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生きづらさを輝きに!NO.52 有料記事の購入者様のご紹介と、37年来の親友一家が急に泊まることになった話。

今日のメインの話に入る前に、有料記事の購入者様のご紹介をさせていただきます。
と言っても、1人の方だけですが、1人づつでも、買っていただくということは、本当にありがたく、嬉しいことです。

有料記事のご購入者様、四人目は、シゲクさんです。

シゲクさんとは、まだお付き合いは短いので、詳しいことはわからないのですが、シゲクさんも有料記事を書かれていたり、今から有料記事を書かれる方向けの有料記事を書かれたりしている方のようです。
コメントのやり取りを、少しだけさせていただきましたが、とても丁寧にコメント返信してくださり、良い方だなという印象を持ちました。
ご購入、ありがとうございました。

シゲクさんの記事です。
まだ読まれたことのない方は、良かったら、読んでみてくださいね。





ここからは、37年来の付き合いのある親友が急に泊まりにくることになった話です。

私には37年付き合いのある親友がいる。
今年の3月に、親友のお父さんの容態が悪くなり、一度五島に帰る時に連絡をもらい、数年ぶりに、長崎空港に会いに行ったと言う話をnoteでも投稿した。

その時のnoteはこちら。


親友と初めて会ったのは、15歳、春の話である。
いや〜 歳をとりました。
37年も経つと、お互い歳を重ねたなって思う。
若い頃は、たくさんの記憶を持っていたし、ある程度の年齢までは、何歳まではここにいて、こんな仕事をしていてと、明確であったが、いつの間にか、何歳ごろはこんな仕事してたかなー、何歳ごろまではここにいたかなーと、だんだんと現実的な生活になっていき、どっぷり田舎にハマっていった私である。

親友とは、高校の時からの付き合いになる。
4年間、定時制の高校に行きながら仕事をしていたので、その4年間から、次に行った調理師専門学校まで、私と親友は近い存在の場所にいて、調理師学校に行く1年間は、小料理屋に住み込みアルバイトとして、ひとつのアパートを借りてもらい一緒に生活をしていた。

その後は、バラバラになっていくのだけれど、ずーっと付き合うが途切れずに今も続いている。
と言っても、いつもいつも一緒にいたわけではないのであるが。

親友の旦那さんのことは、私たちが高校生の時から、親友は付き合っていたので知っている。
ちょこちょこ、いや、数年に一度程度は会ってきたと思う。

親友は、今回、お盆の時期はずらして?なのかはよくわからないけど、親友と、旦那さんと娘2人と、孫2人(5歳男の子と、3歳女の子)計6人が、五島と熊本に帰省していた。

五島→熊本→五島。

と言うのは、熊本に帰っている時に、五島にいる、親友のお父さんが亡くなったと連絡が入ったそうだ。

しかし、話はほとんど出来ない状態であったらしいが、親友はお父さんには会えたと話していた。
生きている間に会えたそうだ。
それって、「お父さんはきっと娘を待っていたんだね」と話し、実家の方も、取り壊しが決まるったようだ。
私たちも歳を重ね、色々な状況が変わりつつある。
親友のお父さんは、92歳で亡くなった。


色々大変だったことを聞いていたが、滅多に電話はしてこない親友からの電話。何か急な相談か何かだろうなって思い、話を聞いた。

「〇⚪︎ちゃんのところに、泊まらせてもらうことできる?」

急な話だったので、しばらく考え、返信した。
「良いよ」

私は親友のために何かしてあげたかったし、疲れているだろうから、ゆっくり寝させてあげたかった。

とは言え、家の中は、梅雨がまだ明けていない、掃除しないと泊られられないと思い、そこから2日間くらい頑張って、布団を干したり、座布団干したり、掃除したり、やれる範囲でやれるだけの片付けをした。

その日、1日、1日と思い今の私は生きている。
その日は本当にたまたま何もなかったから、泊らせることができた。

たまたま施設のショーステイへ行けなくて、義母も家にいたけど、もう泊らせる話だけしておいた。
ここのところ、被害妄想も激しくて困っている。
夜に到着した親友一家の車を、玄関横の義母の部屋からカーテンを開け、黙って見ていると、かなり鳥肌ものだと思うので、それはやめるように言った。

色々面倒なことになりそうだったので、親友一家には、悪いけど、義母に挨拶をしてくれる?とだけお願いした。

義母に昔泊まったことがあったやん、と話をしたがもう忘れたらしい。
それもそうだろうな、親友の娘ちゃんたちが、まだ小学生とかだったと思う。
4年ほど前も泊まったけど、その時は入所していた義母だから知らないのだ。

そう考え、振り返るとたくさん思い出はあるのである。

玄関に、思い出の写真を額縁にたくさん入れて飾っているのだけれど、玄関まで来たお客さんが数人、この人誰ですか?と、赤ちゃんを抱っこした親友の次女さんを見て聞いてきたり、親友の長女さんの結婚式に呼ばれて滋賀まで行った時の写真を見て、誰の結婚式?と聞かれて、親友の長女ちゃん。
と、いつも自慢げに話している私である。

知らなかったが、お腹が大きい長女ちゃんだったので、2人目が11月に産まれるらしく、うちに来た時は、前も妊婦さんだったねと、また、産まれたら教えて。と話をした。

バタバタして、義母もずっと家にいたのもあり、なかなか思うように動けななかったので、大したおもてなしはできなかったが、できる範囲でのおもてなしはできた。

大した手土産は持たせなかったが、気持ち、お土産も渡すことが出来た。
今回の出来事で、日頃の片付け、埃を溜めないことの、重要性を知った。

五島からのお土産、こちらも、ありがたくいただきました。

五島は、上2人が小さい時に行ったことがありますが、ゆっくりできる旅行ではなかったので、機会があればゆっくり行ってみたいと思います。

色々言い訳するよりも、まずは決めて、それに向かって動く、ということも、今の私はできるようになった気がします。

以前なら、いや、ああだから、こうだから、と言い訳がましかったかなと思う。
今は違う、やれることはやる、やれないことはやれないと断る勇気。

行動はできて良かった。

子供たちも成長が早く、その分自分たちも歳を重ねている。
当たり前だけど、今生きている人たちは、同じように歳を重ねていく。

やりたいことは悔いの残らないように、自分の直感や意志を信じ、取り組んでいく。
それが今、そして今から先の私の一つの目標である。

今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^

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