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子どもの強さ〜毒親育ちの子育て④

先日我が子が友人2人に
仲間はずれにされていたところを見た。
その2人は周りの子にも声をかけて
自分たちの方に来るように仕向けていた。

我が子は、私の見ている前で
ぐっと泣き出すのを堪えて
他の子に遊ぼう、遊ぼうと声を掛けていった。

しばらくそのようなことがあって
我が子と遊ぼうとした子を
引き離そうとした二人に向かって
「だったら皆であそぼうよ!」
と我が子が言った。

一人が「さっきはごめんね」と言って、
皆で遊びに走っていった。

その間、我が子や
私達と一緒にいた仲良しのその子たちの親に
私はあれこれと声がけした。
我が子の悲しみが癒えるように
大人が集まってる方においでと
抱っこしようとしたりしたが
我が子は大丈夫だ、皆と遊ぶんだと
私のそばに来なかったし
その子たちの親に何か言うこともなかった。

私は帰り道に、
あなたを傷つける人とは
遊ばないで欲しいと言った。
我が子は
「あの子はごめんって謝ってくれたんだよ。
僕はこれからもあの子と遊ぶんだ。」
と言った。夫が後で話しても同じだった。

幼児教室で仲良くなった友人ができ
その子と同じタイミングで勉強塾も追加した。
我が子は行くのを渋り、暴れ、
ボイコットしていたが1ヶ月もすると慣れた。
それでも私語も多く、
ペーパーについていけないときもあって、
個別クラスにしようと言った。
我が子は皆と同じが良いと嫌がった。
毎日、家での私との勉強も頑張るようになった。

我が子の強さに触れて感動する。
無理している我が子に私の方が動揺し
先回りしたくなるし
我が子のためにと
私が思う最善を提示したくなる。

それでも我が子は
自分に何が必要で大切か、自分で分かっている。
選択している。
親の言うことには、なびかない。

我が子には、我が子の目線があって、
親には見えないもので見ていて、
感じ取っている。
傷ついていることも、
本来傷つく所で傷つかないこともあるだろう。

私ではないのだ。

親子といっても、
まだ幼児でも境界線は必要だ。

我が子のエネルギー、力、
それに触れて本当に感動する。
こんなに小さいのに、
毎日を頑張って生きている。

「心の目で見るんだよ」

時々我が子にかけている言葉だが
もう分かっているのかもしれない。

それでも
自分で選択していく中で
不意に傷つくこともあるだろう。
悲しくてやり場のない怒りにも遭遇するだろう。

そんな時、
家庭はいつもホッとする場所で
ママはいつも笑顔で優しく
僕の味方をしてくれるんだ、
そう我が子が信じられる港になろう。

ママー!って呼ばれたら
いつでも笑顔でなぁに?と
振り向ける母親でいたい。

しっかりと目を合わせて、目線を合わせて、
笑顔で我が子の話を聞きたい。

妄想と想像の話も多い我が子。
我が子が一生懸命話すそれらの話は
とてもユニークで前向きだ。

道路に花が咲いていれば必ず教えてくれる子。
私が花が好きなのを知っているのだ。
パパはお仕事で疲れているんだから
お店の予約忘れちゃったんだよと、かばう子。

我が子の純粋な優しさにも
子どもらしい自己主張や身勝手さも
可愛らしくてたまらない。

このエネルギーを大切に育みたい。
私は今日も笑顔で我が子を迎えに行く。

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