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感情を失くしたかった思春期と、毒親育ちの子育て

すごく昔、ドラマで観たのは
明日朝起きたら感情がなくなって
ずっと無表情でベットで過ごすことになる
女性の姿だった。

あれを観たとき
羨ましくて、毎夜、明日は起きたら、
感情が失くなっていますように、と祈った。

その頃は母と同じ部屋で寝ていて
一緒に死のうだの、死んでくれだの、
こんなに不幸だの、あんたさえいなければだの、
暗い部屋で母が寝付くまでの時間
虐待されていた。

心を傷つけられる日々、
父が不倫し蒸発したストレスの
サンドバッグとしての自分は、
誰にとっても重い存在だった。

まだ兄ともこんな話はしてなくて
分かりあえる人も味方もいなかった。

どうか明日の朝に、感情が死んで、
もう何も感じなくていいようにしてください。

毎日毎日祈った。
でも朝は毎日、普通に来た。

同居する曾祖母、祖父母も気づいてくれなかった。
寮生活の兄も気づいてくれなかった。
大人にSOS出すことも
そんな知恵もなかった。

今の私があの頃に戻れるなら
直ぐ様警察に母を突き出し、児童相談所に駆け込み
周り近所や親戚にも母の悪行を伝えるのに。

嫌だと親に言えること、
嫌いだと言えること、
家を出ていくと言えること。

ぷんぷん目をつり上げて私に良い放つ我が子を見て
羨ましいなぁ、良かったなぁと思う。

我が子がどんなでも
私を少ししか好きじゃなくても
他の優しいママが良いって言っても
私はこの家を出ていかないし
我が子を追い出したりもしない。

変わらず子どもを愛し、愛おしい。
悲しいけれども、とてもとても悲しくなるけれど、
親としてこの子を受け止めて、そして成長を願う。
子どものことも、そして自分のことも信じて。

今朝そんなことがあって、
私が毒親に育てられたから
うまく育てられてないんじゃないか、
毒親になってしまうんじゃないかと不安だ、
でもあの人と全く違う事は分かるし自信もある、
そんなことを夫に吐露した。

夫は、
我が子にとって世界一のママだと言ってくれた。
いつまでもお母さんのことで縛られたら
何も変わらないよとも。

そうだねと、言う。

夫の優しさ、
何とかしたいと思いながら尊重してくれること、
労り、
有り難く思う。

縛られたくない。手放したい。
あんな記憶もなくしたいし
何てことないと思いたい。

あぁまた風のように
過去の毒親の仕打ちが流れてきた。
また北風に乗ってなくなり
その後には晴天が残る。
晴れ渡り暖かな日差しが降り注ぐ。

まだ風に乗ってやってきたら
厄介だなぁ、早く過ぎればいいなぁと
自分で自分に傘をさしてすぐ過ぎるそれに対処し
天気のようにすぐ過ぎ去ることを理解していよう。

先週保育園しぶりをした我が子は、
私が無理やり保育園に連れていったことが嫌で
私にかなりの悪態をついた。
でも午後には
保育園でママに会いたいと、ぐずっていたらしい。
パパが良いだの、他のママにするだの言っても
ママ、ママと泣きべその息子。

この時期は
素直に、私には何でも言えば良い。
そして精神も、しっかり段階的に成長して欲しい。
私はその事くらいでびくともしない毒親育ちだ。
それに毒親とは違って
我が子には愛があることを知っている。
子どもの全てを受け止め社会に出る責任。
母にはなかった社会人としての親としての責任。

私には、ある。

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