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全てを白紙に 第三章 日常に帰る日 六、虹筆

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 団長エティハの話には、同情できる部分こそレンにはあった。いじめと呼べるようなものは受けなかったが、リリや親からの心配には苦さを覚えていたものだ。初めて自分のように、日常で魔術が使えない人物と出会った。だからか自然と、レンは前に立つ男の語りに引き込まれていった。
 だが途中で、彼とは決定的に違う点があるとレンは確信した。そしてこの特殊な空間を乗り切る方法を思い付き、敵を蹴り倒して今に至る。
「わたしは、あんたとは違う。インディみたいに、世の中を大きく変えようとか、思ってない」
 そんなことをすれば、自分の望む平和な日常は壊れる。言い切ったレンを、エティハはばらばらだった視点を定めて見つめた。
「あなたは、インディのようになりたいと思わないのですか?」
 逡巡してから、レンは答える。自分の中でインディは、尊敬だけに留めておくべき存在だ。彼の真似をしようとして世の中が悪く変わったとしたら、あの大魔法使いは悲しむだろう。自分のせいだと責めてしまう姿は、想像したくない。
「……私の作ろうとする世界は、悪いものなのですか?」
 声をくぐもらせるエティハの問いを聞き、レンは再び思考を巡らせる。今までの自分と同じ、魔術の使えない人々にとっては心地が良いかもしれない。
「――でも、わたしに合わせたせいで他の人々が困るのは嫌だ。そうなるくらいなら、わたしが変わりたい!」
 世界を変えようとする者へ責めんばかりに、レンは声を上げた。そして部屋の外にかけて並ぶ人々を見据える。ぶつかり合いながらも共にここまで来た同行者たちが、どう思っているか知りたい。真っ先に、シランが口を開いた。
「作り話を本気にするなど、馬鹿らしいわ。貴方の信じる神話が、良い世界とも限らないでしょうに」
「如何にもその通りだ。そもそも神話を虚構のものだと、貴方なら深く理解していると思っていました、教授」
 相手にどこか失望を見出したような口ぶりで、ヘイズも敵を追及する。虚構を実現するからこそ素晴らしい、そう言いかけたエティハのもとにシランが駆けていくのをレンは認めた。彼女はすかさず刀を抜き、男の肩へ斬り付ける。傷口を押さえて立ち上がろうとしたエティハは、シランの突き付ける刃先に動きを阻まれた。
「私にはちっとも、素晴らしいと思えないわ。どんな世界も、愚かな方向に進んで滅ぶだけよ」
 シランは斬撃を繰り返し、その度にエティハは抵抗もままならず負傷を広げていく。体の至る所から流血し、ついには立っているのもやっとであるように姿勢を崩す。その様を呆然と見る中、レンはまだ答えを聞いていない二人に尋ねた。エティハの作ろうとしている世界をどう思うか。まずルネイが、自分の考えが正しいか自信がないと前置きして零す。
「エティハさんは、魔法が使いたかったんじゃないんですか? 自分も尊敬する人みたいな『魔法使い』になれる世界にしたいとは、思わなかったんですか?」
 消却の主犯は、何も返さない。傷が響いて起き上がりさえ出来ないのか、ただじっとルネイの顔を凝視していた。そもそもの理想とする世界を、エティハは見誤っていたのかもしれない。そんな彼に寄り添うような、リリの言葉がぽつりと響く。
「魔法のない世界、わたしはちょっと気になります」
 低い位置にあるエティハの目線が、リリへと動いた。レンへ語った時と同じく、こちらへ引き込むよう見つめている。咄嗟にレンは、敵の視界からリリが隠れる位置へ移った。シランと自分を挟んで、隙間が出来たような形になる。
 友があのように言った理由は分からない。本当にエティハの理想を求めているのなら、彼女と自分は正反対の立場にあったといえる。それでも今は、気にしていられない。危険を冒してまでついて来てくれた友を、ここで敵に渡すわけにはいかない。
 弾倉の中は、空だった。銃弾の錬成も出来ない。シランとの約束通りにはいかないとは、先ほどより承知している。この場ではほとんど役立たずの武器だと分かっていながら、レンは銃口をエティハに向けた。
「あんたの生きたい世界なんて、わたしはいらない。わたしが作らせない! 今までの世界を返して!」
 シランが小声で、前もって弾を用意しておけと囁く。それに頷き、レンは引き金に指を掛けた。
「あなたは、魔法も魔術も使えない身に、思うところはないのですか?」
 世界を変えようとした男は起き上がりも叶わず、自らによって生まれた血だまりに体を濡らしている。弱々しいエティハの問いに、レンは首肯せざるを得ない。魔術が生活にないと、確かに少し不便だ。
「でも、別に魔術や魔法がなくたって生きることは出来る! それらが使えないってのが、強みになる時も来るかもしれないし!」
 この道中で初めて知った、自分の魔法を思い返す。「白紙郷」を倒してこの非常事態が終われば、再び魔法のない日常に戻るのだろう。その時が来ても、負けてはいられないのだ。
「ここはあんたには気に入らない世界だろうけど、わたしはそこで、かっこよく生きてやる!」
 大声で宣言してから、レンは手応えのない引き金を引いた。同時に銃声がし、エティハが顔を伏せて動かなくなる。シランによるものとは違う新たな攻撃の痕から、さらに血が流れている。弾は装填されていなかったはずなのに、なぜエティハは撃たれたのか。レンは困惑を隠せず、弾倉を確認する。
「魔法を使えない人のためになりたかったのなら、彼らをこの世界で活躍させるようにすべきだったのです」
 構えていた銃を下ろし、ヘイズが横になる敵へ歩み寄る。銃口から出た煙に、彼がエティハを撃っていたのだとレンは気付かされる。中佐はエティハの前で座り込み、軍人の印象からは程遠い優しい声色で言った。
「あまりにも見ていられなかったので、介錯させていただきました。貴方のおかげで、この国の『少数派』――魔法を使えない者についても、考えさせられました。新たな視点を得られたのは僥倖です。感謝いたします」
 わずかに頭を持ち上げて敵対者の言葉を聞き、エティハは真摯な表情を崩さず事切れた。光の映らなくなった目を閉じてやり、エティハが部下に遺体を回収させる。それから別の部下が持ってきた箱を開け、レンがイホノ湖でも見た輝く筆――「虹筆」を手に取った。自分には身に合わないと呟く声が、わずかにレンの耳へ届く。
「それを、どう使うつもり?」
 筆の柄を握るヘイズに、レンは問い掛ける。中佐はレンやシラン、廊下にいた仲間も招き寄せてから答えた。「この消却事件が起こる前と、何も変わらない世界」だと聞き、レンはひとまず胸を撫で下ろす。とにかく、今までの暮らしは戻ってくるのだ。リリの寂しそうな顔が引っ掛かりながら、レンはヘイズがどう動くのかを待つ。
 ヘイズはじっと「虹筆」を眺めていたが、やがて柄の先をレンに差し出してきた。その意図を読みかね、レンは筆と中佐を交互に見る。
「自分だけで使うのは、身に余る。ここは共に平和な日常を求める者として、貴方がたにも手を貸してもらえませんか?」
 レンは仲間たちを一瞥した。リリとシランは動かないでいるが、ルネイだけは前に出る。レンの隣に立った彼は、恐る恐る柄に手を伸ばした。ヘイズから「虹筆」の使い方を聞き、レンも筆をそっと掴む。不思議とものを持っている意識はなかったが、温かさが手のひら全体に伝わってきた。
 三人で息を合わせ、軽く筆先を振る。途端に、筆の毛にあたる部分が眩い光を放った。すぐさまレンは目を閉じ、足元に何もなく宙ぶらりんになっていると気付いて両足を軽くばたつかせた。「虹筆」を握る感覚も消え、何も頼りのない状況に心細くなる。そこに、近くで自分の名が聞こえた。「レン姉さん」と呼ぶのは、一人しかいない。しばらく手探りをしていると、幼い容姿に似合わずしっかりとした手の感触があった。レンは迷いなく、それを握り返すように力を込めた。

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