岩波ハル

90年代を駆けた1人でございます。 当時の原風景をゆっくりと文字にしてゆこうと思います…

岩波ハル

90年代を駆けた1人でございます。 当時の原風景をゆっくりと文字にしてゆこうと思います。週に1回投稿を目標に。

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【ショートショート】ラストデニム

彼はデニムスーツで登場した。 ご自慢のリーバイスの〈ファースト〉のジャケットと〈ダブルエックス〉のパンツの上下だ。 式場の入り口にいた受付スタッフは、彼を見るなりすぐにどこかへ走っていった。 彼は周りの視線を尻目に、胸ポケットに入っていたシルクのハンカチーフを2本の指で取り出すと革靴の先を拭いた。コードバン製のその革靴はシャンデリアの光を受け、漆黒の輝きを放つ。 彼は睥睨する。みっともないスーツ姿の老若男女を。4つボタンのジャケット。3つボタンのジャケット。奇妙な革靴

    • 花になれ

      「あなたの苦しみが 悲しみが 無念さが 花になれ 花になれ 光となれ と願っています」 先生の懐かしい言葉はいつでも私の胸の中にあります。 冷え切った心、押し潰されそうな心、縮こまりもがいていた私にとって、その手紙の中の言葉は、ひとすじの光でした。 あの頃と変わったのは、部屋に山と積み重ねられたキャンバス。 その一枚一枚に描かれているのは、稚拙ながら、たしかにその時その時の私の心のあり様でした。 薄暗いこの部屋が私の世界。ただ一つの安全な場所。 私の心が折れた時、その時

      • 【ショート】ギブソンと女の子

        はい。うちのおとんは、自分はミュージシャンだ、と言い張っております。 本当は違うことくらい、子供のうちでも分かります。 だって、いつもペンキだらけのズボンをはいて、朝早く出かけますもの。 家に帰ってくると、350mlの缶ビールのフタをプシュッと開けて、あぐらをかいてギターを弾き始めます。 はい。缶ビールです。おとんが言うにはミュージシャンたるものはキンキンに冷えたビールだけを呑まなければいけないそうなのです。 シワシワの赤い顔で嬉しそうにビールを呑む顔を見ているとこっちまで

        • 【ショートショート】アランニットの下の隠し事

          あのお揃いのネックレスを無くしたのはいつだったろう。 どうしても思い出せない。 いつの間にか無くなっていたのだ。 半狂乱になって部屋中を探し回ったが見つけることは出来なかった。 仕方なしに僕は似たようなネックレスを買い求め、首から下げているが、ネックレスの先に付いているペンダントはまったく別のものだった。 僕のそのペンダントはアランニットの下に隠れてはいたが、彼女の視線が僕の首元のネックレスに向けられる度にいつだってヒヤリとした。 衣服と胸の間にぶら下がっている隠し事は僕の

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        【ショートショート】ラストデニム

          【ショートショート】カウンターエレジー

          「俺は27歳でどうしても死にたかったんだ」 そう言うと、彼は寂しい微笑みを浮かべ、カウンターの右隣に座る女性を見つめた。 「ジミーヘンドリクスとカートコヴェインを君は知っているかい?」 彼はカートコバーンとは言わずに(カートコヴェイン)と発音した。 隣の女性は何も答えずに、不思議そうに彼を見た。 「俺は本物の音楽しか聴かないね。生粋のロックンロールしか、この耳が受け付けないよ」 彼は目の前のウイスキーのグラスを少しばかり傾けた。 「音楽は90年代までさ。それ以降、

          【ショートショート】カウンターエレジー

          もぐもぐ探検記 自炊素人編

          豚肉とオクラをフライパンに並べていく。 重ならないように丁寧に。 オリーブオイルにクレイジーソルトで炒める。 なぜ オリーブオイルなのか?  サラダ油が無かったのだ。どこにも見当たらない。いつの間に使い切ったのだろう。  失態だ。今週初めの職場での失態から、失態に続く失態。見事な失態劇。 おやおや、少々、イライラとしてしまったようだ。僕を1番イラつかせるのは、物を忘れる事と、それから靴下が上手く履けない時だ。 iPhoneから流れるモーツァルトの行進曲が胸中の荒波

          もぐもぐ探検記 自炊素人編

          春嵐

          春の嵐。 少し前に君の背中が見えた。細い坂道には君と僕の2人だけがいた。 坂道を登り切れば、すぐに校舎が現れるだろう。 坂道の途中の曲がり角で、突然、君は自転車を降りた。不意に振り返り、僕を見つめた君の瞳を今でもはっきりと覚えている。 生暖かい風が僕の頬を撫でた。 僕と君が言葉を交わすことは無かった。それでも、2年の間、僕を学校に引き止めたのは君の存在だったんだ。 君の周りはいつも賑やかで華やいでいた。君は学年でも目立っていたし、君が廊下を歩けば、男達が君を振り返るのは、至

          【短編】ダブルキッスオマージュ

          〈彼〉は腰を下ろすなり、鋭い眼差しで着座の人々を見回した。それは一瞬のことで、〈彼〉はすぐに隣にいる僕に話しかけてきた。 テーブルを挟んで、僕たちの前には4人の女性が座っている。こちら側には男5人が対座していた。 〈彼〉は右隣にいたフェッちゃんに何やら耳打ちした。 フェッちゃんがおもむろに立ち上がった。 フェッちゃんの顔の重厚さに対して身長があまりにも低かった為、女性陣たちはやや驚いた様子。その様子に〈彼〉は満足そうにニヤリと相好をくずす。 フェッちゃんはずんぐりとした体を

          【短編】ダブルキッスオマージュ

          ある一兵卒のこと 前線にて

          7日 曇時々雨 希望無き進軍は続いていた。 補給物資が来ない。 前回の補給より数えて12日。 もう食糧は底をつき始めている。 朝の報告では昨日、一昨日とそれぞれ2名の逃亡者が出たとの事だ。 進軍開始の頃は、月一名の落伍者に対しても驚いたものだが、最近ではもうそんな事で気を落としたりはしない。 この旅はいつまで続くのだろうか。 上官達はけして前線には顔を出さない。 一つ後方での会議、もしくは晴れた昼間に限っての前方視察のみだ。 一度や二度の戦闘を経験したに過ぎない理論家に

          ある一兵卒のこと 前線にて

          【ショートショート】お月様と少年たち

          僕たち3人は何か悪いことをしに行く途中だった 深夜の道 車中の3人 流行りの歌謡曲を何度も何度も繰り返し聴いていた カセットテープを巻き戻すのが僕のその晩の使命だった まだ寒い時期ではあったが車の窓を開き 僕はずっと夜空を見上げていた 漆黒に白く光る雲が走っている 月はいつもより大きくて 不動の姿勢で宇宙に浮いていた 3人はタバコを吸いながら 昨夜の事を話していた それは素敵な話だったように思う ウィットに富んだ素敵な話が僕たちは好きだった 僕たちには この空よりも

          【ショートショート】お月様と少年たち

          【ショートショート】 マイ・リーゼント

          「ER」って「より憂鬱な気分」て意味だよ。 まさに今日はそんな日だ。 僕は曇天の空の下を歩いていた。線路沿いのあまり広くない小道。 生い茂る草の匂い。耳鳴りみたいな蝉の音。胸にへばりつくヘインズのTシャツ。 僕はこのような気分を上手くやり過ごす術を知っている。それは“我が人生への喝采を思い浮かべてみる” これに限るね。 僕は原宿の古着屋で良く流れていた「マイ・リーゼント」という、ロカビリー調の歌を口ずさみ始める。 僕は想像した。 満員の小さなライブハウス。 ステ

          【ショートショート】 マイ・リーゼント

          【ショートショート】レッドウイング 〜真夜中の天使〜

          薄れゆく意識の中で、僕は、僕を蹴り続ける女を見ていた 彼女のスウェードのエンジニアブーツはうずくまる僕の五体を打つ 彼女の顔は激情にかられ、無我夢中で僕を打擲する その度に長いソバージュヘアは右へ左へと大きく揺れる なぜ、僕は彼女を怒らせたのか? なぜ、だっけ? ああ、そうだ このソバージュの後ろに佇む、赤いボディコンの娘に声をかけたのが始まりだ 僕はいつもの通り、夜の駅前でガールハントをしていたっけ それほど失礼な挨拶はしなかったはずだよ? それでも紳士的な振

          【ショートショート】レッドウイング 〜真夜中の天使〜

          【ショートショート】魔太郎のもぐもぐ冒険記 〜カフェー編〜

          誤解をしないでいただきたいのですが、なにも私は当節流行りの、洒落たカフェーを否定するものではありません。 たまたま、このお店が古風な純喫茶だったのです。(おそらく昭和の時代からのお店とお見受けします) 私は、週に三度ほど、この喫茶店の窓際で珈琲とゆるい時間を味わいます。 窓の外の景色はいたって殺風景ではありますが、そこに座っている私とそのお店はとても〈しっくり〉ときているのです。 くすんだ色の壁に茶色い柱。茶色いテーブルに茶色いソファ。そこには洗練されたものは見当たりませ

          【ショートショート】魔太郎のもぐもぐ冒険記 〜カフェー編〜

          【ショートショート】君はレジ☆スター

          僕は手を止め、君を見る。 今日の仕事を悠然とこなす君。その顔はいつでも明朗だった。 君を月曜日に見た。 君を火曜日に見た。 君を水曜日に見た。 君を木曜日に見た。 君を金曜日に見た。 多分、土曜日にも見たはずだ。 課せられた単純な連続作業。永遠のスパイラルに没頭する君。 傲慢な店長に対する君。その華麗なる作り笑い。 幼稚な先輩に対する君。相手の急所をつく見事なご機嫌取り。 不機嫌な客は無実の君を罵る。反省する伏し目は至高。 君は朗らかな悪態をつく。不条理と遊び戯

          【ショートショート】君はレジ☆スター

          【ショートショート】魔太郎のもぐもぐ冒険記

           居酒屋にしろ、カフェーにしろ、自分にとってしっくりとくる場所を見つけるにはやはり足を使うしかありません。 美味しいとか、お安いとか、そのようなお店は数多くありますが、座っていてしっくりこなければ、やはりどうしても足が遠のくものでございます。 このお店は私めが2年、3年と都下を廻る中で見つけました素敵なお店の1つでございます。小洒落ているわけでも、愛想の良い店員さんがいるわけでもございません。もちろん図書館のように静かな所というわけにもまいりません。 それでもやはり、お皿

          【ショートショート】魔太郎のもぐもぐ冒険記

          【ショートショート】スコセッシの天才

          スコセッシの天才を僕が語る時、君はいつも皮肉な笑いを浮かべた。 天才は平凡な情景を詩に変える。 未経験は一つの才能だ。天下を取らんとするその前傾姿勢。それはその後の高度な技術を圧倒する。 若さの感性。それは老練な芸術を打ち砕く。 新進気鋭の彼。地位は無い。安寧も金も。 その頭を砕かんとする天才の努力。一言もおざなりにしない執念の連続作業。一の風景を作るに数時間の苦行を彼は当たり前のように背負い進む。 彼はいつでも妥協できたのだ。誰にも気づかれず後退も出来た。 青

          【ショートショート】スコセッシの天才