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愛に臆病な私


2021/12/31

私は、思った。

私は、気付いた。

私は、宝物と過ごしたことがある。半年くらいだ。
それはとても、幸福な人生の瞬間であった。でも、その記憶は薄らいでいく。
人生の幸福というのは、いつも、何気ない瞬間なのかもしれない。

私には、娘と過ごした人生がある。

娘のオムツについて、急に、パッと浮かんだ。

私は、おしっこのオムツは替えたことがあるけど、うんこのオムツは替えたことがない。そのことに、ふと気付いた。私は、そもそも、親権を取るに足らなかったようだ。

私は、それくらいの人のようだ。

そして、これからの人生においても、子どものうんこのオムツは替えない。嫌なことはしない。それは、妻がすればイイ。「愛が足りない?」そうかもしれない。でも、夫婦はお互いの得意分野を活かすために在る。決して不得意分野を押し付け合うためじゃない。だから、私は、自分の嫌なことはしない。相手に任せる。

そもそも、私は、バツイチで、子どもとも長い間、会ってない。宝物を手放す経験をした私は、愛に臆病になってしまった。私は、もう、全力で、全身全霊で、命の限り、誰かを愛することはない。誰かを愛することができない。

私は、誰かが居なくなっても、傷付かないように、一歩引いている。どこかで、心の準備をしている。宝物を失くすということは、臆病になってしまうということだ。もう、あんなに傷つきたくない、私は、そんなに強くない。だから、あれから、いつも一歩引いている。この人も「いつか居なくなるかもしれない」って思っている。

世界に絶対なんてない、永遠なんてない。私にとっての世界は、例えば、色が一色欠けた世界なのかもしれない。青がない世界だ。海の青は、灰色だ。空の青も灰色だ。私は、一つ色が欠けた世界で生きていくしかない。私は、愛を忘れたわけじゃないけど、愛を一度失くしただけだけど、愛に全力で生きるほどは、強くない。怖がりな臆病だ。

娘と過ごした時間は、貴重だった。素敵な時間だった。一生の思い出だ。
でも「人生で最高に幸福だった」とは言わない。

人生で最高の幸せは未来にとってある。

私は、いつか、娘と会う。大人になった娘と酒を呑む。
それは、どこかのバーだ。私は想像している。
私は、過去に幸せを求めない。未来に幸せを求める。だから、実現可能だ。

そして、私は、この人生で、あと2人、子どもを持つ。そこに最高の幸せがあるのかもしれない。

幸せは、未来にある。
それを人は「希望」と言う。


私たちは、誰も皆、絶望の深淵を体験している。

それでも、私たちが生きられるのは、希望があるからだ。

私は、未来において、娘と会うし、まだ、この世界に誕生していない、子どもと会う。それが、私の希望であり、最高の幸せである。

未来は、想像することで創造することができる。

想像できない未来は、やってこない。
想像しても創造できないことはあるかもしれないけど、想像しないと絶対に創造できない。

キリンの首が長いのは?
ゾウの鼻が長いのは?

こう「ありたい」と、想像したから、進化した。
じゃなきゃ、あんなに不条理に首も鼻も伸びない。

人は
・「早く移動したい」と想像したから、自動車を創造した。
・「空を飛びたい」と想像したから、飛行機を創造した。
・「地球を見たい」と想像したから、ロケットを創造した。

想像しないことには、何も創造できるはずはない。

「こうしたい」という希望を持って想像するのだ。

私たちは、想像したものしか創造できない。

未来は、希望を持って創造するためにある。

私の人生は「希望に満ちて輝かしい」と想像する。そして、その希望を迎えに行くのだ、自分の手で。そこに、あるんだろう?幸せが。知っている、私は幸せを掴んだことがある。私は、幸せを掴むために片手を空けてある。幸せは、しっかり掴んでおかないと、手の平から、スルスルと、こぼれ落ちてしまうものだからだ。あんなに、儚いものはない。

私は「幸せを掴むことができる」と信じている。
未来を想像して、その未来を信じる。
それを「人生を生きる」という。


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