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「才能」が分からないなりに走り出す。

「自分にはどんな才能があるのか?」


誰だって自分の才能に気がつきたい。


自分の才能に気づけたら、
より多くの人の役に立って、
「自分らしく」「自然体のまま」、
自分の人生を歩んで行くことができる。


そのためには、
まず自分で自分の才能を自覚する必要がある。


だから、

  • 他人の力を借りる。

  • 自分から気づいていく。

  • 才能が分からないなりに走り出す。


才能は、自分では気づけない?


自分には何の才能があるか分からない。
なんでか?


それは、
才能があること」
=「自然にできていること」
だから。


自然にできてしまっていることは、
自分では自覚しづらい。


例えば「呼吸」はみんな意識しなくてもできる。
それは意識しなくても自然にできることだから。
人は一日に呼吸を何百万回しているか分からない。
だけど、そのすべてに無自覚。


自分の才能は、他人が気づかせてくれる。


才能は、自然にできてしまうこと。
だから自覚しづらい。


ということで、
手っ取り早く自分の才能に気づくために、
「他人」に頼る。


①指摘してもらう。

「〇〇さんは、ここがすごいよね!」
そう言ってくれる家族や友人がいることは光明。


②他人を観察して自分との違いに気づく。

他人の行動や言っていることを、
見たり聞いたりする。
そうすることで、
自分との違いに気がつくパターン。


「才能が分からないなりに走り出す」が最強説!


もう一つが、
もう分からないなりに走り出すパターン。


自分の才能が分からないなりに、
自分の思いを形にすること。


使い古された言葉でいうと
「アウトプット」をすること。


そうやって「自分の作品」を作ること。
それを人の目につくところに発表し続けること。


メリット

  1. 「思い」を「形」にすることに慣れる。

  2. 作品に個性が勝手ににじみ出る。

  3. 他人からの評価を得ることができる。

  4. 自分自身を客観視できる。


結局、自分の頭の中で「ウーン、ウーン」
と唸っていても何も解決しない。


それだったら、
「自分の内側の思い」を
「自分の外側に形として生み出す」。
「自分の作品」を生み出す。


そうすると、
その「作品」には勝手に個性が乗っている。
その形になった自分の作品を見る。
すると、自分自身を客観視することができる。
また、他人からの評価も得ることができる。


そうやって、
無自覚だったことを自覚できる。
無意識だったことを意識化できる。


それが作品を発表し続けるメリット。
才能に気づけるチャンス。


おわり


ぼくはこう思ってた。
「自分の才能に気づいてから行動すればいい」と。
じゃないと疲れるし、
「効率が悪いじゃん!」と思っていた。


だけど、それだと自分の才能が分からないまま。
だから、分からないなりに走り出してみた。


すると、その過程で色々なことが分かってくる。
そうやって見つかるのは「才能」かもしれないし、
それ以外のことかもしれない。


そして、また走り出す。
そうやって走りながら、
その都度自分の行きたい方向に目標を据える。


結局、このやり方が一番早いし、
効率がいいのかもしれません。


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