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ニューヨークで骨董屋の親父に負けた!

1995年3月 平尾と一緒にニューヨークに向かった

神戸の震災から2カ月経ったころ、3泊4日の短期間での渡米。 現地で案内を頼んでいたクリスが空港まで迎えに来てくれた。 クリスが手配してたロシア人の運転手が 空港ロビーで HIRAO と書いたプレートを掲げて誘導してくれた 声をかけてもカタコトの英語も話せない、、『大丈夫か⁈ 』と思ってタクシー乗場方面に出たらそこにクリスが現われ大きな声で歓迎してくれた。 少し古いまっ黒のリムジンに乗って5番街近くのホテルに到着。 現地の時間は23時、、『お疲れなので休まれますか?』とクリスが気遣って聞いてくれたが、時差もあり少しお腹も空いてたので 『少し飲みながら軽く食べよか』と答えると『中華かイタリアンか和食、、何が食べたいですか?』とクリスが候補を出してくれたのでイタリアンをリクエスト、直ぐにホテル前で待たせてた黒のリムジンに乗ってイタリアンの店に向かった。感じのいいお店の少し奥まった席に誘導してくれた。 実はクリスは3件とも予約をしてしてくれてたのだ。 美味しく食べたあともう一件飲みに行く事になり 次に案内されたのが books bar と言う本がぎっしりと並んだクラシックなバー。30席程度の店の入り口付近では 4人のバンドがJAZZを演奏をしてた。1人でカウンターで本を読みながら飲んでいる男性や カップルから 4人ほどのグループ それぞれの客がその場の雰囲気を楽しんでいる。 またこんな小型な店に4人のJAZZバンド このバンドは数店を巡回し演奏をしてそうだ。その後同じく黒塗りのリムジンでホテルまで送ってもらった。 深夜でも独特の活気があるけど、皆んなが自分の時間を楽しんでいるようで今までの街の雰囲気とは違った。なんといっても当時25才だったクリスの接待は素晴らしく、充実した時間を作ってくれた。

翌朝近所を散歩、5番街も過ぎてそのまたぶらぶらと街並みを見ながら歩いていると気になったアンティークショップに立ち寄る。 当時ペルシャ絨毯に興味があった平尾は一つの絨毯に目が止まる。 少し平尾と似たな風貌の中東人と思われる店主が近づいてきた 値札をみると100万円以上、、かなりいいモノであるようだ。 そこから 店主は 『これは上モノだ』 『これが気に入ったか?』 『いくら出せる』など 少し高飛車な接客態度で声をかけてくる  平尾は言葉は返さずリアクションもほとんどしない。 他の商品を見てそれからしばらくしてまた同じ絨毯を見ていると『お前にだったら半額で譲る』とさらに推してくる。初めて平尾が『まだ高い』と答えると『ではいくらなら買う』と聞いてきて『一桁下げたら』とふっかけた。 『それは無理だ、、この商品は本当にいいモノだ、、』と頭を抱えて一度離れた。 そして少ししてから『お前がそんなに気に入っているならその金額でいい お前に譲る』と言ってきた  結局一桁下がり12〜3万で買う事になった。 店主はタクシーを手配してホテルまで運んでくれた。  喜ぶと思ったら、その後しばらく、『どう思う?』と聞いてきたり、最後はホテルの部屋のベットをずらして絨毯をひいたりして何とか気に入ろうとしていた。 その晩食事をしてる時に『くそっあのオッサンに負けた』と言った。私は『滅茶苦茶値切れて買ったからいいやん』と言ったが、『終始ペースを握られ 完全に押し切られた 完全に負けや』と。 ただすぐに『さすがニューヨーク。これはええ勉強になった。あの展開はすごい、、まだ欲しいと決めてない時にねだんが言った段階で俺の負けは決まった』と分析してた。 

2日目、3日目の夜は イタリアン人ドライバーの赤のリムジンにアップグレード、、イタリアン人は強気で 目的の店の入り口の真正面に着けてくれた。その道は停車中の車が多く4車線の一番手前は駐車してる車やタクシーで埋まってる。強引に2列目に駐車して降ろしてくれた時に、クリスから『ここで待ってて』と言われると1時間ほど店に滞在して出てきたら全く同じく2列目に停まっていた。後ろからクラクション鳴らされてもお構いなし。 やはりこの街では強きで自己主張しないと生き残れないそうだ。 帰国の前夜平尾は『俺はこの街が好きや』と言って少ししたら『こんな寂しい街は世界にはないな』とぼそっと呟いた。

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