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全てを白紙に 第三章 日常に帰る日 五、伸ばした手

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 中佐に話を聞いた時、初めは彼女に脅威を覚えていた。しかし消却爆弾を止めてみせたその人に、いつの間にか別の思いが湧くようになったのだ。エティハは少女を前に、口元が緩むのを抑えられなかった。彼女なら、自分の望みを認めてくれるだろう。面白いほどに似ているのだから。
「異端の私は、惨めという言葉では表せないほどでした。学生の時分はひどい仕打ちも受けましたよ。そこで決めたのです。この恨みを元に、世界を変えようと」
 相手を牽制するためにも、エティハは語る。ただ話に聞き入り、武器を向けることさえ忘れるのを期待して。
 十四のある日、異世界から来たという旅人に会った。魔法の存在しない世界があると聞いて、憧れを募らせた。そして昔より親しんでいた神話を徹底的に調べ、自分が恨みの神と同様に国を消してやろうと決めたのだ。
 大学に入るまで勤めていた軍事工場での経験も、無駄ではなかったとエティハは思っている。あそこでは自分の望む消却爆弾こそ作れなかったが、武器の製造過程は学べた。そこで得た知識と自らが持つ恨み、仲間たちの賛同によってようやく、消却爆弾は完成した。フュシャやヘイズの報告を受けて、より広い地域を消却できるよう改良もした。今や国土のほとんどは消え失せ、国の外にも消却は及んでいるだろう。このまま、文字通り全てを白紙にするのだ。
「……そういえば、あなたはあの大魔法使い・インディにも憧れているのでしたね?」
 なぜ知っているのかとでも言いたそうに、少女が口を開く。そこから声が漏れるより先に、エティハはこれまた強く抱いていた思いを明かした。大乱の影響で工場を周辺住民に襲われ、出勤しようにも出来ずにいたころだった。懸賞金の掛けられていた首謀者を金目当てに捕らえようとして調べているうちに、彼の生き方に驚いた。
 人々を惹き付け、革命的な思想を持つその男は、人生で会ってきた人たちより眩しかった。自分も、彼のように革新を起こしたい。
「彼に憧れる者なら、誰もがそう思うでしょう。当然、あなたも」
「いや、わたしはそんな――」
「私が彼に代わって、ライニアを変えます。魔法も魔術も使えない人も含めた、誰もが活躍できるライニアを目指すのです!」
 何かを言いかけていた少女が口ごもった。自分の考えが理解できないのか、目を瞬かせている。彼女には突然言いだしたことなのだから、すぐに共感してもらえないのも無理はない。だが、いずれ分かってくれるはずだ。エティハは両目を一つの視点に定めるよう意識して、レンに注意を向ける。
「お言葉ですが、教授。貴方はどのようにして、その目的を果たすおつもりですか?」
 少女の後ろにいた戦闘服の男が、訝しげに問うてきた。彼ら軍が自分たちを押さえ込もうとするとは、初めから予測できていた。その動きを鈍らせるためにも、部隊の指揮を執る彼に接触したのだ。
「皆の立ち位置を平等にするのです。誰もが魔術さえ使えないという、『当たり前』の状態になっていただきます。――そしてかつて使えた者は、その時の記憶を持ったまま、新たな世界で苦しむことでしょう」
 エティハの口元から、薄く笑いが零れた。魔術が使えるとは、さぞや便利な暮らしをしてきたのだろう。わざわざ持って行かなくとも消耗品は錬成され、傷もわずかな時間で癒える。特殊な道具がないのに魔術が使いこなせるなど、エティハにとって嫉妬の極みだった。この建物を覆う結界も、外にある要石が変に操作されては効果がなくなる。自ら理想の空間を生み出せたら、どれほど良いか。
 気が付けば、中佐はこちらを睨みつけていた。廊下にいる少女の同行者も、ある者は呆然とし、ある者は息をついている。
「貴方の願いは間違っている。そのやり方では、今いる国民の大多数が犠牲となる。これで誰もが活躍などと宣うつもりか!」
 ありがたく自分を頼ってきた中佐が、激しい怒りを向けてきた。元より小さな黒目が、さらに縮小する。真面目に事態収束へ取り組んでいた男の激情に、エティハは面白いものを見た気分になった。相手は踊らされていたとさえ、知らなかっただろうに。
「……新しい世界で、人々がまた何かのきっかけで魔法が使えるようになる、ということはないんでしょうか?」
 聞き取りにくい声に、エティハはしばらく出所を探った。やがて廊下にいた、背の低い少年のものだと分かる。彼は部屋の外にいながら、子どもには不釣り合いな厳しい顔でこちらを見据えている。
「たとえ忘れられても、不思議なことをやってみたいという気持ちは湧いてくると思います。人が魔法を使いたいと思う限り、この世界では使えるようになるんじゃないでしょうか……」
「そうね。どこぞの異世界とは違って、ここは魔法の存在が前提になっているのだもの」
 長い髪を持つ刀を帯びた女も、少年の意見に賛同する。全てを変えようとしたところで、思い通りになるとは限らないと。
「やはり馬鹿げた組織の長は、愚かだったわ。叶えられもしない望みを抱いて、挙句の果てにこうした大事まで起こして。恥を知りなさい」
 考えがぐるぐると、頭を回り始める。ようやくライニアで第一段階が終わりかけた時になって、邪魔が入るとは思わなかった。そこへさらに、鋭い言葉が耳を打つ。
「エティハ教授、貴方の望む世界は得られない。何をしようと、いずれ魔術を信じる大衆に負けるのだから」
 長く忘れようと記憶の底に封じ込めてきたものが、エティハの中に呼び起こされた。あの日、魔法のない世界を作ろうと意気込んだ後、去り際に旅人は言った。最後までフードでほとんど隠したまま見えづらい顔から告げたそれは、ちょうどヘイズの発言と全く同じ文句だった。自称した年齢の割には若々しかった外見も、エティハよりずっと濃かった肌も、今になって急に脳裏へ蘇る。あの時は気にしていなかったが、今になってようやく現実を思い知る。
 やはりこの世界では、魔法や魔術が全てなのか。「異端者」は、ただ無下に扱われるだけで終わるのか。誰も超常的な力のない世界など必要としない。「普通」の日常に浸かるのを望んで、身近の外に潜む苦しむ者のことなど頭にないのだ。何と卑しいのだろう、人間というのは。
 廊下の角から、兵に連れられて部下たちの姿が消える。一人が大声で自分に何か言っていたが、誰によるものかさえ判断できない。頭にはこの世への怒りとやるせなさが混じり合い、熱を持っていた。それに浮かされたようになりながら、視界に一つの影を捉える。
「ああ。あなたの考えを、まだ聞いていませんでしたね」
 少女はじっと、エティハを見つめている。他の者とは違い、彼女は新たな世界でうまく同調できるだろう。その存在は、さながら最後の希望だった。ちょうど大乱の首謀者へ思い浮かべた姿と同じように、眩しく見える。ヘイズとその部下が銃を構えるのも構わず、エティハは少女へ手を伸ばす。
「どうでしょう。あなたも、私と共に世界を変えてみませんか?」
 少女の細い手が、こちらに向けられた。そのまま自分のそれを掴んでくれないかと、心の奥で待つ。しかし突如、エティハは伸ばした手に痺れるような痛みが走ったのを覚えた。そして直後に、拳銃で顔を殴られると同時に膝辺りを蹴られる。大した力ではなかったが、不覚にもエティハは姿勢を崩した。床に倒れ込んだ体が、重くなったように動かない。
「あんたに協力するなんて、ごめんだ! ねぇ、ここで魔術が使えないんなら、使わないでどうにかすれば良いんでしょ!?」
 少女が同行者たちを見返って叫ぶ。エティハはそれを聞いたまま、呆然とするしか出来なかった。

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