見出し画像

全てを白紙に 第二章 イホノ湖動乱 二、攫われた少女

前の話へ

序章へ


「滅亡するって、どういうこと?」
 シランがそばに近付いたところで、レンは問うた。アーウィンにじっと睨まれる中、女は立ち止まって口を開く。
「言葉通りよ。純粋な彼らは、いずれ消えていく。今や民族のほとんどがライニア人やらと混血して、伝統とは大方懸け離れた暮らしをしているわ」
「だからって、『滅ぶ』とは何事だ!」
 突如大声を上げたアーウィンに、レンは振り返った。いつも穏やかな顔をしていた彼が、今は怒りを露わにしている。近くではルネイが胸を押さえ、リリが落ち着かせてやっていた。
「確かに数は減っているかもしれないが、俺たちはいずれ息を吹き返す。そう決め付けるな」
「これ以上の巻き返しなど無理よ」
「無理だと誰が決めた!」
 固い態度を崩さないシランに、アーウィンは反発を強める。彼はまさに、両親共にミュスである「純粋」な民族の一人だった。昔はライニア南西を中心として山間部に住んでいた彼らも、異文化に溶け込む中で消えていこうとしている。シランの話は、レンにとってもざっくり聞きかじっていた現実だった。ただ今までミュスと接する機会がなく、現実味が薄かったのだ。シランの言葉通りなら、ミュスは本当にライニアの中で埋もれてしまうのか。必死で彼女の言い分に抗おうとするアーウィンを見ていると、レンはどこか心苦しくなってきた。
 シランがアーウィンに受け答えもしなくなり、レンたちへ目を移す。すっかり調子を取り戻していたルネイが、シランを一瞥するなり小さく拳を握った。それに目ざとく気付いたか、女の声はさらに厳しさを帯びる。
「どうやらお仲間が増えたみたいだけれど……貴方達、まだこの男について行くつもり?」
 怖気づいているのか、リリとルネイは答えない。レンが代表してアーウィンを頼っていると告げると、シランはあからさまな溜息をついた。誰の力を得たところで、レンたちに「白紙郷」は倒せないと。またも言われた同じ断定に、レンは歯を食い縛る。そこにアーウィンが助け舟を出した。
「あんたが思うほど、レンは侮れないぞ。何せ、あの消却爆弾を拳銃一発で止めたんだ。これは『白紙郷』討伐には有利なんじゃないか?」
「爆弾を止めただけで、全てが解決する訳ではないでしょう」
 シランはあっさり切り捨てる。仮に今後の被害を防げたとしても、今まで消えてしまったものはどうしようもない。そう聞きながら、レンは一刻も早く「虹筆」を手に入れたい思いが強まった。イホノ湖には、いつになったら辿り着けるのだろうか。
「そもそも、あんたは何がしたいんだ? この前はイムトを追い立てたかと思えば、レンにひどい怪我を負わせてくれたじゃないか」
 思わず、レンは自らの右手首を握った。シランがちらりとこちらを見たが、傷が治っているとも気にしていないようにアーウィンへ向き直る。
「私は『白紙郷』も彼らに抗う人々も、皆等しく制裁を与えたいだけよ」
 それは誰彼構わず殺そうということか。背筋が冷えると同時に、レンはいつの間にか拳銃を構えていた。だが銃口の前に伸びてきた友の手に思い留まる。リリが赤い瞳を見開き、恐る恐る尋ねる。
「なんで……そんなこと、しようと思っているんですか? どうしてそこまで、人を憎めるんですか?」
「決まっているでしょう。人間というのは、得てして愚かなのよ」
 彼女はどのような経緯で、そんな思いを抱くに至ったのか。レンに疑問が湧き上がった時、シランがリリのもとへ向かうなり彼女の細腕を掴んだ。すかさず二人の間に、青い光が走る。ルネイの生み出した壁は、わずかに二人を引き離した。シランが刀の柄へ手を伸ばそうとした隙に、レンは一発発砲したが外れてしまった。
「その程度では私を殺せないわよ。そもそも貴方、本当に私を殺す気があるの?」
 錬成した銃弾を装填しようとしたレンの手が止まった。急に言われて思い知る。これまで、自分が人を殺すというものを深く考えていなかった。授業で拳銃の使い方について、しっかり教え込まれたにもかかわらず。
「武器を持っている事からも、そのような事実は自覚しておきなさい。勇気がないのであれば、貴方に『白紙郷』と対峙する覚悟はないと言う訳ね」
 弾を上手く弾倉に込められない。シランの言葉一つ一つが、静かにレンを追い立てる。「虹筆」を手に入れるためには、時に人を殺さなければならないのか。アーウィンは任せるよう言ってくれていたが、彼に頼っていては甘い。やはり「白紙郷」には、直接向かい合う必要があるのだ。しかし殺すとなると、すぐに覚悟が決まらない。レンの指は震え始め、ついに銃弾を地面に落としてしまった。
 直後、ガラスの割れるような音とリリの悲鳴で、レンは我に返った。シランの刀は既に抜かれ、リリへの追撃を阻んでいた壁を打ち破っていた。リリの右腕が強くシランに引っ張られると同時に、助けようと駆けだしたルネイが蹴倒される。そして仰向けになったルネイの腹に、容赦なく刀が突き付けられる。小声で呻くルネイを見、レンは衝動に駆られて拳銃を撃った。
 目標は、シランの脇腹辺りのはずだった。しかし発砲直後に返ってきたのは、聞き馴染みのある声による叫びだった。はっとしてレンは、自らの銃弾が当たった先を探す。被害の様子は、すぐに見つかった。リリが右肘の上辺りを押さえ、袖口に血が伝っている。レンが声を掛ける暇もなく、リリはシランに刀の柄で頭部を殴られて倒れ込んだ。手の離れた傷口から、出血が続いていく。レンが動くよりも先に、シランが血の付いた切っ先を向けてきた。
「貴方、この娘が大事?」
 腕を掴まれながらぐったりとするリリを一瞥し、レンは肯定する。
「それならイホノ湖まで来なさい。命だけはひとまず保証してあげましょう」
 リリを引きずって、シランが去ろうとする。そこに、今まで笛を下ろしていたアーウィンが楽器を構えた。そのまま息を吹き込もうとする彼に刃が迫っていると気付き、レンは叫んだが間に合わなかった。リリをいったん地面に寝かせて舞い戻ったシランは、アーウィンの腹を横に迷いなく引き裂く。アーウィンは膝を突き、横笛を取り落として服に赤黒い染みの広がる腹部を押さえた。彼を振り返りもせず、シランはリリを連れて遠ざかる。
 すぐさまレンは追い掛けたが、シランの姿は小さくなるばかりだった。気絶した人を一人伴っているとは思えない速さで、彼女は姿を消した。息を切らして戻ると、ルネイが意識を失ったアーウィンを横に寝かせていた。二人ともに、負傷した箇所には青い光が灯っている。こうした止血もルネイの使う技の一つだという。彼の隣に座り込み、レンは片手の銃を見つめた。
 もちろん、意図して友を撃ったわけではなかった。自分の狙いが甘かったかシランが避けたかして、不覚にも当たってしまったのだ。それでも自分が彼女を傷付けたのには変わらないと、レンは思う。
「リリを、助けに行かなくっちゃ……」
 膝に目元を押さえ付け、レンはくぐもった声で呟いた。リリには謝らなければならない。しかしそれだけでは許してくれないような気がして、レンは下唇を噛み締めた。もしリリが、自分をひどいと言ってきたら。自分がわざと撃ったのだと思っていたら。それこそ「白紙郷」を倒したところで、「日常」は戻ってこない。
「アーウィンさんが起きたら、すぐにイホノ湖へ行かないといけないですね。でも場合によっては、お医者さんに見てもらわないと……」
 ルネイの呟きで、レンは考えを打ち破られた。確かに彼の対処で、彼自身もアーウィンも出血は収まっている。それを見ると、何もされていないリリが余計気掛かりになった。拳銃を握りながら、より罪悪感と悔いが募る。そしてなぜこのようなものを持っているのだろうと考える中、ルネイが割り込む。
「……普通の人々がこの国で武器を持つようになったのは、大魔法の乱があったからです。あの魔法使い、インディが――」
「インディは悪くない。武器の所持云々を決めたのは、別の人でしょ?」
 すかさずレンは話を遮った。思い詰めているようなルネイを励ましたくとも、彼の表情は暗い。その気を取り直してやろうと、魔術で傷を塞げることを褒めたが、ルネイはより顔を曇らせてしまった。どのように鍛えたのか尋ねても、沈黙だけが返ってくる。もしかしたら聞き方が悪かったのかもしれないと、レンは質問を変えた。
「魔術は学校以外でも習っていた?」
「はい、師匠からです。それと、よく魔術に関する本を読んでいました」
 ようやく答えの来た安堵も、リリの思い出が蘇ると同時に掻き消える。彼女も割と本を読む人だった。初等学校の時から変わらず、物静かで大人しい性格だった。勉強や弓術もよく出来ていながら奢り高ぶらない、そんな控えめさがレンにはもったいなく思いもしたが、また美しくも見えた。
 拳銃をそっと撫で、レンは心の中で友に何度も謝る。彼女に直接言わなければ駄目だと分かっていても、今からこうしないと気が済まない。同じ言葉を脳で繰り返しているうちに、レンは目頭が熱くなるのを覚えた。ルネイが慰めようとしたのを止めるが、涙は収まらない。今ごろ自分の顔は、ルネイに泣き姿を見せる恥じと、様々な感情の高ぶりとでひどく赤いだろう。やがてアーウィンが小さく呻きを上げるまで、レンは涙を流し続けていた。
 アーウィンは起き上がると、流血のない腹部とレンの顔を交互に見て呆然としていた。彼に心配を掛けないよう、レンは明るい声を出そうと努める。
「ルネイくんが、アーウィンさんを治してくれたんです」
「大したものじゃないです……」
 今度はルネイが赤面し、アーウィンが軽く顔をしかめてから彼に礼を言った。レンから事情を聞くなり、アーウィンは横笛を持ってゆっくり立ち上がる。
「それなら、早くイホノ湖へ行かないとな。ルネイ、確かこの近くだっただろう?」
 ルネイは頷くと、レンたち二人より前に出た。彼の案内に続きながら、友の無事を願うレンの足は自然と速まっていった。

次の話へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?