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今から78年前の昭和20年8月9日午前11時2分。
長崎に原子爆弾が投下されました。

私たち日本人にとって、「戦争」は遠い過去の記憶になりつつあります。

第二次世界大戦を経験した世代の多くは、おそらく今後20年で、いなくなってしまうでしょう。

しかし、世界では第二次大戦後にも、数多くの「戦争」が起こっています。
朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、フォークランド紛争、イラク戦争、そして現在進行形で起こっているウクライナ侵攻。

以前コラムでも書きましたが、平和とは「当たり前」の概念ではありません。

私たちが安心して幸せに暮らしていくためには、戦争を直に知らない世代が「過去の悲惨な歴史」の原因とその結果を学び、それらを教訓として「平和」を創造することが大切です。

映画「バービー」と、「オッペンハイマー」の米映画2作品のコラージュ画像がSNS上に多数投稿され、原爆投下を連想させる画像に「バービー」の公式アカウントが好意的メッセージを投稿したことに対して、日本では非難のコメントが続々とSNSに書き込まれています。

歴史学習の難しさは、その国によって「解釈」が違うということ。日本の歴史教育の観点では、原爆によって、罪なき数多くの命が奪われてしまったという事実が日本人の中には強く刻み込まれています。世界唯一の「被爆国」としての立場は、ある意味では、今の日本人にとってもそのアイデンティティの奥深くに刻み込まれているようにも思います。一方、アメリカにおける原爆は、無益な戦争を終わらせた「正義の爆弾」として捉えることもある。

客観的な歴史的事実に触れたとしても、その立場や解釈によって、そこに付随する価値は主観的であるという人間のある意味での「都合の良さ」が、その本質から遠ざけることもあるでしょう。

その中で大切なのは、「一人ひとりの尊い命」と向き合い、知識を入れて、相互理解に務めること。

そんな中、アメリカでも「原爆によって戦争を終わらせることができた」というアメリカ側の正当性だけを教える教育に「変化」が訪れているようです。

中西部ミシガン州在住で、公立高校の歴史教員である、マーク・ポントニさん(67)は、記事の中で

「アメリカ人の1人として本当に恥ずかしい。日本の人々に謝罪したい。多数の市民の命を奪った原爆をジョークのネタにするなんて、何を考えているんだ。『無神経』という言葉ではとても足りない愚劣な行為に、私は激怒している。自分たちの無知さや傲慢さを世界中に晒す行為そのものだ」。

とコメントしています。

そんな彼は、自身が担当する授業でハリー・トルーマン大統領を「戦争犯罪(原爆投下の条項も含む)」の嫌疑で、模擬裁判を行っています。今までのアメリカ人の常識に、知識と対話を通じて、挑戦しようという試みです。

記事の中に書かれているように、その判決結果は生徒や学年によって様々。しかしながら、その結果に関わらず、模擬裁判を体験することで、彼らの中に何かしらの変化が起こる可能性はあるでしょう。

『バービー』と『オッペンハイマー』に関する今回の一連の騒動は、日本の人々にとっては決して心地よいものではありません。一方、それがアメリカ全体の原爆への意識を象徴しているのかどうかは判断できないでしょう。

大切なのは

『ひとりひとりの尊い命を奪う行為は決して許されるものではない』という立場のもと、過去の事実と、その悲惨さに向き合い、二度と同じ過ちを起こさないよう世界中が努力することなのだと思います。


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