日記(2020/11/21):自分と和解して、ここしばらく、何をしていたか
0.倫理的には正しいが苦痛をもたらす、一連の負の感情と和解する
ここしばらく、
「損をして苦しんでいる自分のことは見ちゃおれん。
労力のコストをこっち持ち出しで奉仕させて食い物にした周囲が許せん。
ノシつけて返させたい。
という、倫理的には正しいが苦痛をもたらす、一連の負の感情と和解する」
という話をしてきたと思うんですよ。
1.自分と和解して、ここしばらく、何をしていたか
自分と和解して、ここしばらく、何をしていたか。
まず、決定的に先週と違うことがあって、外食をしなくなったんですね。
実は、酷い話ですが、今までは、ストレスがたまると、毎日帰りに外食していたんです。
そりゃ太るわ。金もなくなるわ。アホではなかろうか。
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何でこんなことしていたのかというと、辛い俺があまりにも可哀想すぎるので、舌から癒やしてやっていた訳です。
が、自分の中で、
「これ自体が、自分の辛さと向き合わない、ある種の切断処理であろう」
という気付きがありました。
もちろん、切断処理しなければやってられなかったのですが、どうしてもべらぼうなコストがかかる訳です。
自分の辛さをコントロール出来ないし、つまりは内なる声を前にして我慢できないんだから、内なる声の要求のまま、言いなりにしかならない。
そして内なる声は、年単位というか、年越えの度重なるストレスで不平不満の塊なんだから、満足なんかする訳がない。要求は際限なく出て来る。
それにいちいち応えていたら、毎日こうなる。きりがない。当たり前だ。
2.快楽の味を、快楽を損なう味で汚さない
「自分の心構えが変わった程度のことで、自分の欲望が変わるだけないやろ」?
まあ、そこは、半分正しく、半分違うんですよ。
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前に見たメニューの中で、食べたい料理があり、自分の食欲も「これが食べたい」と言い出す。
でも、食べたいものを食べたい理由が、本当に欲望がもたらしているのか、それとも最悪
「快楽でストレス解消する回路が失われたら困るので、新しい食べたい料理を探したい」
回路が脳にあり、それが新たにもたらしたものなのか、そこは見極めた方がいいですね。
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前者なら話は簡単で、
「食べて、運が良いことに、美味しかった、めでたしめでたし」
で済むんですよ。
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後者だったら? これは、一見快楽に見えますが、もうちょっとメタなことをいうと、
「快楽はストレス解消の道具として運用しているにすぎなくなっており、しかもそれが出来なくなると困る」
という、快楽の味を汚すような、砂のようなものが混じっている訳です。
これを追求すればするほど、それは「快楽の味は快楽を損なう味を伴う」という、かなりおぞましい学習をもたらします。
これでは幸福な人生など望むべくもない。そんな人生、ヤですよ。
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健康を害すると、食には食を損なう感覚を伴う。
睡眠障害になると、眠りには眠りを損なう感覚を伴う。
かなり少なくない人が、性には性を損なう感覚を伴う。
(性をやりたくない人は、上の話は当然でしょうが、実は性をやりたがる人ですら、しばしばそうです。
やりたい人で、「自分の望む形で性が満ちた」と言える体験をした人が、そんなに多いとは到底観測できない。
相手が「応じる」気になってないし、己の中にも「応じてもらえるに値する」気運が満ちてないと、「応じられない性」、「みじめな性」になる。
こういう呪いを俺がかけたくはないのだが、俺がかけるまでもなく、皆さん百も承知でしょう。
で、応じたり応じられたりするのにそれなりに効果のある通貨、「魅力」を、ないところからあるようにするためには、これはかなり高くつくんですよ。
私生活を破壊するか、個々人の中にある、それぞれの容認できない一線を迫るくらいには。
「そんなコスト、払えない」、あるいは「払いたくない」って人、そりゃあいますよ。
最終的に、性をやりたがる人においてすら、性には性を損なう感覚を伴う。当たり前だ。そして、不幸な話だ)
3.ストレス解消のために快楽を使うのがマズイ
どれもこれもありふれたケースですが、当然嫌な話ですよ。これらは。
何でこんなことが起きているのか?
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もちろん、ストレス解消のために快楽を使うのがマズイ訳です。
快楽の味に快楽を損なう味を混ぜているというか、苦痛の味に快楽を混ぜているのだから、そりゃあ快楽の味がそのまま味わえる訳がない。
ですが、
「そうは言っても、それをやらなきゃ心が壊れるんですよ」
という話は避けがたい。
「心が壊れるほどストレスがないような状況が、もう来ないと保証しろ。
出来ないんなら、黙ってろ」
という、厭味の一つも、言いたくはなる。
4.ストレスに耐える腰の据わった強い姿勢がないのがマズイ
それに、これはもっと根本的な話が眠っているんです。
「ストレス解消をしなければならないのはなぜか。
ストレスのもたらす苦痛に耐えられないから、別の、出来るだけ逆向きの感覚で、散らすしかないのだ」
という話が。
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つまり?
「ストレスに耐える腰の据わった強い姿勢がないのがマズイ」
ということです。
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は?
ふざけんな。
そんな姿勢、一朝一夕に手に入るわけないやろこのエアプクソボケ勢が。
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そうではないのです。
もちろんこういう姿勢が一朝一夕に手に入る訳がない。
だが、年次計画、三か年計画、五か年計画、十か年計画で、獲得のために努力した方が、明らかに忍耐は増す。そういう話は断固としてある訳です。
(そりゃそうだよ。だって忍耐が増える話をしてるんだから)
これは、手に入れようと思えば、時間をかければ手に入るものです。
逆に、手に入れようとしていないと、ここはあんまり身につかないところです。
恐ろしい話ですよ。心構えとそれに向けた努力だけで、長期的にはだいぶ違って来るんだから。
5.あとから来たのに追い越され、泣くのがいやなら、さあ歩け(水戸黄門OP)
もちろん、誰しも、他人相手に、「やった方がよい」は言えても、「やるべきだ」とは言えない訳です。
だが、他人が
「やることで短期的に損が大きいと判断されるからやりたくないし、長期的に損をしたらその時に不平不満を言う」
というスタイルを採る場合、誰かにとっては
「何で誰かが他人の不平不満を後で聞かされなければならないのかね」
という大きな問題が出てきます。
他人が逃げ回って、逃げられなくなってから不平不満を喚き散らしてるとしましょう。
こちらとしては、そういうの、視界にすら入れたくないし、聞こえる範囲にいてほしくないんですよ。勘弁して欲しい。(ムゴイこと言ってるなあ)
6.「近寄らずに避ける」「近寄られたら逃げる」短期戦術の限界と、「自分の辛さと向き合う」「耐える」長期戦術
「近寄らずに避ける」「近寄られたら逃げる」戦術は、短期的にはもちろん大事な話です。というか、私もバンバン使います。
が、長期的には自分がはみ出し者扱いされる(場合によると雇用上そうなるし、もっと悪いと危機管理上そうなる)という、極めて大きな弊害があると言えるでしょう。
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そんな訳で、
「ストレスに耐える腰の据わった強い姿勢がないのがマズイ」
という話を、真面目に考えねばなりません。
要は、
「ストレスを散らして逃げない」「自分の辛さと向き合う」
という、だいぶ気の滅入ることをしなければならない。
じゃあ、どうするか。
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まず、いったん、
「避け切れない、逃げ切れないことがあり、ある」
という現実を、厳粛に受け止めなければならない。
「避け切れない、逃げ切れない時に、避ける、逃げるという戦術は、長期的にはコストの無駄である。
そんなことをしても、泣いても喚いても、何も上手く行かない」
という事実も、厳粛に受け止めなければならない。
***
嫌な話ですね。
でも、生きてると、しばしばあるでしょう。こういうこと。
そういう疑念がよぎった時は、それはそういうクエスチョンで、しかも視野と戦術を広げるチャンスです。
私の答えは、今書きました。宜しければ、ご自分の場合のヒントにして下さい。
7.逃げたがりの人が、耐える覚悟を決めるためには、逃げ疲れることが大事
自分を客体化するのは大事な話だが、自分の辛さと向き合うには、自分自身の辛さを誤魔化さず、主体として、辛さを丸呑みしなければならない。
幸い俺は、この辛さに耐えられるようになってきた。
自分と和解したというか、「こんな切断処理しても無駄だ」と悟ったんだろうな。
年齢的にもかなりギリギリセーフのタイミングだったと思いますよ。もう自分の世話に金をかけなくて済むからな。
(ギリギリアウトかも知れないけど)
(婚活と子育てのことを考えると、依然として状況は論外なのだが)
8.未来へ…
ということで、これから、体づくりと貯蓄をしていこう。と目論んでいるのです。
耐えられる今なら、もうそれも出来るだろう。
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自分のやれる範囲内で。
他人にニーズを吞んでもらうことが出来る範囲内で。
そして、世界に言うことを聞かせることが出来る範囲内で。
誰も彼もが。
何もかもを。
やっていきましょう。
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