もやし

安らぎを得るためにはどうすればいいのか。散歩したり、noteに書きながら、探ってる最中。

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価値観が違う=目指しているところが違う

ソリの合わない人がいる。 それはしかたのないこと。 人間なんだから。 人間はみんな違う。 みんな個性がある。 価値観が違う。 お互いに個性や価値観を尊重し合えたらいい。 だけど、やっぱり合わない人がいる。 そういうときに、 ボクはこう考えるようにしています。 「みんな価値観が違って、 みんな目指しているところが違う。 だけど、 今はたまたま同じ場所にいるだけ。」 人にはそれぞれ価値観がある。 それは、それぞれ理想の状態があるということ。 みんな少しでもそこに近づきたい

    • 「感動すること」「感動を伝えること」。

      人間にとって何が大事か。 その一つが「感動」だと思う。 ①感動する。 「つまらないな」 なんとなくそう思うときがある。 生きてればそういうときもある。 つまらないと思ったとき、 同時に思い出す言葉がある。 「人間はどんな小さなことからでも感動することができる」 たしかにそうかも。 「つまらない」と思っているとき。 それは世界がつまらないのではなくて、 自分がつまらない人間になっているということ。 自分から「気づこう」としていない。 だから感動できない。 という

      • 「上下関係」という言葉があるから、人間関係を上下に分けたがる。

        仕事でよく使われる、 「上下関係」という言葉。 この言葉ってどうなのか?って思う。 なんとなく、 「仕事に上下はないけど、 人間関係に上下がある」 そう言っているように聞こえる。 「上下関係」という言葉。 仕事における「上下関係」。 この言葉を聞いて思い出すのが、 「ある人が昇進したら、その人の態度も偉そうになった」という話。 これぞ典型的な、 人間を「上と下の関係」に分けて考えているパターン。 「上に立つ人間は偉い。」 「下の人間を見下していい。」 そういう

        • インターネットとランダム性。

          インターネットによって、 世界の裏側の情報まで取れるようになった。 でも、今のインターネットは、 アルゴリズムが幅を利かせている。 アルゴリズムによって、 個人の趣味趣向が研究される。 そうすると、 もう同じような提案しかされなくなって、 それ以上世界が広がって行かない。 個人として「視野が狭くなった」と感じることも少なくない。 「あれ? これがインターネットなんだっけ?」 実はインターネット以前の方が、 もっとランダム性に溢れていて世界が広がっていた説。 辞書で

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        価値観が違う=目指しているところが違う

          思い出をたくさんつくっておきたい。

          人生において「楽しみ」は多い方がいい。 「楽しみ」には、いくつか種類がある。 その中で時間軸で考えた場合の「楽しみ」。 「その瞬間を楽しむ」こと。 「過去の思い出を思い出して楽しむ」こと。 ①その瞬間を楽しむ。 これは分かりやすい。 その時々に楽しみを見出す。 趣味が変わったとしても、 いつまでも楽しさを味わうことができる。 ただ、難点があるとすれば、 年齢を重ねるごとに趣味の幅が狭まること。 ②「思い出」を思い出す楽しみ。 年齢を重ねるとできることが少なく

          思い出をたくさんつくっておきたい。

          生まれてきたことに意味がある?

          こういう問いがある。 「生まれて来たことに意味があるのか?」 それに対して、 明確な答えは分からない。 「人間という種族」には、 何かしら意味があるかもしれない。 じゃあ、個人はどうなるか? どちらにしろ分からない。 けど、個人に関して言うなら、 「人」に意味を与えるのは「人」ではないか。 人は、「人」や「モノ」に意味を与える。 それを今どきに言うと「ストーリー」と呼ぶ。 人やモノに意味やストーリーを与える。 そうすると、それが価値になる。 意味を与えた結果ど

          生まれてきたことに意味がある?

          弱者による「付加価値」戦略。

          ぼくみたいな、 弱小プレイヤーが生き残る。 そのためには、 どうすればいいのか。 やっぱり、 「付加価値」を付けられる。 そんな存在になるしかないのか。 と思って、 どうすれば付加価値を生み出せるのかを考えた結果。 大量にインプットして、 大量にアウトプットする。 「アウトプット」と「インプット」の差。 それが自分の付加価値。 一つずつの付加価値は小さいかもしれない。 でも、大量にこなせば、 チリツモで、全体で見たらデカくなる。 それを続けていけば、 いずれや

          弱者による「付加価値」戦略。

          「恩返し」って、誰に返す?

          「恩返し」という言葉がある。 この言葉に引っかかってしまった。 なので、ちょっと考えてみたい。 ①恩をもらった人に返せば、それでいい? 「恩返し」の言葉そのもの意味は、 「与えられた恩をその人に返す」こと。 それも分かる。 だけど、 そうやってピンポイントで恩を返していく。 そんな小さな循環を回すだけでいいのかな、と思う。 どうせ循環させるなら、 もっと大きく循環させた方が良くない? もっと大きく循環させて色々な人を巻き込む。 そっちの方が良くない? あと「恩を返

          「恩返し」って、誰に返す?

          イライラしてるときに校正すると良い2つの理由

          生きてるだけで、 イライラしますよね。 人やモノにあたるべきじゃない。 それは分かってる。 だけど、 この行き場のない怒りをどうにかしたい。 そんなときは、 その怒りを自分の文章にぶつけてみませんか? ①「気が短い読者」の気持ちになれる。 自分で書いた文章って、 可愛いですよね。 手塩にかけて育て上げた自分自身の文章。 「もっとたくさんの人に読まれるべきなのになあ」と思う。 そうやって、 自分の文章には甘くみがち。 大目に見がち。 ただし、 読者は気が短い。

          イライラしてるときに校正すると良い2つの理由

          「考える」について時間別で考える。

          「考える」って何だろう。 「考えている人」 「考えていない人」 その2種類に人を分類することができるのか。 「よく考えている人」 そういう人って誉められるイメージ。 でも、 「考えていない人」っているんだろうか。 ボーッとしてても、 人は何かしら考えているものだと思うけど。 ってことで「考える」について、 人の時間の使い方に分けて考えてみる。 人の時間の使い方。 つまり、 インプットしている時間。 何もしていない時間。 アウトプットしている時間。 ①インプッ

          「考える」について時間別で考える。

          「夢中」には二段階ある?

          インターネットのおかげで、 色々な人の話を聞くことができる。 そうすると、 「どうも人によって使っている言葉の意味が違う」 と思えてくる。 「凡人」と「天上人」では、 同じ言葉を使っているようでもレベルが違う。 そういうふうに思えてならない。 その一つが、例えば、 「夢中」という言葉。 「夢中」には二段階ある? 誰もが知っている「夢中」の意味は、 「他のことが目に入らないくらい集中する」 「没頭する」 みたいなこと。 これは誰もが知っている、 「夢中」の意味だと思

          「夢中」には二段階ある?

          「得意」は、感情なく機械的にできること?

          何かに「得意」って、 どうゆうことか。 「好き」とは違う。 あえて「好き」との違いを出すなら、 感情がなくてもできることか。 つまり、「機械」なのではないか。 「得意=機械的にできること」。 また、「得意」の特性として、 他人と比べていることがある。 「好き嫌い」は自分一人で分かる。 でも、「得意不得意」は他人と比べないと分からない。 それらを踏まえた上で、 「得意」を3つくらいに分類してみました。 ①他人より少ない時間でできる。 同じものを仕上げるとして、 少

          「得意」は、感情なく機械的にできること?

          「才能」が分からないなりに走り出す。

          「自分にはどんな才能があるのか?」 誰だって自分の才能に気がつきたい。 自分の才能に気づけたら、 より多くの人の役に立って、 「自分らしく」「自然体のまま」、 自分の人生を歩んで行くことができる。 そのためには、 まず自分で自分の才能を自覚する必要がある。 だから、 他人の力を借りる。 自分から気づいていく。 才能が分からないなりに走り出す。 才能は、自分では気づけない? 自分には何の才能があるか分からない。 なんでか? それは、 「才能があること」 =「

          「才能」が分からないなりに走り出す。

          「書き手」と「読み手」のギャップ

          文章には「書き手」と「読み手」がいる。 それぞれに思惑がある。 そして、それぞれの思惑には「差」がある。 「書き手」は自分が書きたいように書きがち。 ただ、それだけでは「読み手」に読んでもらえない。 「書き手」が自分の文章を読んでもらう。 そのためには「読み手」に寄り添う必要がある。 そんなポイントを3つほど。 ギャップ①:「書き手」には時間がある。「読み手」には時間がない。 「書き手」は1つの記事を書く時間はいくらでもある。 「書き手」本人が完成だと思うまで、 記

          「書き手」と「読み手」のギャップ

          「良い審判」と「良い文章」は目立たない?

          「良い審判は目立たない。」 そんな表現が、サッカーでよく使われる。 「たしかに!いい言葉!」 サッカーにおいて、あくまで主役は選手たち。レフェリーが目立つことは良くないこと。 不満が溜まるジャッジがあったら、審判に注目が集まってしまう。審判には、その場の全員が納得できるジャッジが求められる。 試合が荒れたときもそう。 試合が荒れる。それ自体は審判の責任ではないかもしれない。ただ、テンションが必要以上に上がった選手たちを落ち着かせることができる。それも、優秀な審判の

          「良い審判」と「良い文章」は目立たない?

          自分を俯瞰(ふかん)できるカンタンな方法?

          自分を俯瞰して見ることができる。 そういう人は「頭がいい」というイメージ。 じゃあ、どうやって自分を俯瞰すればいいのか? 自分を俯瞰して見る中でもっともカンタンな方法。 それが「書くこと」ではないでしょうか。 「書くこと」は、手っ取り早く自分を俯瞰できる方法。 自分が思っていることを紙に書き出す。そして、その紙を見返す。 するとそこには、先程まで自分自身が思っていたことの痕跡がある。 「見える!見えるぞ!」 自分の頭の中にだけあったものが、目の前に形として存

          自分を俯瞰(ふかん)できるカンタンな方法?