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教育とは思想であると考えています。

例えば
古代の人の命の価値は、今とは比べものにならないくらい低いものでした。

権力者一人の独断と偏見で、誰かの命は簡単に奪えてしまう。

今ではあり得ないことですが、そのような思想が当たり前だった時代があります。

世の中には様々な思想(=考え方)が誕生しては淘汰されてきました。

教育という概念は常に時代の「思想」と結びつきます。

私たちは長い人類の歴史を経て、今ようやく「人間一人ひとりの価値」を発見し、それを大切にしなければならないという思想を持つようになっています。

現代における「多様性」や「個別最適化学習」、「自分らしくある」といった様々な標語は、そんな思想を表してきます。

一方、「思想」が胡散臭く感じるのは、そこに「邪悪な何か」を感じることがあるから。
誰かの怒りや悲しみ、嫉妬や恐怖を煽り、その負のエネルギーを増大させ、結果、その「思想側」の利益になるような巧妙な仕掛けを作ることもあります。

それは治安維持法を制定した当時の日本政府も同じようなものだと言えるでしょう。

中国で、愛国主義教育の推進を盛り込んだ「愛国主義教育法案」の審議が26日から全人代(全国人民代表大会の常務委員会)で行われているそう

国を愛する感覚は個人的には大事だと思います。
自分の家族や友人を大切にすることと、自分が生まれ育った国や地域を大切にすることは同義です。

しかし、大切だからこそ、批判するべきことは批判しなければなりません。正しい知識や感覚を身につけなければならないのです。

あるものを正当化するために、事実を歪曲したり、嘘を教え込んでしまうことは、非常に危険な香りがします。

国家の統一や民族の団結を強調する法律

が、それ以上の「邪悪な何か」を感じるからこそ

教育という「思想」を私たち自身がしっかりと判断する必要があるのです。


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