サカテツ

倒産も経験してしまったアホな中年オヤジ。行動力だけはありいろんな体験もしてきた。 残り…

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倒産も経験してしまったアホな中年オヤジ。行動力だけはありいろんな体験もしてきた。 残りの人生、どこかの誰か 一人にでも「喜ばれる存在に」になれたら嬉しいなぁと感じて投稿を始めました。同志社(ラグビー部)➡大手食品メーカー➡脱サラし経営する➡倒産し、友人の会社➡介護法人人事担当

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本番を想定した練習

 講演でよく細川の話をしていた。細川は平尾の3つ下母親同士が姉妹で従兄弟になり、伏見工業~同志社~神戸製鋼と同じ道を歩んだできた。平尾と同時期に日本代表のフルバックとしても活躍、大半の試合でプレースキッカーの重責も担っていた。  神戸製鋼時代 全体練習が終わってから、個人練習が始まる。 他のプレースキッカーを目指す選手は、多くのボールを抱えて、何本も蹴っていた。 対する細川のキックの練習で持つのはボール一つ、場所を決めて一人でぶつぶつ(この時に、時間や点差を自分で決めてその

    • 街に育ててもらったから 街に恩返しを

       社会人になり4、5年経った頃からしばらくは毎晩のように飲みに行った。平尾は先輩や同僚と行くことも多かったけど、ラグビー関係者以外の方と飲みに行くことも大切にしてた。仲間と飲んで盛り上がる事も時には大切だけど、、一定の距離を置く事を20代の頃から大切にしていた。 「和して同ぜず」飲むことにその場の一体感が高まる事も知っているが「同じている」と感じる事があったそうだ。 プライベートな機会を大切にしてた。飲みながらくだらない話をして、笑って、客観的な立場に戻って振返っていたのか、

      • 人を立てて、、味方につける

         平尾が神戸製鋼のキャプテンをし始めたころ、当時の神鋼ラグビーはボールをキープし続けてスクラムやラインアウトも少なくする展開ラグビー。 スクラムなどやや弱かったその年の方針を決めた。 そんなラグビーを進める上で最も理解&協力して欲しいのは大八木さんだった。もちろん一番の理解者で頼れる存在。ただゲーム中熱くなると平尾の言う事にも耳を貸さない。高校〜大学〜社会人、そして日本代表でもチームメイトで破壊力も抜群の先輩。 林さんと一緒に外国人相手でも物おじしないファイターであり、国内で

        • 叱る時の心得

           ・人と比べない  ・長時間叱らない  ・人格を否定しない  ・後でフォローする  平尾が叱るとき心がけてた事を教えてくれた。この話は山中教授が弔辞で語られ一部ニュースにもなり世間でも注文された。組織や家族相手に時には叱る事も必要な場面も出てくるだろう。 もちろん人それぞれだし、平尾だから凄く効果が出る叱り方を誰でも真似して効果があるととは限らない。 ただ、人をマネジメントする上で、とても大切な心得と感じる。どれも大切だし、なるほどと納得する内容ばかり、、しっかりと相

        本番を想定した練習

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        • 平尾
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        記事

          ビルドキャパシティ

           電通の齋藤さんは平尾が最も信頼してた1人で、いろんなヒントをたくさんくれてた方で、とにかく話題も豊富で面白い。最初は大阪の放置自転車を南アフリカに送るプロジェクトで紹介されたと聞いてた。 電通マンとしても優秀で大手クライアントを担当されてそうだが、稼ぐ仕事でしっかりと稼ぎ、応援する仕事には利益は度返して取り組んでられた。 応援してたのはミュージカルやアートとラグビー、特に平尾の進めるラグビーの事に関しては熱心に取り組まれてた。 そんな齋藤さんからの話の1つが キャパシティを

          ビルドキャパシティ

          覚悟を決めて鬼になれ!

          平尾の言葉は相手の心に響く。神戸製鋼に平尾を慕って入手した冨岡剛は現役引退後ネットワークビジネスの世界にすすんだ。狙った獲物は逃さない、とにかく決めた事は徹底して実践する冨岡。 ネットワークビジネスでも短期間で日本トップレベルの頭角を出し始めた。抜群のプレゼンテーションとクロージング、夢を語る姿は聞いてる人も『出来る』と錯覚させる。どんどん突き進むうちについていけない人から批判の声も出てきた。 批判者はラグビー関係者にも広がり平尾の反応が気になる冨岡。 そんな時平尾は冨岡に『

          覚悟を決めて鬼になれ!

          負けた時に後悔しない人を選ぶ

           ラグビーは15人で行うスポーツ。今はリザーブも含めて23人で戦うが1985年当時は負傷による交代だけが認められ、そのため15人の先発メンバーで誰を選ぶかは今よりはるかに重要で試合に出ないリザーブも多かった。当時同志社はメンバーを学生達で選んでいた。もちろん岡部長や原田ヘッドコーチに相談する事は出来るがあくまで相談相手。関西リーグや大学選手権、日本選手権のメンバーを中村主将、平尾副将(11月からは主将代行)土田FWリーダーで決めていた。ラグビーは、チームの戦略により人選が変わ

          負けた時に後悔しない人を選ぶ

          やりたい事、出来る事、やらねばならない事を近づける

           これも平尾が言ってた事だけど、やりたい事と出来る事を考えておく事。 やりたい事だけをやり続けられたらきっと幸せな事だと思う。 ちなみに平尾は40代前半から『やりたい事しかしない』と言っていた。当時の私には考えてもない話で、仕事は嫌でも給料をもらう為にしなければならない。特に社長でもない限りやりたい事だけで稼ぐことは至難の業だ。 もちろん社長ではない平尾は『しっかりとイメージするとそれに近づいて行く』と教えくれた。 私はあまりにも自分の環境と違ったため『やりたくない仕事を引き

          やりたい事、出来る事、やらねばならない事を近づける

          ピンチはチャンス

           平尾と何でも相談できる関係の時、私の会社で大ピンチがおとずれた。そんな時はしっかりと耳を傾け話を聞いてくれる。 一通り状況を聞いたうえで平尾から「大変やな、、でも ピンチはチャンスやで」と言ってニコッと笑った。 当事者である私は絶対絶命のピンチと考え「どうしよう、、」と近視眼になっているけど、理解してくれた上で「ピンチはチャンス」と的確に言ってもらえて救われた経験がある。 また他の時には「万一だめでも、今の時代命取られるわけではないから、、」と言ってくれたこともあった。 

          ピンチはチャンス

          ニューヨークで骨董屋の親父に負けた!

          1995年3月 平尾と一緒にニューヨークに向かった 神戸の震災から2カ月経ったころ、3泊4日の短期間での渡米。 現地で案内を頼んでいたクリスが空港まで迎えに来てくれた。 クリスが手配してたロシア人の運転手が 空港ロビーで HIRAO と書いたプレートを掲げて誘導してくれた 声をかけてもカタコトの英語も話せない、、『大丈夫か⁈ 』と思ってタクシー乗場方面に出たらそこにクリスが現われ大きな声で歓迎してくれた。 少し古いまっ黒のリムジンに乗って5番街近くのホテルに到着。 現地の時

          ニューヨークで骨董屋の親父に負けた!

          今 感性は力

           社会人になってしばらくしたころ 平尾は恩師の1人である松本瑠璃さんからいろんな方々の紹介を受けていた。 その中のお一人が行徳哲夫さん、感性論哲学を実践されてた方で、その後の平尾の考え方に影響を与えた1人で私も行徳さんの本は愛読してた。  27~8歳のころ平尾は私の会社によく遊びに立ち寄ってくれた。その日は社員の松ちゃんや学生アルバイトの方数名が会社に残っていて、皆んなの前で『今日こんな話があってな、、』と話が始まる。 『雪が溶けたら何になる?』と松ちゃんにいきなり質問す

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          一度決めた友達は何があっても一生友達

           20代の頃、平尾から「俺はこんな性格やから友達はそんなに多く出来へんと思う。でも一度友達と決めたら、何があっても友達でいると決めている。そいつが泥棒しようが、人殺ししようが、友達と決めたら一生友達」と。 もちろん平尾はいろんな人から好かれてて、特に年が経つにつれ交友関係も広がり、多くの方と深く、強くつながっていた。 人に対してきれいな付き合い方をして、自然体でその方との縁を大切にしていた。 魅力的でカッコよく何より、とにかく面白い。凄いなぁと感心する事も多かったけど、とにか

          一度決めた友達は何があっても一生友達

          求めた事は叶わなかったけど、望んでた方向に進んでる?と感じれてきた

           若いころは他人に負けたくなかったのか、野心なのか、とにかく成功する事に必死だった。そんな事もあり20代の頃から自分を高める秘訣や考えを知りたくて平尾に「最近何か面白い本ない?」と定期的に聞いていた。教えてもらった方で今でも印象に残っている人が何人もいる。 まずは行徳哲男さん、「今 感性は力」はインパクトも大きく座右の書として、しばらくは生き方の指針としてた。ご縁も頂き一度講演にも連れて行ってもらい楽屋でお話しもでき、日頃からの熱量のすごさも感じた。次に村上和雄さんの「サムシ

          求めた事は叶わなかったけど、望んでた方向に進んでる?と感じれてきた

          オフィスがスタジアムになればワーカーがプレイヤーになる

           仕事などの動機について、平尾に聞いた話がある。彼が社会人になってしばらくし大学院に行ってた授業で、『仕事のモチベーション』をテーマに話合ってた時、彼が信頼する友人が「オフィスがスタジアムになればワーカーがプレーヤーになる」と言っていた、。と嬉しそうに教えてくれた。 おそらく15年以上まえだったと記憶している。 プレイヤーはすごいポジティブで楽しんでいるに違いない。 平尾の講演でも、スポーツの一流選手に共通の要素があり、一流の人はそのスポーツが大好きと言う。さらに超一流は、夢

          オフィスがスタジアムになればワーカーがプレイヤーになる

          強いチームとは

           これも平尾に聞かせてもらった話で、随分昔、学生時代の頃だった。 世界トップのアパレルメーカーの話だと記憶してる。 強いブランドとは、デザイナー、パタンナー、縫製担当、販売員まで 関わった人全てが 『これは私のブランド』と誇りを持って言ったそうだ。   スポーツチームでも皆んなが『私のチーム』と言い切れる人ばかりならきっと強い。 日本代表の監督を務めてた時『平尾ジャパン』と言われるのをとにかく嫌がってた。自身の謙遜のように取られたけど、平尾が主役と言う考えがナンセンスで、何

          強いチームとは

          『待つと言う事』

           もうかれこれ20年ほど前の話になるだろうか、新幹線のグリーン車に置かれてた『Wedge』という雑誌にに平尾が記事を書いた事があった。 そのテーマは、『待つと言う事』。 当時携帯電話が普及し始めいろんな事が便利になった反面、「待つという事」が減ってきて、人間の想像力が衰退する事を危惧していた。  時代はささみスマホが全世界的普及し『待つという時間』がさらに減ってきたのは間違いなさそうだ。もちろんそんな進化はいい面は多々あり、私も恩恵に預かっている。 それでも「人を思いやる力

          『待つと言う事』