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【落下の解剖学】真犯人は?自殺か、他殺か?

#ネタバレ

あらすじ:
雪山の奥にある一軒家で夫が不審死する。妻は夫殺害の容疑で立件される。検事は殺人を主張して、弁護士は自殺だと反論する。どちらの説も物的証拠は決定打に欠き、関係者や専門家の証言が重要になる。裁判を通じて夫婦のプライバシー(夫婦喧嘩;浮気;心療内科通院など)はどんどん暴かれていき、父を亡くした未成年息子の心を更に傷つける。そんな中で唯一の目撃者である息子も証言台に立つことを決意する。
結末:
判決で妻は証拠不十分で無罪を勝ち取り、息子と帰宅して静かな生活を取り戻すのでした。

この映画では【本当は何が起きたのか】は最後まで描かれません

映画の中の裁判で検察が他殺だと証明できなかっただけで、自殺とも他殺とも、どちらとも受け取れる曖昧さを残して映画は終わります。

つまり、あらすじを最後までネタバレで語ってしまっても夫の死因はミステリーとして残り続けるという実験的で稀有な映画です。

The editor mentioned that the movie was no longer very interesting when Sandra's character was becoming too innocent or too guilty, or too manipulative. The main challenge for the editing was the arc of ambiguity for her character.
この映画の編集担当者は言及している。本作でサンドラが無実なのか有罪なのか、あるいは口がうますぎるでも良いが、何かに特定されてしまうと映画の面白さが無くなる。本作の編集における最大の挑戦は、彼女のキャラクターを曖昧にすることだった。

https://www.imdb.com/title/tt17009710/trivia/?item=tr7280987

そんな本作の根底を流れる重要なメッセージが、息子ダニエルの保護を担当した法廷職員マージが説いた台詞に込められています。

人は証拠が足りない時は、自分にとっての真実を決めなければならない

MARGE: Quand un élément nous manque pour juger de quelque chose, et que ce manque est insupportable, la seule chose qu’on peut faire c’est décider. Pour sortir du doute, on est parfois obligé de décider de basculer d’un côté plutôt que de l’autre. Comme t’as besoin de croire à une chose, et qu’il y en a deux... tu dois choisir. (alt.: ...Comme tu peux pas croire à deux choses en même temps... tu dois choisir.)
何かを決めるための要素が欠けている時、しかもその欠如が避けられない時には、私達にできることは決断だけなのよ。疑いを取り除くために、私達はどちらかの側に決断することを強制される時があるの。あなたが一つのものを信じる必要があって、そこに二つあった時には、あなたはどちらかを選ばなければならない。(*もしくは:二つのものを同時に信じることができないから、あなたは選択しなければならないわ)
DANIEL: Il faut inventer qu’on est sûr, c’est ça ?
それを信じるようにならなければならないってことだよね?
MARGE: On peut le dire comme ça.
そのように言えるわね。
DANIEL: Mais moi j’suis pas sûr, ça veut dire que j’dois faire semblant ?
でも確信がないんだ。それって信じてるフリをしろってこと?
MARGE: D’une certaine façon, il faut peut-être que tu te fasses croire à une certaine vérité.
ある意味では、自分に一つの真実を信じさせなければならないのかもね。

https://deadline.com/wp-content/uploads/2023/12/Anatomy-Of-A-Fall-Read-The-Screenplay.pdf

これを聞いてダニエルは父には自殺の意図があったと自分にとっての真実を決めて証言台に立ちました。

そして同じく映画の観客たちも、映画では証拠が示されないので、本件を自殺だと信じる人、本件を他殺だと信じる人、の大きく2グループに分かれることになりました。

このnoteでは、私が「選んだ」真実を書きます。

▼他殺ではない:

本件は他殺ではありません。

私が本件を他殺だと思わない根拠は以下の通りです。

・妻の腕力では夫を突き落とすのは無理
・凶器が見つかってない
・血の飛び散り方が科学的に不自然だと鑑識が述べた
・死体を引き摺る理由がない

もし2階ベランダで妻が凶器で殴って夫が額を切ったならば、ベランダからも血痕が見つからないとおかしいです。なので夫は落ちて物置の屋根にぶつかった時にはじめて額を切って、だから物置だけに血痕がついたと考えるのが科学的に自然でしょう。これが他殺ではないと私が考える最大の要因です。

もし凶器で殴って、そのあとで夫を突き落としたなら、殴った直後に凶器を手から話す動作が生じます。女性の腕力で大怪我を負わせるほどですから、かなり重いはずです。そんな物を持ったまま背の高い男を突き落とすのは無理があります。

凶器を室内に落とせば床や家具に何かしら傷がついたり、場合によっては血痕がつきます。重たいので屋外に投げ捨てる余裕は無いでしょう。燃やして証拠隠滅できる木材では軽すぎます。金田一少年の事件簿なら氷を凶器にすることもありそうですが、現実的ではありません。となると何かしら夫の皮膚組織が付着した凶器を警察が見つけそうなものですが、しかし裁判では具体的に言及されません。

以上が物理的な観察結果から、他殺ではないと思われる根拠です。

心情を慮る行為は客観性を伴わないのであまり本意ではありませんが、本作では妻に殺人の動機があったかも怪しいと思われます。現在の生活に不満はあったかもしれませんが、社会的に成功者ではあるので、殺意まではエスカレートしないのではないかと。

▼自殺ではない:

本件は自殺でもありません。

私が本件を自殺だと思わない根拠は以下の通りです。

・夫の遺書が見つかってない

これだけで十分でしょう。物書きの人間が遺書も残さず自殺するのは圧倒的に不自然です。文章を書いて残すことが仕事の人間が、何も書かずに死ぬわけないじゃないですか。しかもこの夫は、創作のために日常会話を録音してた人ですよ。

検察も遺書がなかったからこそ自殺じゃないと判断して、他殺の容疑をかけたのだと推察します。

では、真実は一体何が起きたのか?

▼真実は、ただの落下事故である:

ずばり、ただの落下事故でしょう!(笑)

この説を唱えている感想は、ほとんど見かけない気がします。

みんな、自殺か他殺かの2択です。

でも論理的に考えたら、この可能性を論じるべきではありませんか。

そして、これが真実です。間違いありません。

だって他殺でも自殺でもないですから。(ドヤ顔😎)

要するに、この映画は:実際には男が不注意で転落死しただけなのに、検事(他殺説)と弁護士(自殺説)が寄ってたかって、お互いに妄想で作り上げたストーリーを裁判で争って、その過程で夫婦のプライバシーが世間の好奇の目と、そして息子に暴露されていくというブラックコメディだったのです。

嗚呼、胸糞悪い。(笑)

▼なぜ気づかない:

なぜ観客は自殺か他殺かの二者択一になってしまうのか?

それは劇中でホットな弁護士が自殺説でゴリ押しするからに他なりません。

映画の序盤で弁護士がはっきり言います。

SANDRA: First of all, I didn’t kill him.
そもそもなんだけど、私は殺してない。
VINCENT: You don't need to tell me that. The question is this: Was there anything in Samuel's personality, or in what he was going through lately, that would seem consistent with a suicide?
君がそれを僕に教える必要はない。問題はこうだ。サミュエルの性格に何か、もしくは最近の行動の中に何か、彼の自殺に繋がるものが無いか?

(これは脚本;実際の映画ではStop, I didn't kill him - That's not the pointに変更されてます)

戸惑うサンドラはすぐさま自殺説を否定します。

SANDRA: I've thought about it, and I just can't imagine him... jumping with Daniel so close by... I just can't imagine that. He had his problems, but he was working on them... We were laughing so hard just the day before, talking about our projects... He had so much energy. I mean, for me he was so alive. I’m not comfortable with this.
それも考えたけど、想像できないのよね…ダニエルの近くで飛び降りなんて…やっぱり想像できないわ。彼は問題を抱えてた。でも乗り越えようとしていた…その前日には普通に笑い合ってたのに。未来についても話してた…彼はやる気だったわ。つまり、私から見て彼は生き生きしていた。こんな風に(自殺だと)考えるのは良くないと思う。

しかし弁護士は折れません。

VINCENT: Ok, let me put it another way: If they indict you, it’s probably our best defense.
オーケー。別の考え方をしてみよう。もし検察が君を告訴したら、それ(自殺)が最適な弁論なんだよ。
SANDRA: I think he fell.
彼は転落したんだと思う。
VINCENT: It’s really hard to believe.
それはとても信じ難いね。 

裁判が進むにつれてサンドラが再び迷っても、弁護士は折れません。

VINCENT: People don’t believe you because you’re innocent; they believe you when you don’t behave like a guilty person!!
人は君が無実だから君を信じるんじゃない。人は君が罪人のように振る舞わない時に君を信じるんだ。
SANDRA: That recording is not reality. If you take an extreme moment in life, an emotional peak, and focus on it, it crushes reality. It may seem like irrefutable proof, but it actually warps everything. That is not reality. It’s our voices, but it’s not who we are.
あの録音は現実じゃないわ。もし生活の中で極限状態になった時には、感情的なピークが来てしまって、それに没入してしまったら、それは現実を凌駕するわ。これは反駁しようがない証拠に見えるかもしれないけど、でもデタラメよ。あれは現実じゃないわ。私と夫の声だけど、でも私達夫婦ではない。
VINCENT: You need to start seeing yourself the way others are going to perceive you. It's very hard to do, but you can’t just say: "You don’t understand, I know I’m innocent." A trial is not about "The Truth," it's about who's the most convincing.
君は自分自身を他人が君を知覚する方法で見るようになる必要がある。それはとても難しいことだ。だが通用しないんだよ。「私は理解できませんが、私が無罪であることだけはわかります」なんて言っても。裁判とは「真実」を明らかにする場所じゃない。裁判とは誰が最も説得力があるかを決める場所なんだ。

弁護士の態度は一貫しています。彼はサンドラの真実を聞かずして、結論を決めています。極論、彼にとって真実なんかどうでも良いのです。彼の仕事(職務上のミッション)は裁判に勝つことですから。裁判に勝てる一番良い方法(ストラテジー)を見極めて、それを実行するだけなのです。

夫が自殺したと思った観客も勿論ですが、逆にサンドラが殺したと思った観客も、まんまと弁護士の口車に乗せられた…というのが私の見解です。

サンドラがすぐに折れて弁護士の言う通りにしたのが、観客もまた事故死の説(珍しいだけで実は一番破綻が少ない説)を忘れてしまう一因になっていますね。

▼定番の展開と感動で誘うミスリード:

この映画が上手いと思うのは、終盤に犬の名演技と、少年の名演技のダブルパンチで観客を感動させてしまう点です。

まずオーバードーズ(過剰薬物摂取)の犬の演技がマジで凄すぎます。

少し動物を使っただけで動物愛護団体が大騒ぎする昨今で、あんなに観ていてハラハラした映画は久しぶりです。

For his role as Snoop, border collie Messi was awarded the Palm Dog at the 2023 Cannes Film Festival.
スヌープ役でボーダーコリー犬のメッシは2023年カンヌ国際映画祭で『パルムドッグ』を受賞した。
Messi, the dog who played Snoop, trained two months for the overdose scene.
メッシはオーバードーズの演技のために2ヶ月訓練した。
All of the scenes featuring the dog Snoop were shot in 20 consecutive days.
スヌープが出てくるシーンは20日間連続で一気に撮影された。

https://www.imdb.com/title/tt17009710/trivia/

そして、犬の名演に感情を掴まれたまま、少年の証言シーンに移ります。視覚障害の少年には見えていなかったはずの父親の顔に、少年の声でセリフを当てて非常に感動的です。ここまで2時間以上続く緊張(上映時間152分)に疲れて、感情的な気分にもなっている観客。少年の証言が記憶の改変を含んでいる可能性を忘れたり、やはり母親は無実で父親の自殺だったんだと信じた人は少なくないでしょう。

しかし残念ながら、それは間違いだと私は思います。

映画タイトルにもなった『落下の解剖学(原題:Anatomy of a Fall)』とは、まさに人々が論理のテクニックに捕らわれて、真実の認識から「誤謬ごびゅう(英語:fallacy)へと滑り落ちること」を表現していたのでしょう。

fallacy〕一見正しくみえるが誤っている推理。推理の形式に違背したり,用いる言語の意義が曖昧(あいまい)であったり,推理の前提が不正確であることから生ずる。詭弁(きべん)。論過。虚偽。

この考察に説得力を持たせるために、最後に当事者であるジュスティーヌ・トリエ監督のインタビューを載せておきましょう。

「最初から、回想シーンは使わないと決めていました。必要ないと思っていましたし、何よりも人の口から発せられる言葉に焦点を当てたいと思ったんです。裁判では真実を掴むのが困難であり、人が発する言葉で埋めなければならない空間がある。音を使うことだけは例外として認めましたが、これは回想ではありません。夫婦が言い争うシーンは、録音された音声がスクリーン上で突然展開し、臨場感を作り出す。それが空間を生み出すんです。その方が映像よりもパワフルだと思います。また、ダニエルが亡くなった父親の言葉を再現する場面では映像が登場するけれど、それは記憶であり、事実ではないんです。検察官が指摘するように、証拠のない証言なの。基本的に法廷では、自分の歴史が自分のものでなくなってしまいます。他人によってあちこちに散らばった不確かな要素を組み合わせて審判がくだされる。つまり歴史が虚構になってしまうの。私はそんな点に興味を引かれたんです」

https://www.gqjapan.jp/article/20240221-rakkano-kaibougaku-anatomy-of-a-fall-review

さて、あなたは何が真実だと思いますか?

自殺、他殺、転落死、それとも他の可能性?

コメントなどで意見をお聞かせいただければ嬉しいです。

(了)

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