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全てを白紙に 第二章 イホノ湖動乱 三、取引

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 荒野の本部に入ろうとしてたまたまフュシャとすれ違った時、イムトは彼女を無視して足早に進んだ。向こうが何か呟いていたのも聞く気はなかったが、団長の部屋に入って初めて現実を知った。レンなる少女が、特殊な武器を使わずに消却爆弾の起爆を止めたと。
 二度ほどレンとその一行に対峙したイムトは、彼女があの消却爆弾の硬い装甲を打ち破れるとは思っていなかった。むしろほとんど攻撃してこず、下手をすれば簡単に倒せてしまえそうな印象がある。だが団長が話す以上、警戒はすべきかと背筋を伸ばす。
 これから要注意人物に対処するよう命令が下ると思っていたが、団長の言葉は意外なものだった。
対人消却銃たいじんしょうきゃくじゅうをフュシャに与えた。あなたは気にせず、消却を続けて良い。ただし件の少女に会ったら、あまり深追いはするな」
 まず、開発しながらも使いどころがあるか疑問視されていた武器の投入が決断されたことに不意を突かれた。そしてなぜあの女に渡すのか、なぜ自分ではないのかと苛立ちが募る。まともに「白紙郷」へ貢献する気のないフュシャなんぞ、どうせ大事な武器を好き勝手使って終わりだろうに。
 自分にも要注意人物の消却を任せてほしいとイムトは頼んだが、団長は長い沈黙の末に断った。先ほどから彼は何かじっと考えているのか、表情を変えず固まっている。視点も一切こちらへやらず、ほとんど動かさなかった。彼はもう、目の前の自分など気にしていないのではないか。そう考えると、急に胸へ虚しさが募ってきた。この少し埃っぽい部屋にもいられず、イムトは静かに廊下へ出る。
 暗く居心地の悪い空間に息をつきながら歩く。団長を尊敬して、役に立とうとしての動きは、尽く評価されていない。大学で彼に倣って神話を学んでいた際もそうだった。
 何が剽窃だ。あそこの教授たちは中身もろくに見ないで、ただ彼の研究と題材が似ているというだけで疑ってきた。思えば団長も、自分に別の話題で論文を書くよう勧めていた。しかし、尊敬する人を追って何が悪いのか。
 ようやく入り口を出ると、吹きすさぶ風もすがすがしく感じられた。草が風によって地面へ叩き付けられている様を見、イムトは乾いた土を踏み締める。問題のフュシャは、イホノ湖へ向かっていると聞いた。なら彼女より先に要注意人物を倒すべく、自分も行くべきだろう。記憶で湖への道のりを思い浮かべ、イムトは本部から遠ざかっていった。

 エティハに聞いた「虹筆」を入手すべく、ヘイズは部隊を率いてイホノ湖へ赴いた。湖水地方でも有数の大きさを持つその湖は、青い木々が生い茂る周りの風景と共に美しく広がっている。
 装甲車を下りてヘイズが湖を回ろうとすると、畔の一角に人の隠れている気配があった。よく見ると先方に茂る草の陰から、桃色の髪の毛らしきものが飛び出している。人であれば話を伺おうとしていた時、ヘイズは後ろの部下が一斉に動きだした物音を聞いて振り返った。湖に張り込む部隊とは別に引き連れていた隊員たちが、同じ方向へ銃を向けている。その先には右腕に包帯の巻かれた少女を引きずった、紫髪の女がいた。
 彼女はこちらに気付くなり、腰に巻く布に差していた刀へ手をやろうとする。向こうが襲い掛かってくる警戒をしながら、ヘイズは気絶しているらしい少女へ目を向けた。確か町の宿前で、ミュスの男と共にいた気がする。消却爆弾を止めたレンの連れだろうか。それならなぜ、彼女と離れてここにいるのか。
「そこの少女を、どうするつもりですか?」
 ヘイズが重々しく問うと、女は少女を手から離して言った。
「この娘の『友人』に、絶望を与えてやるのよ。そして二人ともども殺す」
 女へ引き金を引こうとした部隊を、ヘイズはいったん制した。少女の『友人』とは、レンのことか。彼女はまだ成人していない、中等学校の生徒だと聞いた。将来のある子どもを殺そうとする女を非難するも、彼女はあっさり突き飛ばす。
「貴方も軍人であれば、職務中に子供を手に掛けることもあるでしょう」
 ヘイズにそのような経験は、まだない。だが今後訪れないとも限らない。可能性を視野に入れて黙するヘイズに、さらに耳を痛める追及が続いた。
「サーレイ村での件は、ご愁傷様とでも言うべきなのかしら?」
 ヘイズの脳裏に容赦なく、昨日の「失態」が呼び起こされた。あの村に住んでいた人々をほとんど避難させられたが、代わりに誘導していた部隊が逃げ遅れ、全員が消却された。その場にいなかった自分でも、指示が甘かったのだと悔いを述べる。だがそれも、女は本当にそう思っているのかなどと一蹴してくる。やがて彼女は迷いなく、部隊の中に躍り込むと刀を振るった。血しぶきの上がる中から叫びが聞こえる。
 こちらが多数にもかかわらず、戦闘は圧倒的に女が優位に立っていた。銃火器の攻撃を恐れもしない彼女の刃に、部下は次々と倒れていく。水辺の草地は、兵たちの倒れる一帯が赤く染まっていた。
 これ以上押し負けては、より被害が増えるだけだ。ヘイズはまず、刀を手にする女の姿をまっすぐに捉えた。そのまま暗示を込め、念を飛ばすように彼女を睨む。刀を持ち上げようとして戸惑う女へ意識を途切れさせず、ヘイズは歩み寄る。
「……さては、こちらに武器を使わせないようにする魔法かしら」
「ご名答。自分は、無駄に命を奪うつもりはありません」
 救護班に負傷した人々の治療を命じてから、ヘイズは目元に入れていた力を抜いた。途端に女が、刀の先をヘイズの胸元へ突き付けてくる。
「軍人なら私を殺してみなさい。それが仕事でしょう?」
「お引き受けできません。そもそも争いなど、我々が最も好まないものです」
 女が怪訝に見つめてくるのも当然だった。戦争を起こしても、人や武器をひどく消耗するだけだ。加えて日常は破壊され、復興にも時間が掛かる。国土が疲弊していくのも当然だ。ヘイズが常々思っていることを伝えても、女は納得していないようだった。人を殺したくなかったらなぜ軍に入ったのか、彼女は尋ねてくる。
「貴方のような軍への『誤解』が本当か、知るためです」
「それでも殺しはしてきたのでしょう?」
 右頬の傷が疼き、ヘイズはそれに触れて頷く。だがあの時は、治安を守るという大義があった。対して女が少女たちにやろうとしているのは、単なる殺害だ。それを責めると、自分も人殺しをしている分には変わらないと言い捨てられた。
「この娘を助けたければ、私を殺しなさい。貴方もこんな危険人物を排除できて、さぞ安泰でしょう」
「……そちらの方は、どこで見つけました? 傷は最初からあったのですか?」
 挑発には乗らず、ヘイズは話を切り替える。ヘイズの部隊も訪れた町から隣町へ続く街道で、少女を捕らえたという。傷はそのさなかに事故で受けたそうだ。
「軽く腕に銃弾が掠っただけよ。最低限の手当てはしておいたわ。死なれでもしたら、人質をして使えなくなるでしょう」
 女はちょうどこの場に、少女の「友人」たちを呼び寄せていた。彼女たちはそろそろやって来るだろう。そこで唐突に、彼女は提案してくる。
「人質奪還を求める彼女たちを、ここへ案内してくれないかしら。道に迷われても困るもの」
 間違いなく誘い込もうとしているのだと勘付いたヘイズの頭に、一つの案が浮かぶ。いったん湖の畔全体に散らばっていた部隊を招集し、彼らが来る前に女へ告げる。
「その方が最後まで無事であると保証するのであれば、引き受けましょう」
 地面に倒れている少女を見やり、女が頷いた。それでもヘイズの気は抜けず、長く彼女に視点を定め続けていた。

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