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ニクソンショック ゴールド124

1971年8月15日、リチャード・ニクソン大統領は日曜日のプライムタイムにテレビで公式声明を発表した。

「私は投機家からドルを守るよう、財務長官に指示しました。いまや諸外国は大きな経済力を持っています。それらの国ぐにが、世界の自由を守る義務を公平に負うべきときがきたのです。為替レートが是正されるべきときがきたのです。合衆国がハンデを背負いながら競争する必要はもうありません。われわれはいまや身軽になって、世界の経済的リーダーシップを手放そうとしているのです」

ニクソンショック

「たとえ外国の政府や中央銀行が保有するドルであっても、公定価格で金と交換することは停止する」とニクソン大統領は宣言した。

この措置は、ドルと金との交換性を保証することを柱とした戦後の国際通貨体制、そこから生ずる固定為替相場の制度 -ブレトンウッズ体制- を基本的に破壊するものだった。これが、いわゆるニクソンショックと呼ばれるものだ。

ニクソンは金本位制の廃止とパッケージで、物価と賃金の管理も決定した。さらに、企業への減税、政府支出の削減、合衆国への全ての輸入品の約半分に10%の課徴金をかけることも決めた。かりに、外国為替市場で何も変わらなくても、輸入品に課徴金を課せばアメリカ人にとっては輸入品が高くなり、ドルを切り下げる効果に繋がるからだ。


アメリカ人は金の足枷に縛られていた

第二次世界大戦終結以来、アメリカ人は金の足枷に縛られていた。アメリカ人は金との繋がりをがむしゃらに維持しようとしてきた。そのため、彼らが取った唯一の手段は経済を低迷させ失業を増やすという伝統的政策であった。この伝統的政策を取ることで、彼らは金を保有し続けることができた。

そして、外国人もアメリカ人に金を保有し続けてもらいたかった。アメリカ人が金を保有することで、外国人は好きなときにドルを金と交換できるからだ。


アメリカ人は思いあがっていた

結局のところ、アメリカ人は思いあがっていたのだ。彼らは、輸入や外国への投資に巨額の資金をつぎ込むことを厭わなかった。友好国から借金をし、友好国にお世辞を振りまいた。国民に税金をかけ、投機家と戦い、自国の企業が海外に投資するのを難しくした。

アメリカ人は切羽つまるまで抜本的な手段を取れなかった。そして、ようやくその抜本的な手段を取ることができたのだ。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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