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#05 クラシック音楽史のあらすじと、ポピュラー史につなげるヒント

前回、「クラシックから今現在のポップスまでつながる音楽史を書きたいんです~!」という記事を書きました

さっそく西洋音楽史から書き始めようと思ったんですが、もう少しマエフリをさせてくださいw


ここまでの記事で書いた通り、問題意識として

・いろんなジャンルを比べるとき、
 一番初めに問題になるのが
 クラシックそれ以外の差。

・クラシック音楽史とポピュラー音楽史が
 分かれているから
 そのつながりがわかりにくい。

ということがあります。そこで、今回はクラシックとポピュラーの境目をどうやって調べていこうか?というところを考えます。


まずは大雑把な西洋音楽史の流れを。

まずは、音楽史を調べたら、だいたい1番初めに知るであろう、西洋音楽史の流れをここにもざっくり書きます。ひとまず、この流れを頭に入れてみてくださいね。


前史(~16世紀)
ルネサンスあたりまでが序章です。省略されることも多いです。


バロック(1600~1750頃)  
本編スタート。
バッハがメインの登場人物として描かれがち。 


古典派(1750~ 1820年代ごろ)
ハイドン、モーツァルト、ベートーベンの3人が代表。


ロマン派(19世紀)
急にいろんな人がたくさん出てくる。笑
クラシックの一番メインの部分だけど
多岐すぎてわかりにくくない?笑


近代・現代 (20世紀)
近代は「印象派」という言葉も有名なドビュッシーあたりが中心。
現代音楽は、「前衛音楽」「実験音楽」で、
これをもって「今に至る。」と締められるけど、納得感は無い。笑

個人的な感想が混じってしまいましたが。笑

このストーリーの世界観の中に入って、詳しく知っていきたい人はいくらでも情報があります。ヤマハのサイトとかにも載ってますし、YouTubeにもオリエンタルラジオの中田敦彦さんも動画を出してらっしゃいました。笑
他にもわかりやすい動画を出してらっしゃる方もいました。(文字のリンクから飛べます)。

ここでは、このストーリーの裏番組でポピュラー音楽のルーツが育つようすや、同時代のクラシック音楽の影響は必ずあるはず?という視点から、その接着点を探っていきます。

クラシック音楽=19世紀ヨーロッパ中心の物語
ポピュラー音楽=20世紀アメリカ中心の物語

ということを念頭に置いて読んでください。


共通の重要人物① フォスター

まったく別々の道を歩んだように感じる、ポピュラー史とクラシック史ですが、何人か共通して登場するアメリカ人がいます。

ポピュラー史は主に20世紀アメリカが中心ですが、その前史として19世紀アメリカでの重要なエンターテイメントがミンストレルショーです(また今後、詳しくやります)。人種差別問題とも関連するとてもデリケートな話題ですが、現在のポップスの一番源流になる、重要なルーツです。

そこで数々のヒット曲を生み出したのが
スティーブン・フォスター (1826 - 1864) です。
アメリカ音楽の父と呼ばれ、最重要人物なのですが

クラシック音楽史では、非常に影が薄いです。出てこないことも多く、出てきた場合は、ロマン派の中の「国民楽派」のところなどに少しだけ登場します。

ロマン派の「国民楽派」というのは、19世紀後半に、それまでの中心地ドイツ・フランス・イタリアだけでなく、ロシア、北欧、スペインなどでも民族的な雰囲気を取り入れた手法で作品を残して活躍した人たちを指したグループのこと。

クラシック的には、19世紀当時、ヨーロッパから見てまだ辺境だったアメリカとかいう田舎の作曲家はこのグループに入れちゃえ!という感覚だったのでしょうね。

クラシック音楽史を「書き残した人の視点」がここから見えてくる気がします。


共通の重要人物② スーザ

アメリカ音楽の重要な要素、ジャズのルーツはいくつかあるのですが、楽器やリズムの面、その歴史的経緯では軍楽隊の影響が一つの要素としてあると考えられます。

軍楽で演奏される音楽は、マーチ(行進曲)です。
その分野で活躍したのが、
「マーチ王」と呼ばれるスーザ(1854 - 1932)。

行進曲や吹奏楽は、クラシック音楽が大きく関連している分野にもかかわらず、クラシック音楽史にほとんど登場しない要素です。

なぜ登場しないのかというと、

①吹奏楽はアメリカで発展したから。
②軍楽は実用音楽で、鑑賞する芸術ではないから。

があげられると思います。

クラシック音楽がその歴史を書き残す際の基準・価値観と、存在しているはずなのに歴史上無かったことにされがちな音楽の存在が、だんだん見えてきませんか?


共通の重要人物③ ガーシュウィン

20世紀前半、アメリカのニューヨーク・ブロードウェイでミュージカルが発展しました。ミュージカルはオペラを源流としています。

オペラはクラシック史の重要な要素ですが、そこから発展したミュージカルはクラシック史に全く入りません。ここにも境目を一つ見つけることができるでしょう。

ニューヨーク・マンハッタンにはティン・パン・アレーという、音楽関係会社や楽譜出版社が集まる一角があり、そこで数多くの名曲が産まれました。ティン・パン・アレーにて、現在までスタンダード曲として残る、多くのポピュラー音楽を産み出した代表的な作曲家が、ジョージ・ガーシュウィン(1898 - 1937)です。

クラシックの作曲技法の知識は乏しかったポピュラー作曲家ガーシュウィンですが、実験的なコンサートのための作曲依頼を受け、ピアノ2台を想定して作ったものを、オーケストレーションのできる他の人に編曲してもらって完成したのが、ラプソディー・イン・ブルー

この作品が芸術作品として認められ、クラシック音楽史に残ることになりました。クラシック音楽史に登場するガーシュウィンは「クラシックにジャズの要素を取り入れた人」という印象ですが、ガーシュウィンは確実にポピュラー作曲家です。

ガーシュウィンは、ポピュラー作曲家で後にも先にも唯一、クラシックから認められて「西洋音楽史」に名前が残った人でしょう。なぜ受け入れてもらえたのでしょうか。今同じような試みをしても音楽史に名前が残る可能性はほぼ0%だと思います。


現在も残るクラシック音楽の技法

クラシックの流れを受け継ぐ現代音楽界では、今や鑑賞用とは思えない実験的なことばかりが試みられていますが、一方で、19世紀のような手法の作品が残されることはなくなったのかというと、そうではないことに気づきます。映画音楽の劇伴です。

スターウォーズのテーマなどを思い浮かべてください。まぎれもなくあれは、19世紀末の後期ロマン派の技法が引き継がれています。あまりにも有名なため、先入観がありますが、映画音楽だということを忘れて聴いた場合、曲調的にポピュラー音楽かクラシック音楽かを分類するなら確実にクラシック音楽に入るでしょう。しかし、あれは映画音楽であるがために、クラシックにはならないのです。

本家クラシックの流れを引き継ぐ実験的な「現代音楽」よりも、よほど19世紀ヨーロッパのクラシックを継承している映画音楽の流れを追っていくことでも、クラシックとポピュラーの境目が発生する過程が見えてくる気がします。


まとめ

フォスターの活躍したミンストレルショー、
スーザの活躍したマーチ・吹奏楽
ガーシュウィンの活躍したティン・パン・アレーの
ミュージカルとその源流のオペラ
そして映画音楽の歴史。

このあたりに注目してクラシック史とポピュラー史を読んでみると、
いろいろ見えてくるのではないでしょうか。

・・・という方針のもと、
次回こそは音楽史をスタートさせます。
どうぞよろしくお願いいたします。

お読みいただき、ありがとうございました。

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