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全てを白紙に 第三章 日常に帰る日 四、明日の神話

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 日が昇ってくると、眼前に続く白はより目に痛くなった。下を見ても雪が積もっているかのように白く、レンは目のやり場に困って薄く瞼を閉じた。方向感覚が分からなくなりそうなものを、先導のシランは迷いなくすたすたと歩いている。彼女も、そして興味深そうに周りを見ているリリも、自分たちを包む白を受け入れているようなのが不思議だった。今のレンに共感してくれそうな者は、いかにも眩しそうに手で目元を覆い、足を遅くするルネイしかいない。
 そのルネイが、突然地面にかがみ込んだ。忙しなく息をつき、額には汗が滲んでいる。レンもリリも彼の回復を待とうとしたが、シランは振り返りさえせず先を行こうとした。
「彼はそこまでの人間だったと言う事よ。置いて行きなさい」
「そんなの、出来るか!」
 レンは言い返してから、ルネイを起こそうとした。しかし彼の腕に触れるなり、声を上げて振り払われる。すかさず手を引っ込めると、ルネイが途切れ途切れに謝った。
「ぼく、他の人より敏感みたいなんです……。ここみたいに刺激の強い景色とか、急に触れられるのとかも駄目で。でもぼく、どうしてもレン姉さんを守りたいですから……」
 助けを借りずにゆっくりと立ちあがるルネイに、シランが小さく舌打ちをした。何があってレンを守ろうとするのか、とでも言いたげである。そしてレン自身にも、ルネイにそこまで恩義になることをしたか分からなかった。サーレイ村で最初に会った時は、ほとんどシランに押し負けて役に立てなかった。宿でもただ、声を掛けて逃がしただけだ。
 ふらつきながらも歩くルネイを、やっと振り返ったシランが訝しげに見る。彼女は少年の周りを覆う青い粒子に、興味を惹かれたようだ。
「……嗚呼、それは自分を守る為の物だったのね。貴方の体質であれば、使うのも妥当でしょう。でもそれより、病院に行った方が良いのではないの?」
「ルネイくんを病人みたいに言わないで!」
 少年を蔑むように言ったシランに、レンは咄嗟に叫んでいた。ルネイは確かに、五感を鋭く受け取ってしまうのだろう。それが日常生活で不便にもなっているかもしれない。だが病人呼ばわりはあんまりだ。そう庇おうとしたレンの前に、ルネイが手を差し出して止めた。
「良いんです、レン姉さん。シランさんが言うのももっともだと思います。ぼくは異常です。この件で病院に行ったこともありますから」
 刺激から守る粒子を指差し、ルネイは歩き続けようとする。そしてふとシランを見上げ、問いを投げ掛けてきた。
「昨日おっしゃられていたあなたの師匠、ズアンという人ですか?」
 女は反応を見せない。ルネイの師でもあるという男から伝言を預かっていると聞いても、シランはすげない言葉を返すだけだった。
「あの人は私を妨害した。呪いのせいで自分で死にも出来なくなった事が、憎くて堪らないわ」
 ルネイは黙り込み、白い風景に視界を奪われることを拒むように地面の影を見つめる。自らに教えを授けてくれた者とシランに非道な行いをした者が本当に同じか、分かりかねているようだった。
 イホノ湖を発って、どれほど進んだだろうか。もうレンには時間感覚がなかった。本来あったいくつもの町を越えたようにも思える。足裏や太ももの裏が痛く、夜明け前から歩いてきたので空腹も限界だ。そこでようやく、土煙の舞う茶色い丘に着いた。飛んでくる砂に、レンは軽く咳き込む。ルネイの具合が気になったが、彼は魔術による壁で守られているからか、表情を変えもしていなかった。
 遠くに見える上階の崩れたような建物周辺が、何もない辺りに目立つ。それを視界に捉えるや否や、レンは不穏を覚えた。「白紙郷」の拠点である古城だとシランに示されたそこは、何台もの軍用車に囲まれている。もう軍が来ているのだと直感した瞬間、レンは駆けだしていた。小さな岩が転がり、長い草を地面に叩き付ける風に逆らって古城を目指す。途中で地面に刺さった石らしきものに躓くが、気にしていられない。仲間たちより一足先に、レンは戦車の並ぶ先へ飛び込んだ。
 正面玄関にあたる薄暗い空間からは、前と左右に三つの廊下が伸びていた。そしてどちらへ進もうとしても、銃を携えた軍人が立ち塞がっている。彼らはレンが侵入するとすぐ、武器をまっすぐ突き付けてきた。ここでの対処は軍の行う案件だと、レンを追い出そうとしてくる。しかし侵入者がまだ「幼い」と気付くと、彼らはレンを首都へ保護しようとしてきた。自身を取り囲んでいた輪が一気に狭まり、レンの肩が跳ねる。腰のホルスターから、今にも拳銃を取り出そうかと考えた時だった。
 左にいた軍人が声を上げて倒れ、他の二人も斬り伏せられる。シランは何も言わずに刀を収め、前方の廊下へまっすぐに進んだ。後からついて来たリリとルネイと共に、慌てて彼女の背を追う。
 曲がり角が多い迷路のような空間を、シランは堂々と突き進んでいった。等間隔に照明の並ぶ廊下を行きながら、レンは彼女がやはり「白紙郷」だったのではと思いかけて首を振った。組織を調べていたというなら、本拠地の構造も理解していたのだろう。何度も角を曲がって目が回りそうになったところで、シランが足を止めた。
 廊下の両脇に列を成していた軍人たちが、一斉にこちらを見た。武器を構えようとする彼らを、聞き覚えのある声が止める。
「彼女たちは敵ではない。……ご無事で何よりだ」
 正面に一人立っていたヘイズがこちらを向いた。彼の前には、これまで通り過ぎてきたいくつの扉より一回り大きく、重そうな扉がそびえている。両開きのそれを、中佐は今にも押し開けようとしていた。あの奥に、「白紙郷」の団長なる人物もいるのだろうか。武器を下ろしているが警戒する軍人たちを無視し、レンは戸に触れようとした。
 その時、後方から騒ぎが巻き起こった。様々な喚き声の中に、昨日まで旅をしていた者の声を聞き付ける。見返ると、捕縛されたはずのアーウィンたち「白紙郷」の三人が、廊下の角近くで兵に行く手を阻まれていた。レンはアーウィンに声を掛けようとして、扉の開く音に気を取られた。ヘイズを挟んで、埃っぽい部屋の情景が現れる。
 大きなライニア全国図の前に、男は立っていた。白と黒の入り交じった髪と、左右で視点のぶれている瞳が注意を引く。手を背に回している彼は、驚いた様子もなくヘイズに言い付けた。
「後ろの彼らを、捕縛してください」
 突然の指示に、レンは理解が追い付かない。その間にヘイズが廊下の兵たちに命令を出し、男の言う通りにさせた。両腕を後ろに回されるイムトが、部屋へ向かって叫ぶ。
「団長! 勝手をしたのは謝ります! おれはただ――」
「今さら反省して何になる」
 団長と呼ばれた男は、くぐもった声で吐き捨てた。何が大事か自分で分かっていない、人の真似をしているだけだとイムトを叱る。すると軍人たちの腕を振りほどき、イムトは腰のベルトから本を取り外した。彼が素早く紙面を開き、早口で団長に訴える。
「おれの魔法は、あなたに神話を教わっていなければ形になりませんでした。あなたも言っていたじゃないですか、神話を今の時代に復活させるって!」
「その通り。加えて私は、あなたが『呼んだ』神は全て紛い物――あなたが生んだ幻想にしか過ぎないとも知っている」
 何度か彼との戦闘で見てきた神は、正真正銘のものではなかったのか。二人のやり取りを聞きながら、レンはイムトの持つ本を見つめた。いつもなら召喚時に光を放つそれが、今はただの紙束となっている。
 団長は、部下の魔法にあらゆる欠点を指摘した。神話の原典に容姿が事細かく記されているならともかく、具現化する神の姿はほとんど見る人によってばらばらだ。神に対して明確な印象が固まらない限り、相手にその魔法が持つ強みは与えられない。第一、伝統的なミュスのように神話を信じない者なら、攻撃さえ通じないではないか。
「あなたの研究にも、言いたいことがある。私の模倣をするな。あなただけが持つ神話の見方を切り開け。それがより、あなたのためになる」
「……でも、あれは剽窃じゃなくて」
「引用先も記さず、私の考察をさぞ自分が思い付いたように書いただろう。論文を書く時の基本を忘れたか?」
「あれはすばらしいあなたの意見を参考にしただけで――」
「罪の意識もないと? 私を追う以前に、あなたは研究者として失格だ!」
 イムトが言い終わる前に、団長が怒鳴り立てた。それから急に声を低め、ヘイズに再び捕縛を促した。中佐の指示を受け、イムトはすかさず拘束される。彼の持っていた本が床へ落ち、軍人に回収された。
「残る二人も、同じようにして良いでしょうか。エティハ教授」
 ヘイズの問いに、教授だという男は頷いた。早速ヘイズの部下が、アーウィンとフュシャを取り囲む。
「ま、どうせこうなるよなぁ。こっちで動くのも飽きたし、大人しくしてやりますよ」
 フュシャは両手をひらひらとさせていたが、その手を兵たちに掴まれた。そしてアーウィンも捕まえられそうになったのを見て、レンは部屋の奥にいる男を一瞥した。部下を平然と軍に引き渡すなど、彼は何を考えているのだろう。しばらく物思いに囚われていたが、アーウィンの声で急に打ち破られる。
「お前たち、『虹筆』は持っているか? ここに用意してきているか?」
「無論、我々が責任を持って預かっている。残念ながら貴方に見せるつもりはないが」
 ヘイズの返答に、アーウィンが顔色を変えた。自らを囲む軍人たちをはねのけて、廊下の角まで来たところで笛を吹こうとする。しかし穏やかな旋律こそ聞こえど、その際に発現していた特殊な効果が出ることはなかった。既に動きを封じられていたフュシャが、呆れたように言う。
「お前さん、忘れたのかい? ここでは何をしようと無駄だよ。どんな魔法も魔術も、この結界が張られた中じゃ効かないんだから」
 アーウィンが目を見開き、笛を下ろすなり力が抜けたように壁へ寄り掛かった。彼を軍が挟み込む間に、ルネイが慌てて片手を開いたり閉じたりしていた。壁と化すはずの粒子が現れないと気付いた彼の顔に、絶望が浮かぶ。その体を常に覆っていた粒子も、すっかり消えていた。
 レンもリリも、「錬成」魔術を使おうとしたが失敗した。手の中に何も生まれない感覚が、レンに春休み前の諦観を思い起こさせる。やっと使えるようになったと喜んでいたのに、また元通りになってしまった。矢をつがえられないリリは焦ったように何度も手を握っては開き、ルネイは拳を握って涙を一筋流していた。ただ一人、錬成を必要としないだろうシランが、普段の平静を保っている。
「いずれはこの世全てが、ここのようになる。……そこのお嬢さん、レンと言いましたか」
 教えてもいない名を呼ばれ、レンは素早く団長を見た。手招きをされ、ヘイズの前を抜けてその正面に立つ。相手は口を動かす他は突っ立ったまま、微動だにしない。
「あなたも魔術が使えなかったと聞きました。事実ですか?」
 肯定しながら、レンは思い出す。シランは「白紙郷」の長が、自分と似た存在だと話していた。そして目の前にいる男も、今に至るまで魔術が使えないのだと認めた。
「お仲間に会えて、嬉しい限りです。私は明らかに、この世界の異端だと蔑まれてきましたから――」

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