「作家に成りたいとは芸能人に成りたいということ」
なぜ、みんな作家になりたいのであろうか?
医師、弁護士、大学の教員、研究者、社長というのならまだわかる。
作家になりたいというのは「芸能人」になりたいのと同じだと思う。
丁度、芥川賞が、「レコード大賞」というところだろう。
結局は、作家でも皆、無名作家ではなく、ファンがサインを欲しがる作家になりたいのだ。ちやほやされたいだけなのだ。編集者つきというと、芸能人のマネージャー付きと同じだ。
わたしは、「小説の書き方」は勉強したいが、作家になりたいとは思わない。単純にあこがれの職業なのだろうというところだ。
ここ「note」では、自称・作家はまだかわいいほうで、いつのまにか自分のことを「作家」にしたてあげてしまっている若いのがいる。
若気の痛手であろう。
また、最近、自分のことを発信者、クリエーターと呼ぶものさえいる。おめでたい人たちだ。そんなに「作家」になりたいのかと、滑稽に思える。なれないから、発信者でありクリエーターなのだ。所詮、わたしはクズで使い物になりませんと自己申告しているようなものだ。
「作家」になりたくてなった人を知っているが、悲惨なほど苦労している。生活が安定しないので、結婚も遅くなっている。日々、机に向かっても何も書けない日が何日も続くとそれだけで気が滅入ってしまうらしい。
「作家になりたい」何て言ったら、親が哀しむであろう。
うちの子は、頭までやられたかと。
こういう現象が起きるのは、つまり、「作家になりたい現象」が起きるのは「出版社」によって丁寧に作られた、作家を特別視する環境のせいであろう。巧みに作られた世界である。
作家になりたいという人が、とにかくここに集まってきているのは、全員あわれ!というしかない。
不思議なことに「文士」になりたいという人はいない。
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