ」とバカにされた茂正は「円盤を見せてやるから海まで来いよ」と。それでみんなで電車に乗り、海に向かうことに。3人はついてきたものの、シゲマが変な格好をしているためジロジロ周りから見られるので不平を言いまくり、完全にしらけきっている。途中でついてきた子どもを含め海に着いた5人。茂正がふんばると、海中から巨大な円盤が現れる。「やった」と茂正。すると、変な間が空いて4人は笑い始める。「いやぁ最高の新年会だったな〜」と笑いながら帰るなか、子どもだけが「やっぱり宇宙人はいたんだ……うん!」と円盤を見ていた。
大友克洋「ショート・ピース」より

私は大友マンガでこの作品がいちばん好き。ショート・ピースの1話目なのですが、これを読んで一気にやられた。SFやナンセンス、シュール、特撮まであらゆる要素が詰まった「なんだかわからんけど笑える」話だ。

宇宙人という超大スケールな話を四畳半のレベルまで落とし込んでいるのが、とんでもなくおもしろい。宇宙パトロールなのに「ベルトとヘルメットは…」つってコスチュームを押し入れから探したり、電車移動して、みんなに笑われたり……。あり得ない話をあり得るレベルで描くってのは、やっぱりものすごく楽しい。

また描写がとにかくリアル。「秘密を話そうぜ」の前にしっかりと「バイト先から焼き鳥を失敬してきた」とか「女にふられた」とか「よくある23歳男子の会話」を入れてる。これによって、宇宙人の話がものすごくシュールに見えてくる。もちろん描写も細かく、エアコンの室外機の横に酒瓶があったり、南浦和駅の前に立ち食い蕎麦屋があったりと細かい。

オチらしいオチもなく「みんな本当に宇宙人だったのか」ってのも、明かされない。それも何だかおしゃれですよね。「そんなことはどうだっていい」っていう、ものすごくはるかな目線で書いてくれているのが痛快でたまらん。「これこそセンスだなぁ」と思った大好きなお話です。

NOTHING WILL BE AS IT WAS

あらすじ(ちょいグロいです)
物語は頭から血を流す死体の絵から始まる。血のついたトンカチが転がる。息遣いの荒い男の「はッ」というセリフとだけで2ページが進む。震える体でタバコに火をつける男。次第に笑いが込み上げてきて足の裏で死体を踏みつける。「バカ?ウスノロ?そんなこと言ってたなお前おい。地獄に行きやがれ。何とか言え」と罵倒しながら、死体を踏みつけ、無理やり持ち上げては顔や腹を殴る。やがて我にかえり「何とかしなくちゃこの死体」とつぶやく。翌日。起きた男は「塩酸か、焼くかセメントか」と死体処理に悩む。ホームセンターで包丁とノコギリ、ナタを買って家に戻り、死体の血抜きをする。その日は死体を細々に切断する。数日後、男の家の住人が話している。「この前より太って顔色もいいみたい」「でも見たでしょう。僕の部屋の天井。人の血だって」。そのころ男は「手羽先にしようか。モモ焼にしようか……」と死体の調理法で悩んでいた。
大友克洋「ショート・ピース」より

完全にサイコパスものですね。ええ。マンガ表現としてすげえ斬新って思ったのは最初の2ページで。セリフは男の息遣いのみ。「はッ、はッ」というリズムと、コマ割りがものすごくリンクしてくるんですよ。連写みたいな。カシャっ、カシャって移り変わるんですね。

大友は「この時代は安部公房とか、倉橋由美子、寺山修司みたいに死を扱った作品があった。死体趣味があったわけじゃないですよ」と笑って語っている。ただ劇画タッチだとかなりグロくなりそうなんですが、大友作品の線の細さゆえに美しく見えてくる。

で、描写として個人的に「すげぇなぁ」と思ったのは、中盤で死体をボコボコにした主人公が一度眠り、干してある靴下が映されて、起きるっていうカットだ。

このシーンについて「今村昌平監督の映画の影響がある。自殺しようとしたけどなんか腹減って飯食っちゃう感じ」と大友克洋さんは振り返っているが、この感覚が素敵ですよね。ここ大好きなんです。

そうなんですよね。この極限状態と日常の自然さのコントラストがたまらなくいい。死体が横にあっても、眠いもんは眠いんです。

例えば以前、記事で書いたが、園子温節が爆発している「冷たい熱帯魚」も死体解体をテーマにした作品だ。あれだけ過度に演出すると、正直ちょい冷める。高笑いしながら死体の骨を切断したりね。完全に「外の世界のこと」ってのが自覚されて、最後のほうはもう「この人『カルト』って言ってほしいんだろうなぁ」とまで思えてくる。「見て!わたし変な人なんです!」っていう。

「うん、おっけおっけ、あなた変だね〜。かわいいね〜、よしよし」って感じ。あの、ミスIDのエントリー女を見てる感覚に近い。

その点、この話はなんか「わかるなぁこれ」っていう。それくらい自然なんですよね。いや死体を扱ったことないからわかんないですよ。でもなんか「ありそう」って思わせるリアルさ。これが大友節の真骨頂なんだと思います。

大友克洋全集のリリース順がめっちゃおしゃれさ

さて、そんな大友克洋は1980年に入ってから「童夢」「AKIRA」を描き始める。この辺りからみなさんがご存知の大友ワールドに入っていくわけだ。

ちなみにその背景には「ジャン・ジロー(ペンネーム・メビウス)」がいる。フランスマンガ・バンドデシネの巨匠である。大友克洋は1979年にメビウスを知ったそうだ。並べて読んでみると、明らかに1980年あたりから大友克洋の絵は変わったように思う。さらに線が洗練された印象だ。

メビウスの絵

メビウスは意外と日本での知名度が低いが、手塚治虫や宮崎駿も浦沢直樹も、みんな彼に影響を受けている。以下の動画の34分くらいからその話が出ています。

話を戻そう。今回は大友克洋の初期作品について紹介した。気になった方は今回の全集を買ってみてはいかがでしょう。

1月から11月にかけて計6回配本されるわけだが、まず最初が「童夢」と「AKIRA」で、これは発売中だ。

2回目が初期の「BOOGIE WOOGIE WALTZ」、3回目が「ハイウェイスター」、4回目が初の連載「さよならにっぽん」、5回目が初の本格SF「Fire-Ball」、でラストがデビュー作の「銃声」。

童夢とAKIRAから逆算して読んでいき、最後がデビュー作。すんごいおしゃれだよねこれ。全部買うことで大友克洋のルーツに近づいていくわけだ。

正直、世間的に見たら1回目だけ買う人がめちゃめちゃ多いだろう。でも私は初期の作品こそ、ぜひ買って読んでほしいと思っている。

これを読んでいるサブカル大学生諸君。そのインテリアと化したAKIRAをまず読んでくれ。そのうえで独特なユーモアと、極限まで嘘を省いたリアリティが詰まった初期作品に目を通してみてはいかがだろうか。

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