時間制限付きの枝分かれ問題
「時間が経つスピードって年々速くなってない?」
誰かの口からこの言葉が出るたびに、
「わかる、怖すぎ」と同調してきた。
てっきりみんなも同じだと思っていた。
「気づけばもうこんな季節」
「気づけばもうこんな歳」
いつまでもヘラヘラとしているものだと、そう思っていた。
でもやっぱり人生は甘くなかった。
甘いのは私の見立てだけだった。
「やばいテス勉全然やってない〜」と大声で嘆く人の成績は大体クラス上位だと相場は決まっている。
テスト期間は睡眠時間3時間。いつも半徹ギリギリで乗り切るKAT‐TUNスタイルだった私は、テスト前に隣の子とくっちゃべっている余裕などなく、鬼の形相でノートを見返していた。
「今年バタバタすぎてほぼ記憶ない」と言っていた友人は、その翌年は「5月に出産予定です」と授かり婚の発表をSNSに投下していた。
そんな濃い2021年下半期を過ごしていたら記憶も吹っ飛ぶだろう。
2年ほど前に「今の仕事、結構飽きちゃってさ」と浮かない顔で愚痴をこぼしていた知人は、久しぶりに会うと雰囲気や顔つきがガラッと変わっていた。
スタートアップ企業からスカウトを受け、転職を決めたと教えてくれた。
思い返せばコロナ禍の2年間は、自粛と在宅ワークの影響で人と会う機会がなく、よほど親密な仲か、ご近所以外の友人とは近況報告の時間が持てなかったのだ。
20代後半という激動の時期に、外の世界が動きを止めてしまった。
そうか、なかなか人に会えない混乱の過渡期にいながらも、一人できちんと考え、計画を立て、手順を踏んで実行している人もいたのだ。
安全運転で通常通りに運行していた私は、取り残されたような気分になった。
社会人になりたての頃は、みんな組織や社会の仕組みに揉まれて、慣れるのに必死で、同じスタートラインだったはず。
みんな最初は、日当たりのいい大通りを一緒に走っていた。
そこから無数に道が分かれていった。
歯を食いしばって坂道を上る人、転んで擦り傷だらけになっても立ち上がって自分のペースをつかんだ人、勇気を出して裏路地の道を歩み出した人、地図にない道を見つけた人。
のうのうと歩いていた私は、一番広くて走りやすい道を選んできた気がする。
行き止まりも、険しい坂道も、今後の人生を大きく左右する運命の分岐点も無視して、足に優しいなだらかな道を。
思い返せば、ちょっと心惹かれる道を選べる分岐点もあった。
でもそっちの道はずいぶんと険しそうで、「今じゃないな」と見送ってきた。
「今じゃないな」を繰り返した今が「気づけばこの歳」なのだから恐ろしい。
時間の流れに乗って生きている私たちの現実は、ゲームの世界とは違って同じ分岐点にループはできない。あのとき迷った分岐点と同じ道はもう一生現れず、たとえ今同じ方向を目指したとしても、のちのち見える風景やたどり着く場所は違ってしまう。
かつて学生時代、自分の人生はもっと動くと思っていた。入社4年目くらいで転職を経験し、どこかで駐在や留学も経験できたらいいな、結婚と子どもは30歳になってからでいいや。
おとぎ話や少年漫画で見た「封印を解かれる前の竜」のような、自分の中に底なしのエネルギーが溜まっている、と。
そして20代という時間が無限に思えた。毎年のように目新しいイベントが降りかかってくれる、と。
手元の〝経験バッジ〟を増やせずに、なんとなく日々を過ごしていた私は、ここにきて時間の有限性と、人生における分岐点の消滅を自覚した。
というのも、26歳を過ぎたあたりから私の頭には「樹形図」の絵がちらつくようになったのだ。算数の「順列・組み合わせ」の問題ですべてのパターンを数え上げるときに使うあの図。
私の選んだ分岐の先に、地続きでいくつもの道がつながっているように、私の選ばなかった道の先にも無数の未来が存在している。
未来は、「選択」という無数の分岐によって木の枝のように派生しては分かれ、空に伸び広がり、葉を茂らせる。
私たちは一つひとつ「選択」することなしに枝から枝に飛び移ることはできない。
例えば、大学時代に何度も情報を集めては諦めていた留学。
私がもし大学で留学に行っていたら今頃どんな道を歩んでいただろう、と。
異国の地での苦労とチャレンジの連続、思わぬ巡り合わせ、達成感と喜び。
語学力に自信がついて外資系企業に就職したかもしれないし、世界を相手に仕事をしたい!と熱い野心を持って総合商社にいるかもしれない。
初めて触れる文化のシャワーを浴びながら、強烈な体験をし、会社員という道を選ばなかったかもしれない。
向こうで出会った人と国際結婚、なんてファンタジーもあったかもしれない。
「かもしれない」の枝の先についた立派な花を想像すると、だんだん気が遠くなってくる。
社会人3年目で知り合いに誘われた会社に転職していたら。
今とは違う部署に異動願いを出して、まったく異なる職能を磨いていたら。
在宅勤務が主流になったあの時期に、鎌倉に引っ越していたら。
昔は真っ白なキャンバスを前に、自分の将来を描ける自由さに陶酔できていた。けれど今は、この先の可能性が予想できてしまう。
今はもう消滅してしまった、遠い枝の先を思うと「私の今までの選択はこれでよかった?」と疑念がわき起こる。
私が選ばなかったほうの枝の先の自分には、会うことができない。
薄い膜のような寂寥感に襲われながら、いつかこの寂しさの輪郭すらも忘れて、また変化に乏しい日常生活を送るんだろうな、と想像がつくことがまた寂しい。
だけれど、向こうの遠くの枝の自分を、夢想と妄想という望遠鏡で覗き込み、ひたすら解像度を上げてみると気づく。
「彼女」もまた無数の〝かもしれない〟に思いを馳せている気がするのだ。
私が私である限り、間違いなく選ばなかったほうの未来について、30歳を前にして思い悩んでいただろう。
どこの街で誰と暮らしていようが、何を生業にしていようが、きっと「彼女」は目を細めてこちらの様子をうかがっている。
私と同じ年齢の「彼女」からのまなざしを意識すると、どんな選択にも決断にも、その瞬間においての正解は存在し得なかったのだと理解し、これまで選んできた枝も、枝の先になった小ぶりの実も肯定できそうな気がする。
寂寥感は晴れないが、この曖昧な不安と中途半端な欲深さは生まれてからずっと変わらない。
どの枝先の、どの私も共通して持っているこの「うじうじ」は、そろそろ自分の性分として両手で引き受けるしかないのだろう。
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2022年12月22日発売「そろそろいい歳というけれど」より抜粋
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