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合衆国のインフレは12%を超えようとしていた ゴールド126

財産の避難所として、またインフレへの防衛手段として金への需要が高まり、金の価格は上昇した。そして、1979年に起こった第二次石油ショックは金市場を狂乱状態とした。

1972年初めに1オンス46ドルだった金価格は、1979年には1オンス500ドルになった。

経営者は全ての答えを手にしていると勘違いした

1970年代、アメリカ経済の競争力は悲劇的に低下した。

第二次世界大戦が終わったとき、アメリカ経済は荒廃していた他の国の水準をはるかに引き離していた。そのため、アメリカの経営者は全ての答えを手にしていると確信していた。その確信 -勘違い- のため、経営者は変化を見くびり、競争圧力を過小評価し、企業は経済的な動脈硬化を引き起こしてしまったのだ。


金利が史上空前の水準まで上昇しても構わない

1979年10月、合衆国のインフレは12%を超えようとしていた。一方、ドルは外国為替市場で窮地に立たされていた。

そこで、連邦準備制度は昔から処方されてきた薬 -金利を上げる- を飲もうとした。連邦準備制度理事会議長ポール・ヴォルカーは、金利が史上空前の水準まで上昇するようになっても合衆国の急増するマネーサプライを抑え込むと誓約したのだ。

このヴォルカーの戦略は、インフレとの長い戦いで成功を収めることとなった。1985年にはインフレ率は3%にまで下がった。しかし、その成功に至るまで、誰にもどのような困難な状況が訪れるかははっきりと分からず、ありとあらゆるインフレ圧力が加わるかもしれないと危惧され続けていた。


政治情勢も混乱した

1979年末、合衆国だけでなくほとんどの国でインフレ率は二桁になっていた。ハイパーインフレを経験したドイツでさえもインフレは6%に上昇していた。

そして、政治情勢も恐ろしいものとなっていた。1979年11月、イランの過激派がテヘランのアメリカ大使館を乗っ取った。ソ連は多くの地域で勢力を拡大した。


そして、1980年1月、金市場はすべての市場の歴史上、もっともはげしい動きを示すこととなった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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