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「差別反対」が中身のないお題目になったとき

この投稿は下記の記事の続編である。

これはアベプラでナイキのCMについて扱った際に書いた感想である。
だいぶ過去のであるものをご了承いただきたい。

これは分断を煽ることになると思うので、本来はこんなことを書くつもりはなかったのだが、あまりにもショックで泣いたので書く。これは全て個人の感想である。

番組の流れとしては(イタリア在住時いじめにあっていた)宇佐美氏が被差別者の現実の厳しさを指摘し、他の出演者がCMのメッセージの問題点/抜けを指摘した。ここでのケイン・ジュリアンの主張は「反差別広告が少ない日本社会が問題。人種差別を放置してきた。反レイシズムが根付いていないのが問題。NikeのCMが目立つ=レイシズムがあるということ。建設的であり、CMとして不毛ではない。」というものであった。

レイシストに「お前はレイシストだ」と言われてしまった

どんな文化で育っても、どんな宗教を信じていても「罪のない人を傷つけることは悪いことである」は基本じゃないのだろうか?「傷つけ合いなさい」とする教典はこの世界にはないと思うのだが。何を/誰を敵とみなすかは違っても、そこは同じではないのか?仲間になれる可能性があると知ることが大切なのではないのか?
何が言いたいかというと、先入観で他民族を"邪悪"とするのは問題じゃないのか?

アメリカの基準で他国/多文化を断罪するアメリカ人/企業

「反差別広告が少ないから反レイシズムが根付いていない」、つまり広告を流していない国は全てレイシストだと言いたいのだろうか?差別との戦い方は広告しかないのだろうか?「罪のない人を傷つけない」と教えるのでは不十分だというのだろうか?それでは対処できないほど"racism"はそんなに特別だろうか?"big word"を使って何の意味があるのか?
差別問題をを大きくて特別で崇高な問題に昇華すると、誰かに何か良いことがあるのか?この件で被差別者を商業利用するとお金がすごく儲かるんだなってことは察したが、被差別者であった私は許可した覚えはない。黒人を船に寿司詰めにして奴隷にして、自分たちで作った問題に自分たちで対処できない人たちに、一体何の説得力があるのか?
「ニカブetcは女性の抑圧の象徴だから外すべき」だろうか?「犬は友達だから食べてはいけない」だろうか?他の文化や宗教よりも「自分たちが正しいと信じていること」が大事だろうか?
自分の文化を基準にして、他の国の人たちに「我々と同じようにやらないのは悪人である証拠だ」と責め立てることは差別に他ならないはずだ。
何よりリスペクトが全くない。ケイン氏から語られている論理は終始アメリカのもので、他国がそれを無条件受け入れる理由はない。地域によって差別がある理由は違うのだ。

もしコンビニ大手が「知っていましたか?食品ロスの多くは家庭から出ています」とCMを打ってきたらあなたはどう思うだろうか? 「誰も啓発広告を流さない中で、企業が食品ロスについて問題提起してくれた!環境を考えてて素晴らしい!感動!泣いた!拍手拍手!」となるだろうか?そんな物を見たら、大量廃棄される恵方巻きを思い浮かべながら「うん、よかったね…セ〇ンイレブンいい気分だね…」と、捨てられるパクチーの根っこの気分になるではないか。

問題の本質から目をそらしているんじゃないか?

むしろ「racismは悪い」と触れ歩くことと、"差別と戦うこと"と全く関係がない。"差別と戦うこと"は差別を(他人に)"なくさせる"ことではないのだ。
むしろ大切なのは傷つける人と傷ついた人両方の心の苦しみを取ってあげることで、なぜ特定の属性を嫌うに至ったのか?の誤解やわだかまりを取り除くことにある。そして人々が尊重しあう社会の希望を語ることだ。具体的な"メリット"を提示しない限り、人の心は引き付けられないし、行動を起こすことは難しい。
もっと言うと、自身と他者を許す心を持とうとすることだ。自他共に悪意のない行動や過ちを許し、過度な反撃をしないこと、そして嫌いなものがあることは自然の摂理だと知ることだ。
順序立てて、差別感情との付き合い方を身につけることの方がよっぽど先決だ。「悪意なく差別してしまうことで悪人になるかもしれないから、異質な人とは関わらない方が得」な社会になった時、第二の弥助は生まれるだろうか?

やっぱり嘘つきじゃん

被差別者である宇佐美氏の考えに真剣に耳を傾けてないし、差別者を突き動かすものの存在を無視し、人々の助けになる行動は特にしない。そんな態度の人や企業に説教される筋合いは全くない。
その説教は偽善である。自分が賢く善人で"目覚めた"人間であると思いたい/見せたい、(CMに賛同しなければ非難されることを恐れた人の)保身のための欺瞞と自己満足だ。
汚い心を持っているかぎり、綺麗な口で話しても、その口から発するものは汚いのだ。私が肌感覚で察してきた「いじめっ子の方が社会的メッセージ好みがち」説に真実味がでてきた。(もちろんこれも偏見である。)被差別の経験者として、世界市民の1人として、いよいよ黙っていてはいけないんだと強く思った次第だ。薄っぺらい偽善的な活動にNOと言わなければならない。
「何も知らない奴が喋るな」とは到底思ってない。ただし「何も知らない奴が自分の思い込み/信念で人の気持ちを語るな/上書きするな」と強く思う。

社会の分断がよく見えた瞬間

こんなにもarrogantな人々が存在していたのかと、厳しい現実を突きつけられて、とにかくショックで辛いし空しい。雲の上でお題目を唱えて善人や天使になった気分になった人たちを地下のゴミ捨て場から見上げているような気分だ。こんな漫画みたいな構図って本当にあるんだ、と感じさせられた。とにかくすごいショックだ。
コロッセオで底辺の人が戦わされるのを眺めていれば、勝手に潰しあってくれるから安心できて楽しいんだろうなと想像したりもする。

私は実現の難しさを実感しつつ、もっと考えをすり合わせていけば、異民族が一緒に暮らすことは可能かなと正直思っていた。しかしもう絶望しかない。この番組を見てマジで終わったと思っている。
差別は無くならないし、雲の上の人はそれで利益を得る。被差別者の声も、差別者の抱える不安/不満も届かない場所に彼らはいる。
私は西洋社会に不信感を持ったから脱出してきたし、ようやく「マジで白人嫌い」では無くなる程度には落ち着けたが、この一件のせいでまた大嫌いになってしまってとても悲しい。

おめでとう、あなたはまた新たなracistを生み出すことに成功したよ。
これでまた安心してお題目が唱えられるね。
お題目に深みも増して何より。

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