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妄想力を鍛えよう!「だから僕は、ググらない」読書感想文

本について

・タイトル:面白い! を生み出す妄想術 だから僕は、ググらない。
・著者:浅生鴨
・出版:大和出版

読むのをおススメしたい人

・独創的、斬新なアイデアを生み出したい人
・思考力、妄想力を鍛えたい人

読むと学べること

・思考力、妄想力を鍛えるための方法
・自分の頭で自由に考えられる方法

妄想力を鍛える方法

この本を読むにあたって明確な目的は特になく、ただただ「ググらない」という言葉になんとなく魅かれて、手に取りました。
この本では、「自分で考えること」、それはつまり「ひとつの物事を多面的に見て色々思いを巡らせる、妄想する」ということについて書かれています。

まず「ググらない」という言葉を見て私の頭に浮かんだのは、学生時代によく言われていた「電子辞書ではなく紙の辞書を使え」です。「ググる」と「電子辞書」、このふたつはすごく似ています。

先日、小説を読んでいたら、「奇貨」という言葉に遭遇しました。恥ずかしながら初めて目にする熟語だったので、私は思わずググりそうになったのですが、ふと、「『奇』も『貨』も小学生で習う漢字だ」と思い、前後の文脈と合わせて自分なりに意味を考えてみました。
「奇妙なお金?つまり珍しいお金?うむ、文脈からして、お金ではなく何か価値のあるものを意味しているのだろうか?」「そもそもお金が使われる遠い昔は、貝殻とかで交換していたと聞いたことがあるしなぁ、『貨』はお金だけではなく漠然と価値のあるものを意味するのかもしれない」「また文脈からすると、『きっかけ』のような使われ方をしている感じがして、、、珍しい機会?あ、めったにない機会か!」「そういえば似たような意味で『契機』も、カ行ばっかりで構成されていて語感が似ているなあ。熟語の親戚かよ」などとぐるぐる考えていました。

これを「勉強」の観点から考えると、こうやって熟語をしっかり見て時間をかけて意味を考えることで、私は「奇貨」という言葉を覚えることができました。
一方「妄想」の観点では、遠い古の時代の物品貨幣に思いを巡らせたり、他の言葉との語感の共通点に気づいて「熟語の親戚」という間抜けなワードを生み出したりと、「奇貨」というひとつの言葉から木の枝のように様々な思想を巡らせることができました。

仮にググったり電子辞書で意味を調べただけだったら、その場では正しい意味を理解して、忘れっぽい私のことなので5分後にまた同じ熟語に出会っても、またアホみたいにググっていたことでしょう。性急に答えを求め、正解にアクセスできてしまうということは、私たちの思考力や妄想力をストップさせてしまうのだな、とつくづく感じました。

この本の著者もまた、ひとつの物事に対して、しつこいくらいに徹底的に妄想して考えており、それこそがアイデアを生み出すカギであります。
そのためには、常識や他人の意見にとらわれない、自由で柔軟な発想力が必要であるわけですが、なかなか難しい。この本で書かれていた、それらの方法のなかでも、特に「なるほど~」と思ったものをいくつか紹介していきます。

他人の評価を求めない

たとえこれが社内での企画出しだったとしても、いったんは自分の自由な発想をするために、想定され得る他人からの批判やリスクは排除します。

私の子どものころの話になりますが、何でもない近所のでこぼこ道が、私は大好きでした。そこを自転車で通ると、ガクンガクンとなって、私の脳内では完全にジェットコースターで、その道を通るときはいつもワクワクしていました。
ただ悲しいことに、大人になった今そこをもし自転車で通ったのなら、「でこぼこして自転車のタイヤが傷みそうだし、お尻が痛い」「カゴの中身が跳ねて落ちるわ!」「はよ舗装してくれ」とネガティブな文句しか出てこないでしょう。

幼き頃の私は、親など誰かに「ジェットコースターと思え!」と言われたわけではなく、純粋にそのでこぼこの感覚が面白くて楽しくてそのように自発的に妄想しては遊んでいただけです。
仮に親に「それはジェットコースターではないし、危ないから通らないように」と言われたとて、私はそこを通るのをやめたでしょうか?またこの時親は「これはジェットコースターではない」という正解を提示していますが、「誰が何と言おうと、私の中ではジェットコースターだもん!」聞く耳も持たなかったでしょう。

「童心に帰る」とはよく言ったものですが、でこぼこ道を楽しんでいた頃の私のように、純粋に、「楽しいからやるんだ!」「面白いから続けるんだ!」という、他人の評価や気持ち、正解を一切気にしない、自分の中から生まれる、これが好き!これが面白い!という感覚を大事にしたいものです。

良いところを見つける

私、特に大人になった今の私は、超絶ネガティブです。
上に書いたでこぼこ道を今となっては「ただの煩わしい道」としか考えられません。

ただ、これは私が特別にネガティブ、というわけではなく、得てして人は粗探ししてしまうものなのです。映画を観ても、本を読んでも、自分の旦那に対しても、無意識的にダメなところを探して文句を言いたくなる。
決して、「ポジティブになって優しくなろう!」と言いたいのではなく、粗探しをしてしまうネガティブな思考は、我々の「思考のクセ」であるということです。
そこで頑張って良いところを探してみたら、つまり普段と違うものの見方をしてみたら、新しい発見に出会えるというわけです。「この映画、ストーリーも役者の演技もクソだったけど、BGMの選曲と入れ方は良かったなあ」とか。

連想はアイデアの宝庫

昔々、「マジカルバナナ」というゲームが流行りました。「バナナと言ったら黄色、黄色と言ったらレモン」みたいなやつです。ただひとつバナナを見つめてバナナの事だけを考えるのではなく、そこから派生させて森羅万象に思いを巡らせる。枝葉のように発想が広がりそうです。

色や形、同じ見た目のものを見つける

上のマジカルバナナと似ていますが、「バナナとレモンはどちらも黄色だ」「地球とピンポン玉はどちらもまん丸だ」などと気づき、そこからサイズも用とも違う地球とピンポン玉がコラボしたらどんなに面白いだろう」と、全く無関係のものを結び付けて考えることで、斬新な発想ができそうです。

なぜ?なぜ?なぜ?

もはやこれは「思考」について語る際に無くてはならない超重要キーワードのようです。
なぜバナナは黄色いのか、なぜ甘いのか。。。一見すると無駄な思考のように見えますが、なぜ?に対してすぐにググったり調べたりするのではなく、自分でその答えを考えてみることで、思わぬ正解、思考にたどり着けそうです。
ちなみに、「迷いが消える決断思考」という本を読んだ際にも「なぜ?なぜ?なぜ?」の重要性について書いているので、ぜひ↓

別人になる

私は今現在ただのニートですが、会社員だったときはもっと、シャッキっとしていた気がします。また結婚式に参加するときは、ドレスで着飾って見た目も心も華やかな気分で、「上品な女性」を演じている自分がいるし、そこで親戚の小さい子どもと話す機会があれば、言葉遣いもちょっと柔らかくなって、「親戚の優しいお姉さん(おばさん?)」を演じているかもしれません。
そんな色んな自分を演じている時は、見た目や言葉遣いだけでなく、「上品な女性だったら、こういうことを考えるかもしれない」などと、普段はしなような考え方になります。
少しはあるであろう、自分の中の「上品な女性」を引っ張り出してきて、演じる。自分の中にいくつもの顔があるような、そんなイメージで過ごしてみると楽しそうです。

声に出してプレゼンしてみる、他人の意見を求める

先ほど、「他人の評価や正解は気にしない」と書きましたが、とは言っても、自分ひとりでの思考には限界があり、いつもの思考のクセにとらわれがちです。
私も会社員時代、自分のプレゼン資料の準備が行き詰った際は、実際に声に出して、前に聞き手がいる気持ちになってプレゼンをしてみる、先輩や同僚に見せて意見を求める、など、第三者の立場になったり、第三者に意見を求める、ということを心掛けていました。
声に出したり聞き手の立場を想像しすることで違和感に気づくことが多々ありましたし、他人の意見というのは自分にとってはかなり斬新なもので参考になった記憶があります。

検索は後から

さいごに。
自分がわからないこと、知りたいことについて、性急に答えを求めるというのは、効率を重視するデジタル化が進んだ現代社会において、大切なことなのかもしれません。検索して正解にたどり着くまでに自分で考えたり妄想することは、効率の観点では「無駄」でしかないです。仕事でも、「自分で考えて調べて分からなかったら、すぐに先輩に聞く」というのは口酸っぱく言われました。
ただ、ググったこと、というのは本当に記憶に残らない。。。(笑)
一時期、認知症か何かになったのでは、というくらい、記憶力が無くなって心配になったことがありました。その頃の自分は、何事も、あらゆること、森羅万象、自分の些細な悩み事、とにかくこの世の全てを、ググっていました。だってググるとすぐに答えが出てくるから。

私たちは何もかも、知れるようになりました。もうこの世に分からないことはないんじゃないかっていうくらい。知ることは楽しいですが、知りすぎると思考停止して、つまらなくなるかもしれません。知らないことがあった方が楽しいかもしれない。知らないことについて、正解や他人の意見を気にせずに、まずはいったん、ゆっくり考えてみること。
「ググりすぎることへの警鐘」は、かなり前から鳴らされていましたし、何を今さら感はあったのですが、あらためてこの本を読んで、「自分で考えること」「くだらない妄想を脳内で繰り広げること」が、いかに私にとって大切なのか、しみじみと感じました。

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