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【ショートショート】魔太郎のもぐもぐ冒険記 〜カフェー編〜

誤解をしないでいただきたいのですが、なにも私は当節流行りの、洒落たカフェーを否定するものではありません。
たまたま、このお店が古風な純喫茶だったのです。(おそらく昭和の時代からのお店とお見受けします)

私は、週に三度ほど、この喫茶店の窓際で珈琲とゆるい時間を味わいます。
窓の外の景色はいたって殺風景ではありますが、そこに座っている私とそのお店はとても〈しっくり〉ときているのです。

くすんだ色の壁に茶色い柱。茶色いテーブルに茶色いソファ。そこには洗練されたものは見当たりません。
窓の下や、低い仕切りの上や、レジの横など、ありとあらゆる場所には、意味不明な小物達が並べられています。
なんとまあ、センスの無い小物達でしょう!
なぜ、そこに、くたびれたお人形さんを、安っぽい造花を置くことを思い付いてしまったのでしょう!

たしかに店内はナンセンスの極致ではありました。しかし、よく目を凝らしてみますと、床や窓の隅々までお掃除が行き届いています。(これは店主の奥様のお力と思われます)清潔感は間断の無い日々の労力の上に勝ち取られるものです。

店主に愛想はありません。私は店主の声を一度たりとも聞いたことは無いのです。首を縦に振るか、横に振るか、それが彼の唯一のコミュニケーション能力でした。

それでも、このお店には居心地の良い空気が常に流れていました。少しも背伸びをする必要はありません。たとえ、寝巻きのまま、その茶色いソファに座っていたとしても、恥ずかしい思いに駆られる事は無いでしょう。実に自然体でいられる事は素敵です。

私が思うに、そのお店の世界というものは、壁や椅子や、照明やテーブルクロスなどが作っているのではなく、そのお店の長たる者の心が作っていると思われるのです。繕うことが不可能な心の底が、そのお店の雰囲気なり空気なりを作っているのではないでしょうか。
それは温かいものであったり、冷たいものであったり、快楽的なものであったり、打算的なものであったりするわけですが、そこに人をして、引きつけたり、安心させたり、嫌悪させたりする世界が出来上がるのでしょう。

私はこの店が出すペペロンチーノを愛していました。もちろん玉ねぎは入っておりません。やや硬めの麺。かなり辛めのお味付け。寸分の狂い無く計算された量。
驚くべきことに、ランチセットでありがちな果物の一欠片は付いていません。その代わり、単純明快なコーヒーゼリーが、珈琲の隣の座を占めているのです。この辺りに店主の天衣無縫の才を感じます。

珈琲の事をとやかく言うのはよしましょう。(こればかりは人それぞれの好みになりますので)
ただ一言申すのを許されるのであれば、コーヒーシュガーの置いていないお店は信用ならない、というのが私の意見です。
また、そのお店の品位を見定めたいのであれば、(ランチセットの)サラダの小皿が運ばれてきた時に分かります。そのレタスにかけられたドレッシングに、そのお店の品位が凝縮されていると私は思います。レタスに対してドレッシングの量が極めて足りていないのは論外で、まさにクソ、、、(失礼致しました)品位をご自分でお下げになっていると、言わざるをえないのです。

マスターは年季の入ったエプロンに両手を突っ込んでラジオに聞き入っています。マスターの奥様は電話口の相手と果てしないお喋りを続けています。私めはミルクを入れ過ぎてしまったブレンドをすすりながらアイフォーンをいじっています。


後記

後日談ですが、その店主のあまりの無愛想、お客である私への無能な対応に、さすがの私めも我慢の限界をきたし、そのお店へは二度と訪問しないことを固く誓ったことをここに付記しておきます。(やはり接客なるものは飲食を生業とする者の重んずる第一でありましょう)



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