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産みたくないわけじゃないけれど

「ぶっちゃけ、子供欲しい?」
親しい女友達との間で、このどストレート153km/hな質問が増えてきた。
いのちについて考えようとするたびに、高校の保健の授業が思い出される。

私の通っていた高校には、保健体育の先生が何人もいた。
1学期はバスケの先生、2学期はサッカーの先生という風に、それぞれの先生が体育・保健の両方の授業を担当し、週に一時間だけ設けられた保健の授業では、自分たちの体や健康のこと、各スポーツの文化背景について学んだ。

生殖の授業を受け持ったのは、新体操の先生だった。
動く度にシャカシャカ鳴る青いジャージを着ていて、短髪で、瞳がまんまるで、化粧っ気がなく唇だけつつじ色に染まっている、少年みたいな雰囲気の人だった。

小学生のころ、友達と保健学習の漫画を読んでは「精子、卵子だって」「うるせーし」「知らんし」とか言って涙が出るほど笑っていたが、さすがに高校生にもなると生殖の授業は気まずかった。
私を含め教室全体が冷えたようにシンとしていたのを覚えている。

でも思春期の下心を抜きにしても、先生の「いのち」の授業は面白く、目が合った友達と変顔をしたり、mixiの足あとをチェックしたりすることは一度もなかった。

みずみずしく澄んだ高い声で、先生は生殖の仕組みや私たちの体の不思議について淡々と解説する。

卵子のもととなる細胞は、私たちが母親の胎内にいるときに500 万〜700万個ほど作られ、生まれるときには約200万個に減っている。
(身体的な意味での)女の体の中では、生まれる前にすでに一生分の卵が作られているのだ。

月経が始まると、排卵の時期に成熟している卵子が一つだけ卵巣を飛び出すが、残りの卵子たちはしぼんでいく。
1周期の間に約1000個もの卵子がなくなってしまい、月経が終わる閉経の時期には卵子の在庫がほぼ尽きるという。
私がオギャーと泣いて意識を帯びる前に、体内では子どもを作る態勢が敷かれているなんて。
想像すると気味が悪く、へそのあたりをかきむしりたくなる。

全卵子のもとが生まれる前にでき上がり、新たに作られることはない一方で、精子は毎日5000万〜1億個ほど作られる。
おじいちゃんになっても大量生産される。
透明なおたまじゃくしを延々と作り出し、命の限り稼働し続けるブラック工場みたいだ。

数ヶ月にわたる授業の終わりに、先生は教科書を置いて、いつもより少しだけ熱を込めて話し始めた。

「私たちには、必ず生物学上の父親と母親がいます。
父と母から均等に遺伝子の情報を受け取り、具体的に言えば二人から23個ずつ染色体をもらって受精卵ができます。
その受精卵が46個1セットの染色体をコピーしながら細胞分裂を繰り返し、ヒトの皮膚や心臓や血液が作られていきます。

卵子や精子に乗っている染色体には2の23乗の840万通りの組み合わせがあって、この精子と卵子が結び合わさる組み合わせは840万かける840万、な んと70兆通りもあるの。

細胞分裂の過程で起こる遺伝子の混ざり合い(組み換え)も加味すると、もう組み合わせのパターンは無限にあるんです。
つまりここにいるみんなは、天文学的な確率で産まれたわけ。
君たちは、存在だけで奇跡なんだってことを覚えておいてください」

先生は「だから、どうか自分の命を大事にしてほしいです」と付け加えた。

先生の授業は一瞬も眠くならなかった。
テスト範囲の告知の際、満点をとった生徒は過去いません、と言われたのが印象に残り、私はいつもの倍の力を入れて保健のテスト勉強をした。

案の定100点はとれなかったが、先生は「〇〇の名前を忘れることはないでしょう」と98点の回答用紙を渡しながら褒めてくれた。
おそらく私の高校時代のテストの中でも自己ベストだったと思う。

卵管の先にある「手」のような部分には、排卵された卵子をキャッチして卵管に運ぶ機能がある。
その「手」には「卵管采(ランカンサイ)」という南国に咲く花のような名前がついていて、采という文字を書いたのは後にも先にも保健のテスト一度だけだった。
あの保健の授業から10年以上経っても、「子どもを作る」という営みが教科書以上の現実味を伴って自分の前に降りてくることはなかった。
10年で少なからず色んなことを経験し、自分のトリセツは倍以上に分厚くなったはずだが、いくら目次をなぞっても「出産」「育児」の文字は見当たらない。

大人になったら社会に出て、働いて、家事もちゃちゃっとこなして、パートナーを見つけて〝頃合い〟がきたら結婚し、30過ぎくらいに子どもをもうけるものだと思っていた。

でも現実は、毎日働くだけでHP(体力)とMP(精神力)をガリガリ削られ る。MPを回復させるために趣味に銭と時間を費やし、その後はHPを取り戻すために泥のように眠りこける。
そして銭を獲得すべくまた労働に励み、お金は貯まらないがシンク内の食器と脱衣所の洗濯物だけが溜まっていく。

人は一人では生きていけないと3年B組のロン毛の先生が言っていたが、赤ん坊という生きものは文字通り数分の放置でも危ない。
布団やマットレス、自分で吐き出したミルクなど、思いもよらないもので簡単に窒息事故が起こり得るし、添い寝をしていた保護者の体の一部が赤ん坊の口を覆ってしまう事故もある。
1歳に満たない息子を自宅に8時間放置したとして、 夫婦が逮捕された事件もある。母親はスマホの見守りアプリをチェックしていたので大丈夫だと思ったらしい。 親が少しの間、家を空けただけで保護を怠ったとして罰せられるのだ(保護責任者遺棄罪、保護責任者不保護罪など)。

暮らしを立てるだけで精一杯なのに、どうして新たな生命を育てられようか。
育てられそうなのは、せいぜいたまごっち2匹くらいだ。

39歳という高齢で腹を切って私を産んだ母は「あんたも産んだら子どもの特別さが分かるわよ」と言っていた。
「赤ちゃんが生まれたら、ちゃんと母親になるから大丈夫」と語る経験者もいる。
まだ産んでいない子どもの特別さなんて実感できるわけがないし、一体どれほどのものを捧げれば母とやらになれるのかも、 さっぱり見当がつかない。
母性だとか本能だとか、ひどく不確かで無責任で宗教的な概念を持ち出して、 子どもを産むべきだと唱える人もいる。
母性??
子どものいる人生に興味はあるものの、「母になりたい」とは1ミリも思ったことのない私はおかしいのだろうか。
HPとMPを削られては補うように生きる日々の中、一体みんなどこで「自分の命をかけて子どもを産みたい」「自分の人生を捧げて子どもを育てたい」という感覚に行き着いたのか。

もしかして母親になるとレベルが3から100に上がり、HPとMPが跳ね上がったり、使える技が倍増したりするのだろうか。そんなチートがあるならぜひ教えてほしい。

そういえば、レベルやHPという概念を覚えたのはポケモンのゲームだった。 レベルが一定値に達したポケモンは自動的に進化するが、進化途中にBボタンを連打すると意図的に進化をキャンセルすることができる。
進化をキャンセルしたポケモンは、経験値が伸びない代わりに早く技を覚えられるため、私はよくこの裏技を使っていた。

人生でも、ずっとBボタンを連打している気がする。

だって産んでしまったら、不摂生も惰眠も、思いつきの旅行も叶わない。
産んで数年の間は、子どもを預けない限り一人でコンビニに行くことだってできなくなるのだ。
自分以外の個体の命や人生に責任を持つってそういうこと。
「家族を思うと頑張れる」と家族を持った人が言う。
「自分のためだけに仕事を頑張るのがキツくなった」と犬を飼い始めた独身男性が言う。

どうしよう、未熟な私はまだまだ自分のために頑張れてしまう。
頑張れないときは、ふて寝をすればいい。

出産の一番の恐怖は、やり直しがきかないことだ。
数あるライフイベントと言われるものの中で、出産だけは後戻りができない。
存在させてしまったものを無かったことにはできないし、一度母になってしまえば母にならなかった自分の人生を確かめることはできない。

こんな会社辞めてやる!こんな街飛び出してやる!こんな男別れてやる!ができない、一度乗ったら一生降りられないジェットコースターだ。

今日もSNSに嬉々としてあげられた友人のマタニティフォトやエコー写真を見ると、あまりの生々しさに当てられ、苦いものが喉元までせり上がってくる。

出産を選択した友人たちは、この無謀すぎる博打に、暴力的な不可逆性に、 固く目をつむりながら身を投じたのだろうか。

母になった人たちは口を揃えて「そんな理屈で語れるもんじゃないよ」と苦笑する。
たしかに妊娠の予定もない私が、こんなに出産について頭を悩ませているなんて、一人相撲もはなはだしい。

まだ生んでもいない子どもへの愛情が、この、心をひしゃぐ不安や恐怖や面倒くささに勝る日はくるのだろうか。

先生、卵管采の文字は書けたけれど、自分が子を産みたいのかどうか、よくわからないです。
幸せに生きられる根拠もない命を自分が作っていいのか。
13年たった今でも、 ずっと分からないままです。



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「そろそろいい歳というけれど」より抜粋・編集


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