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一度決めた友達は何があっても一生友達

 20代の頃、平尾から「俺はこんな性格やから友達はそんなに多く出来へんと思う。でも一度友達と決めたら、何があっても友達でいると決めている。そいつが泥棒しようが、人殺ししようが、友達と決めたら一生友達」と。 もちろん平尾はいろんな人から好かれてて、特に年が経つにつれ交友関係も広がり、多くの方と深く、強くつながっていた。 人に対してきれいな付き合い方をして、自然体でその方との縁を大切にしていた。 魅力的でカッコよく何より、とにかく面白い。凄いなぁと感心する事も多かったけど、とにかくいつも笑わせてもらった。 年々活躍のステージも交流する方々も高まり、完全に私は手が届かない雲の上の存在になってしまったが、最後まで定期的に声をかけてくれた。 腐れ縁的な人間から、大企業の経営者やノーベル賞受賞者まで、いろんな方々と楽しいお付き合いをしていた。

 私は30代後半の時に倒産してしまった。いろんな方々、特に仲が良かった平尾にも迷惑をかけてしまった。 その後はある意味要注意人物で、精神的にもどん底、誰とも会いたくない状態がしばらく続いた。その頃多くの方と縁が切れた。今振り返ると、もちろん私が全て悪く離れていった方々は当たり前。ただ平尾はそんな私を必ず定期的に誘ってくれた。 「今晩あたりはどう?」「何食べたい?どこ行こか?」と。約束したら一度電話を切ってしばらくすると「何時に○○」と店を決めて連絡をくれる。携帯に平尾の名前が表示されると嬉しかった。月に1回程度、、定期的に。 2人の時もあれば、同じように廃業し挫折したカラオケパブのマスターや、時には私の職場の後輩も誘ってくれた。 倒産前に一緒に飲んでいた若手経営者の場にも呼んでもらった事もあったけど、何となく気後れしている私の様子を察してくれ次からは誘わない。 私が楽しい場となるメンバーを考えてくれた。 食事が終わったら「もう1件行こか」と決まった店に行き、いろんな話をしてくれる。 同級生として恥ずかしい話だけど毎回ご馳走してくれたので、当たり前だがその都度しっかりとお礼をいって、時には礼状も書いた。そしたら「こんなん形式ばるの辞めてくれ。今はたまたま俺が少しお金持ってるから俺が払っているだけ。もし逆やったらお前も同じことをしてくれると思う。気軽に飲みたいからこんな事やめて」と言ってくれた。彼にしかできない最上の心配りで、私に気を使わさないようにしてくれた。 

 泥棒や人殺しはしなかったけど人に多大な迷惑かけた私に当時のセリフ通り、ずっと友達でいてくれた。 情が深く、人の感情を汲み取る力も抜群で、本当の優しさ感じる事が出来た。最高に面白くよく笑わせてもらっい、楽しい時間を提供してくれた。 

 亡くなってから今でもずっと支えてくれている。お陰様で失敗ばかりの私でも、幸運な人生を歩んでいると実感出来ている。 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 いつもありがとう。 残りの人生少しでも「喜ばれる存在になる」事で恩返しをしていくから。 

 小林正観さんは「『ありがとう』という言葉は、昔は相手の方に向かって言う言葉ではなく、神様に向かっていう言葉」と言われてたが、最近少しだけそんな感覚が分かるようになってきた。

 ありがとうございます。 感謝してます。


  




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