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金は舞台から引き下ろされた ゴールド128

1981年6月、合衆国財務長官ドナルド・リーガンは金委員会を設置した。

金委員会の設置と言えば、1810年にイングランドでリカードにより設置された地金委員会を思い出すことができる。しかし、1810年の地金委員会の報告書が貨幣と銀行の研究をするうえで現在も重要な文献であり続けているのとは対照的に、1981年の金委員会の勧告は人々の関心を引くことはほとんどなかった。

ついに金は舞台から引き下ろされた

1980年代初めの経済情勢によって、ついに金は舞台の中央から引き下ろされることとなった。

当時、債券の利回りは二桁で、株式からは6%という高配当が手に入った。一方、金からは何の収入も得られないうえに、保管費用もかかるため他の投資と比べて金を所有するメリットはなかった。

もしもインフレが手に負えない状態だったら金は舞台の中央にとどまっていたはずだが、1980年代はインフレも撃退されていた。


インフレ率は3.5%だった

1985年、合衆国のインフレ率は3%だった。すでに、1970年代の絶望的なインフレ率は消え去っていた。これは合衆国だけのことではなかった。イタリア、ラテンアメリカ、中東のような地域でさえもインフレとは無縁だった。

1980年から1999年において、生活費は2倍となった。この20年間の平均インフレ率は約3.5%だった。一方、金の価格は、1980年のピークの850ドルから1999年には約300ドルとなっていた。金は同期間で約60%も下落した。


株式との比較は驚くものとなった

株式と金を比較すると、その差はもっと驚くものとなっていた。1980年1月に金価格が850ドルのピークに達していたとき、ダウジョーンズ平均株価指数もほぼ850ドル -850ドルというのは偶然の一致だが- だった。

だが、1999年秋、金が300ドル前後まで値下がりしたとき、ダウ平均は約10,000ドルだった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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