見出し画像

全てを白紙に 第二章 イホノ湖動乱 四、軍の務め

前の話へ

第二章一話へ

序章へ


 迫ってきていた軍の部隊が一騒動の末に去り、フュシャは胸を撫で下ろした。草むらに隠れている中で冷や冷やしたが、これなら大丈夫そうだ。安心するもすぐに表情を真剣なものに変え、フュシャは手に持つ武器を見下ろした。銃口の細い自動式拳銃は、要注意人物を消すべく本部より渡されたものだ。与えられた六発以内で対象を消すという任務を振り返りながら、フュシャは草葉の間から軍とやり取りをしていた女を覗き込んだ。
 シランとかいうあの女については、イムトらに聞いた。そして先ほどの態度を見るに、彼女もこの銃で消した方が良いのではないかとフュシャは考える。間違いなく、「危険人物」の部類に入るだろう。消却対象と仲間の二人、ついでに気に食わないイムトと団長をこれからそれぞれ一発で仕留めたとして、残弾数も足りそうだ。
 後はどう追い込もうか――フュシャは作戦を練ろうとして、茂みに迫ってきた気配に顔を上げた。眼前に飛び込んできた刃を避け、立ち上がって銃を構える。
「見た事のない武器ね。『白紙郷』で渡された物かしら?」
 刀を下ろしたシランは、フュシャの持つ銃に目を向けていた。警戒を崩さず、フュシャはその使用用途を明かす。
「――嗚呼、あの娘達を消すの。私も奴らに、失望を思い知らせてやりたいと考えていた所よ。どうかしら、その為に私達で手を組むと言うのは?」
 急な提案に、フュシャは一瞬躊躇った。だがこの女と消却対象が戦っている間に、任務を果たせるかもしれないと思い付く。そして、同時にシランをも消してやるのだ。フュシャは銃を握り締め、表情を変えない女へ笑い掛ける。
「いいじゃないか。乗ってやるよ」

 どのくらいの木々を見てきただろうか。消却を免れている森には他に誰もおらず、静寂の間に時々葉のざわめきや鳥のさえずりが聞こえる。太陽は雲に隠れ、地面に木漏れ日は一切なく影に覆われている。その暗さに自らの心が吞まれそうになるのを、レンは何とか気力で耐えた。
 自然に囲まれた道を進む中、やがて予想もしなかった一団に出迎えられた。戦闘服を身に着けた集団が横に何列も並び、中央に見覚えのある男が立っている。宿の前で会ったヘイズ中佐だと気付き、レンは彼を睨み付けた。またあれこれ言ってくるかもしれない。レンの隣にいたルネイは、軍を恐れているのか顔を強張らせて固まっていた。そんな彼にちらりと目を向けてから、ヘイズはこちらに近寄ってくる。
「我々はご友人を救うべく、貴方がたを迎えに上がった次第です。イホノ湖までご案内いたします」
 ヘイズはそう言うなり、自身と部隊の間にレンたち三人を挟ませた。ヘイズが進むのに合わせて、レンたちの後ろに並ぶ軍人も歩きだす。彼らに追い付かれそうな気がして、レンは慌てて足を動かした。レンの友人――リリはイホノ湖に、紫髪の女と共にいるとヘイズから聞かされる。
 レンにとって初めてのイホノ湖を案内してくれるのはありがたい。そして軍人は、戦闘に優れている存在だ。「虹筆」を手に入れた後のことは、彼らに全て任せようか。そもそも「白紙郷」を倒さなくとも、入手してすぐ「虹筆」を使えば元通りになって家へ帰れるかもしれない。
 一方で別の考えも、レンに浮かんできた。「白紙郷」のいる限り、消却は続くのではないか。それでは望んでいる日常が訪れない。やはり「白紙郷」をどうにかしなければ――。
 そこに突然、それまで俯きながら歩いていたルネイが、手中から青い光を迸らせた。レンとアーウィンだけでなく、ヘイズや周りの軍人たちも驚きを示す。部隊の行進が止まると同時に、ルネイは中佐を見据える。長く発してこなかった大声で、彼はヘイズに訴えた。
「あなたたち軍人がいなければ……ぼくは、一人になんてならなかったのに!」
 ルネイが両腕を伸ばし、周囲に壁を張り巡らした。その直後、鋭いものが当たる音がぶつかるなりそれが破れた。自分たちと部隊の間に、広げた本を携えた男が立っている。紙面へと、色の付いた靄が吸い込まれていくように見えた。前も現れたような神が、先ほどは攻撃をしてきたのか。
「フュシャはどこだ。あいつは、もうイホノ湖に着いたか!?」
 本をばたりと閉じたイムトは、きつとレンたちを見据える。フュシャの特徴を聞き出したヘイズが、彼女はイホノ湖の畔に潜んでいたと話した。レンがそれを事実か探るより前に、イムトは再び本を開く。
「なら、あいつより先に始末しないとなぁ!」
 紙面から光が放たれ、レンも以前目にした軍神・キンイがたちどころに現れた。落ち着き払っていたヘイズが、帽子を軽く持ち上げて目を見開く。
「それは……ライニア神話の神か?」
「そうだ。俺は神話を研究している」
「――詳しく聞かせていただきたい」
 イムトがきょとんとしている間に、ヘイズは誰から、どこで神話を教わったのか彼へ尋ねる。イムトの卒業した大学の名を聞くと、ヘイズは三白眼をより鋭く光らせた。
 こんな長話を聞いている場合ではない。一刻も早くリリを助けなければならないと思い立って、レンは慌てて銃をイムトへ向けようとした。だが発砲するより前に、軍の隊列がぞくぞくと動き始めた。あっという間にヘイズの部下たちが数人で彼を囲み、取り上げた本に軍神が消えていく。
「この者はイホノ湖に着き次第、国防省へ送還する。そこから警察へ引き渡せ。――さて」
 ヘイズが冷徹に部隊へ指示を下したかと思えば、ルネイへ向き直った。彼から名前を聞き出すと姿勢をかがめ、視線を合わせるようにする。
「軍が恨まれる存在だということも、自分はよく理解している。人殺しと呼ばれるのも、やむを得ないでしょう。……だが今だけは、どうか我々の協力を許していただきたいのです」
 ヘイズという人は、どこか不思議だ。軍人でありながらその役割を上から客観的に見ているように思える。そんな彼を睨み続けるルネイは、きっと軍が嫌いなのだろう。そんな少年にしばらく向き合っていたヘイズは、やがてアーウィンへ視線を転じる。
「貴方は確か、ミュスでも『有名人』でしょう。ライニアを変えようとしているとか」
「陸軍のお偉いさんも、『虹筆』を狙っているのか?」
 レンが引っ掛かりを覚えたのも無視して、アーウィンは口元を緩ませて中佐に尋ねる。ヘイズがただ「事態の収束」とだけ返し、相手に怪訝な目をやる。
「貴方は『虹筆』で、ライニアをどのように変えようというのです? ……ミュスだけの世界にするつもりですか、昔のように」
 アーウィンが小さく声を立てて笑った。その姿が、今までの彼からは想像が付かないほど不気味にレンは思えた。ぞくりと全身に寒気が走り、胸騒ぎが生じる中、ヘイズが部隊に指示を出している。軍人たちは一斉に、耳へ両手を持っていくとすぐ下ろした。
 数人の部下にイムトを囲ませ、ヘイズは隊列を動かした。中佐に従い、レンたちは木々の広がる道を行く。しばらく歩いた先に、装甲車や戦闘服の人々が畔に散らばる湖はあった。雲間から差すわずかな日差しを受けて光る湖面がはっきり見えてきた矢先、ルネイが草むらの広がる前面に壁を張った。直後に銃声が響き、弾が壁に跳ね返される。
「フュシャの仕業だ!」
 イムトが声を上げ、前へ出ようとして周りの軍人に動きを押さえ付けられた。茂みが揺れ、宿を出た後に会った女――フュシャが舌打ちして立ち上がる。
「一発じゃ駄目だったかぁ。気に入らない人も消せるんじゃないかと思ったのに」
 片手に持つ拳銃の銃口へ息を吹き掛け、フュシャは静かにレンたちを見据えた。

次の話へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?