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金本位制に復帰することは不可能である ゴールド129

1981年のリーガンによる金委員会は人々の関心をほとんど引くことはなかった。だが、1990年代末までの金を取り巻く情勢を決定づける勧告を一つしていた。

「金保有高のどんな明確な水準も正しいとは言い切れないので、財務省は自由に金を販売できる権利を留保すべきである。万一の事態に備えて適切な水準が保たれるという条件で」

各国中央銀行は金を処分した

1992年に金価格が350ドルに下がると、中央銀行は約500トンの金を販売した。1992年から1999年にかけて金価格が300ドルまで下落していく中で、中央銀行は3,000トンの金 -年平均400トン- を販売した。

※1982年に375ドルだった金は、1987年の株式大暴落後、500ドル近くに上昇した。しかし、このときに金を販売する中央銀行はほとんどなかった。中央銀行は、いつも安く売る(高く買って)素人投資家のようだった。


新たに2,000トンの金が金鉱から市場へ流れ込んだ

各国中央銀行が金を処分していたとき、新たに採掘された金が年に2,000トン以上も市場に供給されていた。中央銀行による400トンという販売量は、金鉱から流れ込んでくる2,000トンの金と比べると少なく思えた。

しかし、各国中央銀行と金融当局が保有している金は3万トン以上もあり、それらの金が市場に供給されることとなると金価格は暴落することになる。そして、退蔵されていた金のうちどれだけの金が市場に出てくるかを予想することは誰も出来なかった。


金は貨幣としての価値を失う

1997年10月、退蔵されていた金が大量に売却されることが起こり、市場は震撼させられた。それは、伝統的に金に執着し他国の通貨を保有するのを嫌っていたスイスで起こった。

憲法改正を研究していたスイスの専門家チームが、それが実現されれば、スイスの通貨制度を抜本的に再構築されることとなる報告を発表した。

「金は貨幣としての価値を失う。金平価は完全に説明のための道具である。今日、金本位制に復帰することは不可能である。新しい憲法の条項の草案にはスイスフランと金の繋がりはいっさい規定されていない」


イギリスも金を売却した

スイスの専門家チームは金を全面的に捨て去ろうとしていたのではなかった。事実、中央銀行は保有している金の半分を持ち続け、それ以外の金を少しずつ売却することを勧告していた。

しかし、物価の安定を維持することを優先するためには、金保有高に頼るよりも中央銀行の役員と職員の予想と管理の技術を信頼したほうが、よりよい成果を上げられるということがその報告書の全体的な考え方だった。

そして、この考え方は世界で主流をなす考え方だった。その2年後、イギリスもスイスと同じような措置を取った。1999年5月、イギリス大蔵省は715トンの金準備のうち、415トンを販売する意向を示した。かつて、イギリスにとって支配の誇りだった金を販売する決断をしたのだ。

イギリスが415トンの金を販売する意向を示したことで、金価格は即座に4%下落した。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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