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毒親育ちの夢の持ち方

保育園通いの我が子が最近
『僕の好きなようにさせてよ!』
と言う。

自分があって賢くて
何が好きかはっきりと分かっていて
嫌なものは嫌というし
自分の幸せを何が何でも追及しようとする。

羨ましい。

毒親育ちの私には眩しく羨ましい。
ついそのまま好きなようにさせてしまいたくなる。

母は、恐らくただ母がやれなかっただけであるが
私を短髪にし刈り上げ、
あんたには女の子っぽいものは似合わないし
長い髪も似合わないからと言った。
ピンクとかフリフリの服はなく
兄のお下がりや何故かお揃いなんかもあって
ラガーシャツを着させられた時は本当に辛かった。
自転車は仮面ライダーで、ハンドルのど真ん中に
デカデカとついている仮面ライダーの頭は
取りたくてたまらず今も鮮明に覚えている。

小学生や中学生で色んなことに
私から挑戦したいと言った時には、
あんたには無理、バカだからとさせてもらえず、
母の決めた多数の習い事は3歳頃から始まり、
中学卒業まで絶対止めさせてくれなかった。

母にはこれが私の娘というレッテルがあった。
ネガティブなことだけだった。
でもその方が母にとって都合が良かった。
兄は可愛くてとても賢く
リーダーシップがあったから。
それもお母さんがいるからでしょう、お母さんがやれと言っているんでしょうと言っていたが。
私が高校生の時に兄と純文学の話をしていて
母がこの子は本なんか読んでないから
分かるわけないとバカにしたが、
兄が私が本の虫でよく知ってるよとかぶせると、
とても驚いていた。
それも母さんが◯歳の誕生日に文学集をあげたからだとか言い、
ようは私たちの方が親の役割で
母の自尊心を上げてあげる存在にさせられるのだ。
自らは苦労し1人で頑張っていて社会的にも素晴らしい仕事をしていると思い込んでいるが、
ただ精神が成熟していない、内省できない幼稚な母。

毒親に育てられていると
エネルギーはそちらに使うことになる。
生きていくこと、精神を保つこと、
知らず知らずのうちに。
夢や希望にまでエネルギーが回らない。

幼稚園時代を思い出す。
本来の私は、とても目立ちたがり屋で
ひょうきんで、世話したがり屋で、明るかった。
先生に贔屓されいた子どもはおかしいと思っていたし
悪ふざけばかりして大人の言うことを聞かない男の子をバカだなと思っていた。
幼稚園は楽しくて仕方なくて
お花屋さんになりたかったし
家族に祝福された結婚をしたいと思っていた。

今、仕事と子育て以外何もやっていない。
好きなことが何かも分からない。
やりたいこともない。
だいたい寝かしつけ中もその後も、
夢の中も朝方も仕事のことばかり考えている。

我が子を見ながら、勉強しよう。
好きなものを追及する姿。
誰にでもNOという強さ。
ニコニコしながら遊ぶ姿。
想像力。

毒親のせいなんかにもうしていられない。
ここに書き留めている中で
多くの方がメッセージで温かいコメントをくださるし
いいねをしてくださる。
見ず知らずの私の話に反応してくださる方がいる。
読んで勇気付けられたと連絡をくださる方もいる。
毒親育ちのたくさんの方が
もがき、苦しみ、乗り越えようとしている。
しっかり大人として対応している。
怠けていられないなと思う。
私は幼児でなく、もうすっかり大人だ。
自分の精神の向上のために。社会のために。
私が何ができるのか、私は何をしていきたいのか。

何者でもない、自分も認める。
肩書などない自分でよい。
やっていて、ワクワクするもの
時間を忘れてしまうもの、童心に返るもの、
そんなものを見つけられたらいい。

我が子が今日は勉強塾に飛んで入っていった。
先々週まではボイコット、
先週は入り口で嫌々としぶった我が子が
飛んで行った。
我が子はすっかり変わった。
私も負けていられない。
我が子にいくつになっても尊敬されるは母でいたい。

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