F-130

筋トレ、食事、睡眠の三本柱を大切にし、複数の収入源でストレスフリーで健康的な生活を! …

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筋トレ、食事、睡眠の三本柱を大切にし、複数の収入源でストレスフリーで健康的な生活を! 元京セラ。今は巣鴨で税理士。セミナー講師、株式投資もやっています。

マガジン

  • ゴールド 金と人間の文明史

    ピーター・バーンスタイン著の「ゴールド 金と人間の文明史」はゴールドを軸とした、紀元前からの文明史です。この書籍はボリュームがあり、なかなか読破するのは難しいと思います。マガジンでは、興味深いエッセンスをピックアップして読みやすくしています。ぜひ、読んでください!

  • 会社を強くするために

    決算書、管理会計、信金繰りなどについて書いています。

最近の記事

連続投稿190日で終了:三つの理由

今年の2月10日からnoteを開始して、今日で190日目。 今日まで190日連続投稿しましたが、この記事で連続投稿は終了です。 「連続投稿終了の三つの理由」と「今後のnoteへの投稿」に関して書いてみます。 理由1:ゴールド読了ピーターバーンスタインの「ゴールド 金と人間の文明史」を読了しました! マガジンも作っていますが、計133本の記事となりました。 私は「ゴールド」は3年前ぐらいに読み始め、5回ほど読みました。しかし、内容をほとんど理解できませんでした(むちゃ

    • 金自体を目的とすることは意味がない ゴールド133

      金の長い物語 -歴史- のなかで最も印象的な特徴は、このドラマの主人公が金のおかげで酷い目にあうことだ。 ラスキンの船客ドラマの主人公はラスキンの船客のような目にあった。 「海に沈んでいったとき、男は金を所有していたのだろうか、それとも金が男を所有していたのだろうか?」 彼らは金に目が眩んで、幻想を追いかけた。そして、おのれの願いを叶えたものは誰一人といなかった。 永遠の追求金を人生の不確実な出来事にたいする損失防止装置だと信じた人びとは、永遠の追求が、金によって成就

      • 誰が金を必要とするだろうか? ゴールド132

        金はその歴史は終えたのだろうか? 世界は自由裁量の管理を選択した世界は金の束縛に変えて、自由裁量の管理を選択した。金の足枷から自由となったのだ。 世界の全ての国ぐには他の国家の貨幣以外には何も交換することができない貨幣システムによって機能している。 われわれが手にしている貨幣が本物かどうかを決めるための試金石はもはやない。その貨幣はコンピューターのキーボードを叩くだけで費用をかけずに作られているのだ。 ドル、ポンド、そして金も永遠でない多くの人はドルは体制を崩壊させな

        • 金は永遠の真理でなかった ゴールド131

          金の栄光は終わったのだろうか? 金は二つの役割を果たした歴史を通じて、金は二つの役割を果たしてきた。一つは「装飾品」として。もう一つは「貨幣」として。 その二つがお互いを強化し、支え合ってきた。そして、貨幣としての重要性が増すにつれて、金の持つ権力はますます大きくなっていった。 しかし、中世を通じて銀行業が盛んとなり、17世紀以降は貿易と生産が加速度的に成長したため貨幣の必要性が急速に高まった。そこでは、金よりも「信用貨幣」が多く使われるようになった。 つまり、金は金

        連続投稿190日で終了:三つの理由

        • 金自体を目的とすることは意味がない ゴールド133

        • 誰が金を必要とするだろうか? ゴールド132

        • 金は永遠の真理でなかった ゴールド131

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        • ゴールド 金と人間の文明史
          133本
        • 会社を強くするために
          13本

        記事

          金は単なる飾り物になってしまったのか? ゴールド130

          1960年代、主要国の中央銀行は、投機家の仕業により金価格が上昇するのを防ぐために金プールを組織した。そして、そのために必要なだけの金を売った。 1999年9月、中央銀行や公共機関は退蔵している金を売却したかった。しかし、金価格が暴落することを防ぐために退蔵している金を一斉に売却することを制限した。 金に以前の栄光を取り戻すためだとは言わなかった 主要国の中央銀行は年間の金売却量を制限することで合意した。IMFも、その合意に従うと表明した。 ヨーロッパ中央銀行総裁ウィム

          金は単なる飾り物になってしまったのか? ゴールド130

          金本位制に復帰することは不可能である ゴールド129

          1981年のリーガンによる金委員会は人々の関心をほとんど引くことはなかった。だが、1990年代末までの金を取り巻く情勢を決定づける勧告を一つしていた。 「金保有高のどんな明確な水準も正しいとは言い切れないので、財務省は自由に金を販売できる権利を留保すべきである。万一の事態に備えて適切な水準が保たれるという条件で」 各国中央銀行は金を処分した1992年に金価格が350ドルに下がると、中央銀行は約500トンの金を販売した。1992年から1999年にかけて金価格が300ドルまで

          金本位制に復帰することは不可能である ゴールド129

          金は舞台から引き下ろされた ゴールド128

          1981年6月、合衆国財務長官ドナルド・リーガンは金委員会を設置した。 金委員会の設置と言えば、1810年にイングランドでリカードにより設置された地金委員会を思い出すことができる。しかし、1810年の地金委員会の報告書が貨幣と銀行の研究をするうえで現在も重要な文献であり続けているのとは対照的に、1981年の金委員会の勧告は人々の関心を引くことはほとんどなかった。 ついに金は舞台から引き下ろされた1980年代初めの経済情勢によって、ついに金は舞台の中央から引き下ろされること

          金は舞台から引き下ろされた ゴールド128

          金は12年間にわたって年率30%で上昇した ゴールド127

          1980年1月、その月の取引が始まってわずか二日間で、金の価格は1オンス110ドルから634ドルへ跳ね上がった。そして、各国の中央銀行は自国の通貨制度に金の伝統的な役割を復活させることを口にし始めた。 1オンス850ドルという記録的な高値合衆国財務長官ウイリアム・ミラーは、「財務省はもはや金の競売は行わない。いま、わが国が金を売るのに適切な時期ではない」と記者会見で語った。 この会見の30分後には金の価格は1オンスにつき30ドルも急騰し715ドルとなった。さらに、翌日は7

          金は12年間にわたって年率30%で上昇した ゴールド127

          合衆国のインフレは12%を超えようとしていた ゴールド126

          財産の避難所として、またインフレへの防衛手段として金への需要が高まり、金の価格は上昇した。そして、1979年に起こった第二次石油ショックは金市場を狂乱状態とした。 1972年初めに1オンス46ドルだった金価格は、1979年には1オンス500ドルになった。 経営者は全ての答えを手にしていると勘違いした1970年代、アメリカ経済の競争力は悲劇的に低下した。 第二次世界大戦が終わったとき、アメリカ経済は荒廃していた他の国の水準をはるかに引き離していた。そのため、アメリカの経営

          合衆国のインフレは12%を超えようとしていた ゴールド126

          ブレトンウッズ体制の完全崩壊 ゴールド125

          ニクソンショックが起こったことにより、各国の外国為替市場は即刻 -日本はしばらく遅れてから- 閉鎖された。 そして、各国はそれぞれが臨時的に変動為替相場制を採用した。 ドルの下落ドルと金が公定価格で交換することが停止 -ニクソンショック- されたことにより、ドルは下落していった。そこで、各国政府は固定為替相場をすぐに回復するように要求し。そして、アメリカ人でさえも為替レートが大幅に変動することは経営上のあらゆる決定が不確かになってしまうことを認めた。 スミソニアン協定そ

          ブレトンウッズ体制の完全崩壊 ゴールド125

          ニクソンショック ゴールド124

          1971年8月15日、リチャード・ニクソン大統領は日曜日のプライムタイムにテレビで公式声明を発表した。 「私は投機家からドルを守るよう、財務長官に指示しました。いまや諸外国は大きな経済力を持っています。それらの国ぐにが、世界の自由を守る義務を公平に負うべきときがきたのです。為替レートが是正されるべきときがきたのです。合衆国がハンデを背負いながら競争する必要はもうありません。われわれはいまや身軽になって、世界の経済的リーダーシップを手放そうとしているのです」 ニクソンショッ

          ニクソンショック ゴールド124

          金本位制の廃止~ドルは金の足枷から自由となった~ ゴールド123

          合衆国新大統領リチャード・ニクソンはジョン・コナリーを財務長官に任命し、「金本位制の廃止」と「物価及び賃金の統制的管理」という二つの手を打った。 1971年8月15日、いわゆるニクソンショックである。 金本位制の廃止合衆国は外国政府や中央銀行に金を1オンス35ドルで売るのを拒否した。 この措置によって、ドルが金と交換できる制度は終わりをむかえた。ドルは、世界中の他の通貨と同じように金の足枷から自由となり、外国為替市場で浮動することとなった。 金本位制廃止の意味金本位制

          金本位制の廃止~ドルは金の足枷から自由となった~ ゴールド123

          自由市場体制に干渉すべきか? ゴールド122

          第二次世界大戦終結前の1944年、ニューハンプシャー州ブレトンウッズにおいて戦後の新しい国際経済体制の計画が立てられた。 しかし、ブレトンウッズ体制 -外国為替市場における通貨価値の固定- は各国政府が経済政策をとるための大きな足かせとなってしまった。 金を持つのは、政府が信用できないから 政府支出が増大すると国内需要は刺激され、それによって物価が上昇し、輸入が増える。そうなると、人々は一つの通貨を見捨て、経済及び財政を保守的に運営している国の通貨へと向かっていく。あるい

          自由市場体制に干渉すべきか? ゴールド122

          金本位制はついにクライマックスを迎えた ゴールド121

          1968年は歴史の転換点となる年だった。 その年は過激なデモと社会不安が生じていた。合衆国では共和党候補者が1956年以来の大統領となった。フランスではド・ゴールが権力の座から滑り落ちた。世界中の政治指導者はインフレが加速する脅威と混乱に対して激しい戦いを繰り広げるようになった。 貨幣本位としての金の役割は終わった金にとっての転換点は、1968年3月、金プールの活動を中止するという決定だった。これにより自由市場での金の価格には、底値も天井もなくなった。金は投機家や一般市場

          金本位制はついにクライマックスを迎えた ゴールド121

          ド・ゴールは金本位制に戻せずに敗れ去った ゴールド120

          ド・ゴール将軍は、金プール戦略をドル切り下げまでの一時しのぎに過ぎないとドルを罵倒していた。 彼の最終的な目的は合衆国を特別な地位から引きずりおろすことだった。 金の価格を70ドルに引き上げよド・ゴールは、金の価格を70ドルに引き上げるように求めた。そうすれば、世界中の貨幣用金のドル価値は2倍になる。それにより、合衆国の外にある貨幣用金を最も多く保有しているフランスにとって大きな利益になるからだ。一方、合衆国はこの利益を放棄しなければならないと主張した。 赤字の埋め合わ

          ド・ゴールは金本位制に戻せずに敗れ去った ゴールド120

          金プールは加盟国の金準備を減少させただけだった ゴールド119

          1961年、8か国 -アメリカ、イギリス、西ドイツ、イタリア、フランス、オランダ、ベルギー、スイス- の中央銀行は金プールを作った。金プールの目的は、投機家の動きを抑え、金の市中価格を1オンス35ドルという公定価格の水準に近いところに維持することだった。 金プール金プールは、各国が一定の割合で手持ちの金をプールしたうえで、イングランド銀行を代理人として金を買いたいという者に金を売り、金の市中価格が上がるのを抑えつけようとした。 しかし、ド・ゴール将軍が金価格の上昇を支持し

          金プールは加盟国の金準備を減少させただけだった ゴールド119