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濫読

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思考のただ乗りをしまくった記録です。
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「聞いてもらう」

「聞いてもらう」

東畑開人さんの『聞く技術 聞いてもらう技術』を読んでいる。最近本を読んでいても文章が頭に入ってこず、目線が滑ってしまうことが多いので、この本も本当に一部しか読めていないと思うけれど、色々と考えることがあったのでメモしておきたい。

ありがちな自己啓発本みたいなタイトルをしているが、単に「技術」というところに留まらず、話を「聞く」ことの本質部分を深掘りしている良書である。
まず「聴く」より「聞く」の

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退屈とは何か?(『退屈の心理学』を読んで)

退屈とは何か?(『退屈の心理学』を読んで)

全四回の読書会を通じて『暇と退屈の倫理学』を取り上げてきた。
「暇倫」は哲学・倫理学的観点から「暇と退屈」を考える本である。要は社会派なのだ。方向性としては現代社会批判、資本主義批判といった側面が大きい。これは著者・國分功一郎氏の問題意識によるものだろう。「暇倫」以降の著作活動にも、この視点は引き継がれている。

では、結局「退屈」とは何だったのか?
『暇倫』ではパスカルやハイデガーを引用しつつ、

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他者に開かれること(『手の倫理』を読んで)

他者に開かれること(『手の倫理』を読んで)

以前、「読書会に参加したけれどうまく話せなかった」というような文章を書いた。

こういう後悔をするたび、「自分はもっと他人に対して開くべきなのではないか」という考えがぼんやりと浮かんでくるのだけれど、どこか漠然としていて腑に落ちない。
だが、そんな感覚を的確に表現できるかもしれない概念をとある本の中に見つけた。今回はそれについて考えたことをちょっと書いてみたい。

西洋哲学の歴史の中で倫理は視覚(

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「生きてるだけ」じゃだめですか?

「生きてるだけ」じゃだめですか?

本当にしんどいとき、「生きてるだけで十分だよ」という言葉はとても励みになる。だがそんな状態がしばらく続くと、いつの間にか「これでいいのだろうか?」という疑問がぼんやりと立ち込めてくる。

一体、これはどういうことなのだろう?
「生きてるだけで」というあの優しい温かさは、どこへ行ってしまったのだろう?
そんなことを考えさせられる本に出会った。

帯の紹介に「大感動のスペクタクル学術書!」と書かれてい

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『くるまの娘』で爆発しそうになった。

『くるまの娘』で爆発しそうになった。

宇佐美りんさんの『くるまの娘』(河出書房新社)がすごかった。読んでいて爆発しそうになった。汗がだらっだら出てきて、ページを閉じたり開いたりしながら読み終えた。これはもう、なんか書いて整理しなきゃいけないなと思ったので、書いてみる。

壮大なネタバレを含むので、未読の方はそっ閉じしてください。

まず、自分なりに登場人物とストーリーをざっとまとめてみた。

登場人物かんこ(かなこ)…主人公。17歳の

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