いじめへの教員としてのコミット

 いじめ事案というのは、どのように調査しても成員の納得のいきにくい要素で満ち溢れている。
 その納得の行きにくさというのが、教員の成り手を減らしている要素の一因を担っていることは間違いない。

 もちろんその事案に関わる全ての人間に責任の一端があることは前提としてもなお、不可解さが残らざるを得ないのがいじめ自殺というものです。ひとまず全容解明が困難であるということにならざるを得ない。しかしそこは問題ではなく・・・とは言え、最終的にはそこの話になっていくこともまた事実であります。
 ただいじめが自殺に直結するかどうかというのは、少なくとも重大かそうでないかの区分けの中に生まれるものではないということは共通的な認識として持っておきたいものであるということ。
 そうすれば幾分、
 まずこの1点で邪魔しているのは文部科学省そのものと教育委員会およびその制度であるということです。
 そもそもの重大事案であるかの認定権(?)が教育委員会にあるというのも奇妙な話であって、認定の時点で幾分かの公共性(公開性と持続性)があれば自殺に至る経路を封鎖することに寄与できるはずだということです。実はそのためには現場に報告義務を課すよりも広く情報収集できるシステムがあれば、そしてその情報を正しく使用できる組織があれば良いだけの話です。
 であれば単純にそうした情報の集積・分析・対応機関を文科省や教育委員会とは別の組織として作れば良いだけの話になってしまいます。

 日本のいじめ研究というのは、森田洋司を中心とした研究グループによって一応の解決を見ています。研究でいうところのもう掘るところがない状態です。世界においてもこの研究グループがイニシアティブをとる形で研究が進められました。

 しかし結局その知見は、いつものように現場で活かされることはないですね。それどころか、今のいじめに関する政策というのは、先ほど挙げたようにどこかチグハグである感が否めません。認知件数を増やしても何の意味もないのです。どうせ重大でないものを重大とし、重大なものを見逃せば、また重大なのに対応を誤れば、結果は同じことになってしまうからです。いや多分そういう経路を辿ること自体がただの時間の無駄な行為になってしまうだけだからです。それは実際にことに当たる教員にとって良いマインドセットになることはあり得ません。

 組織の話を批判するだけでは、おそらく学校におけるいじめ事案に対する助けにはならないということははっきりしているので、少し教員の側における実際を語っておこうと思います。

 はっきり言っておけば、この問題は非常にセンシティブな課題を多く含んでいます。話して得なことは何にもありません。そして個別な話はあまりできないと思っておいて良い話題です。特にSNSでは。しかし山形の痛ましい事件以降、日本の教育現場はいじめ問題に積極的に取り組みつつも本質的な問題へのコミットができていない状況です。量の問題ではなく。それは単純にいじめが悪いという話ではなく、そういう場の状況に至った時の大人の側の責任について明確な規定と対応する大人への援助と労いが全く示されていないところにあります。

 いかに教員に関わるいくつかの仕事を細分化して、アウトソーシングしても特給法を改正して給料を増やしても教員になりたいと思う人間は増えてはいきません。他に仕事がある以上。もし増えたとしてもその人材はいじめの場面に出逢っても見ないフリをしてしまうに違いありません。なぜならそれは自分の仕事ではない、給料の範疇ではない、ということだけで教員になった人だからです。

 人間としての尊厳が仕事の中できちんと守られるということを保証していくことで教員になることを選択していく人間であるからこそ、いじめの場面に出逢ったときに対応しようと思えるはずだと言えるからです。
 基本はその教員がいじめ対応することに対して、信頼とバックアップを確約するのが少なくとも教育委員会の役割であるはずです。
 残念ながら実際のところ文科省も教育委員会もこの部分に対しては教員に役立ちそうな対応は何一つとっていません。それは現場に丸投げなんですよね。誰が対応したがるんだよという結論で終わってしまいます。関わるだけ損だと思わせてる時点で、人間の善意にだけ頼っている時点でオワっています。これが正義を果たせないことを証明してしまった職場を選ばないという真っ当な人間としての至極当たり前な選択方法の起結である教員不足の現状です。

 これでは何の慰めにもならないので、クソみたいないくつかのいじめへのコミットへのマインドセットを述べておきます。私の経験上。

 クラスルームが基本です。
 学級は楽しい雰囲気にする。
 学習指導が全てではないが、学習からの逃亡は消していく。
 あかんことはあかんというメッセージ性といじめは許さないという意思を示しておく。
 教師は基本嫌われ者であれ。好かれようとする人間は好かれません。
 保護者対応は等価交換。無理を聞くならその分は聞いてもらうことを作る。
 とにかくどの子にも関与していく。距離感をとりながらも関与はしていく。少なくとも感情と勘定には入れてあげてください。
 

 それでもいじめは起こります。その時は最初から転勤覚悟の対応をしていくことです。そのことは管理職に確約をとっておきましょう。いじめ対応には多少強引なことも必要になってきます。気まずい感じになる学校に残っていてもいいことはありません。しかし、きちんと対応することは後から振り返ってみればその価値のあることになるはずです。
多分教員のメンタルに逃げ道があることを保証することが管理職や教育委員会の一番重要な仕事であるはずです。

 とにかく積極的に関与すれば道は拓けるということ。これに尽きます。

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