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街に育ててもらったから 街に恩返しを

 社会人になり4、5年経った頃からしばらくは毎晩のように飲みに行った。平尾は先輩や同僚と行くことも多かったけど、ラグビー関係者以外の方と飲みに行くことも大切にしてた。仲間と飲んで盛り上がる事も時には大切だけど、、一定の距離を置く事を20代の頃から大切にしていた。 「和して同ぜず」飲むことにその場の一体感が高まる事も知っているが「同じている」と感じる事があったそうだ。 プライベートな機会を大切にしてた。飲みながらくだらない話をして、笑って、客観的な立場に戻って振返っていたのか、「群れない」「同じない」ためのバランスを取っていたように感じる。

当時から「おもしろい」事は大切にしてた、お酒の入った場では話は大きくなりがちだが、勢いに任せて話が大きくなる事はないし、決して自慢話しはしない。とにかく平尾の話が面白い、、。若いときは飲み代やボトルをサービスしてくれる店も何件かあり、そんな店があったおかげで、毎晩のように飲みに行けた。一般的な飲みにケーションなどは全く求めていない。ただ酒場にある飾らない面白い人達との交流を大切にしてた。若いころから 粋に遊んでたお陰で平尾の面白さや懐の深さ、人付き合いや観察力が磨かれたようにも思える。 

「街にそだててもらった」と40代になりよく口にするようになった。そのおかげで今の自分がいるので、多少お金が使えるようになったから「次は街に恩返する番」と考え、気に入った店にはお金を落とすためによく飲みに行っていた。 北新地にも少し通っていた時期もあり、平尾が認めていたクラブのオーナー木下さんは毎晩赤ワインを飲んでいた。木下さんはお酒の事を「気違い水」と言いながらも毎晩必ず飲んでいた。「お客にお酒を売って商売しているのに 自分は体のためにお酒を控えるなどしたらアカン、それならこの商売辞めなあかん」と同業でお酒を控える方がいるけど自身の生き方を説いていた。平尾はその考えに共感していた。

 平尾がよく行く店は、平尾を歓迎し相思相愛の関係、互いが大事にする。そんな信頼関係を平尾は大切にしていた。 もちろん決して威張らず、等身大で、酔いすぎる事も無くきれいなお酒の飲み方で、長居もし過ぎず、新規の客が来たら席を立ち店を開けてあげるなどお店への配慮もしてた。

 こんな大人が店の雰囲気をつくり、それを見てる若者がそんな大人に憧れ真似て行く、そんな循環が街を支え、育てているように感じる。

 コロナで街の飲食店、特にアルコールメインの店は大きな苦境に立たされてて、街の役割も変わってきているのかもしれない。 ただ一見無駄に見えるようなところにこそ、大切の事があったように感じる。 


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