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ADHDとして、、、

「自分をコントロールするのってむずかしい!!」

これは、
ずっと、ずっと、
僕が思っていること。


小学生、中学生時代


子どもの頃、、、

あたまがザワザワして、モゾモゾして
目の前のことに集中できない。
僕がいるのは、あたまの中の妄想の世界。

勉強しなければいけないのは分かっている。
けれど、
答えはうまらず、
落書きでうまっていく教科書や問題集。
何やっているんだろう。。。

片付けられない。
やりっぱなし。
何かを始めてたと思ったら、
すぐ別のことを始めてしまう。
ほったらかし、どんどん散らかる、、、
その惨状に気分が重い。


そんな僕に、親は怒鳴りつける。
いつまでも、いつまでも。


大人になっても


大人になった今でも、
こころが落ち着かない。
ささいなことにイライラしたり、ザワザワしたり。

こまかい作業や事務的作業をしていると、
あたまがすぐにオーバーヒート。
ストレスがすごい。

あたまやこころが刺激をもとめて暴走。
いろいろとまらない。

と思ったら、
刺激の少ない勉強、片付け、その他もろもろ、
異常に耐えられない。
苦痛過ぎる。

失くしものは日常茶飯事。
あれっ?
鍵がない、スマホがない、イヤホンが片方ない、財布もない、、、

仕事では、
単純ミスに次ぐミス。

大人になっても、、、



「生きづらい」そしてADHD


学校からのプレッシャー。
親からの圧力。
自分自身で自分を責める。

「やらなきゃ」

でも、
押しのける力はなかった。
僕は重くのしかかる“それ”から逃げだした。

当然、
世の中についていく力は身につかない。
当然だよね。


そして、
おいてけぼり。


襲ってくる不安と、焦り。
がんばっても追いつかない現実。

“生きづらさ”は僕の人生のテーマ。


そんな僕は、
最近話題の「発達障害」にピンとくるものがあり、

くだった診断名は、

『ADHD』



僕なりのADHD理解


ここからは私見。

発達障害は、ただの特性。

背が高い人もいれば、低い人もいる。
おなじように、そういった脳の特性を持った人もいる。

けれど、
背の高低とは、やっぱり違う。


社会の”メインストリート“を発達障害では歩けない。

理解が大事だというけれど、
理解されてもされなくても、
やっぱり“メインストリート”は歩けない。

ミスが多い、流れに合わせられない、、、では歩けない。

“メインストリート”側も迷惑だし、
逆に発達障害側もツライ。
理解だけではどうしようもない。


だから、
歩ける場所は“メインストリート”の周辺だけ。

あの輝かしい道を横目に、
そうするしか、そうなるしかない。

“生きづらさ”はしかたがない。



問題は社会を生きる”技術”


薬で改善できる症状もある。
僕も薬で“症状”は、それなりによくなった。

けれど、
“症状”が良くなったからと言って、
生きやすくなるわけじゃないと思う。


“生きづらさ”の原因は、
社会を生きるための“技術不足だから。

“症状”のせいで“技術不足”になったから。


だから、
“症状”を緩和しても、
“技術”を学ばないといけない。

残念だけど、
戦場は、いつも“メインストリート”
だから学ばないといけない。


逆に、
“症状”が多少あっても“技術”を身につければ、
“メインストリート”を歩けると思う。



それでも歩きたい


けれど僕自身は、
今さら“メインストリート”のまんなかを歩こうとも、
歩けるとも思っていない。

けれど、
けれど、

この社会でも自分らしく歩きたい。
良心をもって歩きたい。
”自分の道“を歩きたい。

それは、きっとできる。

だから、
僕は今日も学び続ける。

これからも、
学んでいきたいと思っている。




最後までお付き合いいただきありがとうございました。


最近話題の「神経発達症」
皆さまは、どう思われているでしょうか?

また、
当事者で苦しんでいる方、どう向き合っているでしょうか?
乗り越えた方、アドバイスはあるでしょうか?



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